第3話 追いかけてきた後輩。


 風呂上がりに用意してくれていたのは、冷たく冷えたジュースだった。


「オレンジジュースです」


「おお、ありがとう」


 タオルで頭を乾かしながらキッチンにやってきた俺は、お礼を言ってそのジュースを受け取る。そして一気飲みをして、喉を潤していく。


「か〜〜! すっぺぇ〜〜!」


 けれど、風呂上がりの一杯は格別だ。


「さっ、せんぱい、ご飯食べましょ。今日は先輩の好きなミルクスープですよ!」


「お、この匂いは、だと思った」


 テーブルには、テーブルクロスが引いてある。その上にはミルクスープが乗せられている。鍋ごと、どん!と中央に鎮座している。

 豪快だ。

 コレなら、おかわりのたびにキッチンによそぎに行く手間が短縮されるため、食べ放題だ。


 濃厚なミルクの海の中に見える鮮やかな緑は、ブロッコリーだろう。表面にはパセリも散りばめられている。美味しそうだ。


 あと、メインはミルクスープのようだが、二人分のそれぞれの皿にチキンをぶつ切りにして焼いたものが用意されている。それと手のひらサイズのパンが二つずつ用意されている。パンは、ほんのりと温められているようで、齧り付いたらふんわりと柔らかいだろう。


「いただきます」


 二人で席につき、その料理を食していく。


 そして俺は聞くことにした。


「どうして、シェラがここにいるんだ?」


「はい! せんぱいを追いかけてきました!」



 ゆるく外に跳ねている栗色のショートヘア。

 背は俺よりも頭一つぶん低いほどの大きさ。


 表情は明るく活発で、かと思ったら気だるそうに不機嫌な時も多い、気分屋なところもある少女。


 名を、シェラという。


「でもひどいですよ、せんぱい。私という可愛い後輩がいながら、勝手にいなくなってしまうなんて」


「おお、すまん。でも、確か、シェラはしばらく遠征に行くからって、この前別れの挨拶は済ませたじゃないか……」


「あっ、それもそうでした!」


 彼女は冒険者だ。そして俺のことを、先輩扱いしてくれる子だ。

 でも、冒険者歴としてはそんなに変わらないから、せんぱい扱いされるのも未だに慣れない。


 けれど、嫌な気はしない。

 前世も合わせて、俺には女の子の後輩というものができたことがなかった。


 だから「せんぱい」と呼ばれるのは、なんともくすぐったいものがある。


「それで、遠征はどうなったんだ? ほら、同世代の同性の子と一緒に、新しいパーティーを組んだって言ってたじゃないか」


「一応、依頼自体は終わりました。そして、そのままお開きになりました」


「また、馴染めなかったのか」


「はい……」


 どこか寂しそうに頷くシェラ。この子は、周囲に馴染めないらしく、それに苦労しているようであった。


 実力はある子だ。


「憎いです……。なんでも器用にこなせてしまう自分のことが……」


 残念です……と悩んだ様子のシェラ。


 なんでだろうな。……いや、考えるまでもないか。


「きっと、傲慢なところがあるからだろうな」


「せんぱいを見習ったらそうなったですよ?」


 確かに、俺もギルドでは嫌われていたな。


 冒険者としての活動を始めたら、何かとトラブルに巻き込まれることも多かった。

 その結果、ああいう態度を取る方が何かと得策だということが分かったのだ。


 そんなはぐれもの同士、パーティーを組もうという話にならなかったわけではないのだが、結局そうはならなかった。


『せんぱいと一緒の依頼を受けると、命がいくつあっても足りなそうです……』


 ……と、高難易度の依頼を受けたときに、「やっぱり別々で頑張ろう」ということになったのだ。


 それでも、彼女は何かと俺のことを慕ってくれている節がある。


「でも、悪いところは見習ったらいけないぞ」


「せんぱい、その言い方はナンセンスですよ。悪いところも、人によっては良いところだと思えるかもしれないですよ?」


 キリッとした顔で、切り返してくるシェラ。


 早速、悪い所を見習ってるじゃないか。


「まあいい。でも、なんでこの場所が分かったんだ?」


 こんな山の奥に立っている家だ。


「気づいたら来てたからびっくりしたよ」


「分かりますよ? だって、せんぱいに関することですもん。分からないわけがないじゃないですかぁ」


「…………」


 若干、怖いものも感じる。

 たまに、この子の瞳の奥には、何か触れてはならないものを光らせている時があるのだ。


 笑顔が怖い……。その明るい笑顔の裏側にあるものも怖い……。


 だから、深くまで追求するのは悪手だ。

 俺は知っている。この世には、触れない方がいいということがあることを。


「ごちそうさま」


 俺はスプーンをテーブルに置いて、手を合わせる。

 互いの皿の中は空だ。ミルクスープが入っていた鍋も中も空だ。完食だ。


「あ、おかわり持ってきますね」


 どん、と置かれたのは、先ほどと同じ量作ってあるミルクスープの鍋。


 まだあったのか!?


「……た、たくさん作ってたんだね」


「はい。せんぱいに喜んで欲しかったんで」


 健気な子だ。

 俺はよそいでもらったそのミルクスープを、再び食べ始めていく。


「まあいい、とりあえず今日はご飯食べたら、街にお帰り。送って行くから」


「え、私、帰らないといけないんですか……!?」


「当たり前だ」


 俺はミルクスープをごくごく飲みながら、きっぱりと答えた。


「ま、待ってくださいよ。私、ここで先輩と一緒に暮らす予定だったんですけど」


「だめだ。一緒に住むなど、けしからん」


「せ、せんぱい……」


 そんな甘えるような目をしても、だめなものはだめだ。

 100歩譲ってここを訪ねてきたのは構わない。帰る際は、もちろん送っていくつもりだ。


 けれど、俺たちは男と女。

 同じ屋根の下で寝泊まりするなど言語道断。


「バカタレが。何を考えてるんだ」


「さっきから、せんぱい辛辣です……」


「当然だ」


「こ、こうなったら……」


 その時、ぎゅっと俺の手が握られた。

 柔らかい手だ。小さくて華奢な手だ。白くて綺麗な手だ。


 その手の主はシェラ。

 彼女は潤んだ瞳をこちらに向けて、懇願するように「せん……ぱいっ」と俺に訴えるような顔をしていた。


「シェラ……お前……」


 思わずイケボのような声で俺は言い、一旦スープを飲むのを中断して、そんなシェラと向き合った。


 やれやれ……。

 口の端に、ほんの少しだけミルクスープがついているじゃないか……。


 俺はそれを指でなぞって取ってあげた。


 優しく、な。


「せんぱい……」


 可愛い子だ。

 目がクリッとしていて、料理も作ってくれる。

 なにより俺のことを、せんぱいと呼んでくれて慕ってくれる。


「シェラ……」


 俺はそんなシェラの頬に触れて、それから耳にも触れた。


 本当に……可愛いやつだ。


「あっ、ちょっと待った」


 しかし一変して「ごめんなさい」と急に俺から距離を取ったシェラが、苦い顔をして自分の肩を抱いていた。若干、警戒するような気配もあった。


「……ごめんなさい、せんぱい。なんか、寒気がして、ゾワっとした。こっちから、先に動いたのに」


「ほんと、お前、そういうとこだぞ」


 それ見た事か。


 だろうと思ったよ……!


 さっきまで俺の手に触れて甘えてきたのに、こっちがそういう素振りを見せた途端にこうだ。


「私、人から好意を向けられると、引いてしまうんですよね。別にせんぱいのことが嫌なわけじゃないっていうか……いえ、せんぱいはかっこいいですよ?」


 慰めてくるシェラ。

 その慰めが逆に辛い。


「で、でも、ごめんなさい。先輩の気持ちを踏み躙ってしまって」


「別にいいさ」


 謝ることはない。

 それはすでに前世で通った道だ。


 あれは、思春期真っ盛りの中学一年生。

 まだ俺の心が綺麗な、中坊だった頃の話だーー。


 思い出すと、悲しくなる……。

 それがきっかけで、俺は女子というものが怖くなってしまった。


 色々あったんだ……。色々と、な。


 あの女子特有の集団心理。

 男子は男子で大概だ。


 そして俺は、はぐれ者になった。

 それから学校を卒業し、社会に出ても、誰とも恋愛をすることはなかった。


 結局、最後は車に轢かれて死んで、生涯童貞であったーー。



 * * * * * *



「せ、せんぱい。しっかりしてください、せんぱい!」


 どれぐらい自分の世界に沈み込んでいただろうか。

 シェラの声で現在に引き戻された。


「諸行無常なり」


「わ〜〜ん。先輩が壊れた!」


 思い出させたのは貴様だ。

 などという、切なさも今の俺にとっては大したことではない。


 まあ、苦い経験をしてきた俺だが、今では昔と比べればだいぶ回復している。だから、もう大丈夫だ。問題ない。


 それと。


「分かった。いいぜ。好きなだけ、ここにいるといいさ」


「い、いいんですか?」


「ああ」


 俺はつまらない心配をしていたようだ。俺とシェラの間に、何も心配をすることなんてないじゃないか。


「で、でもしょうがないですから、エッチなこと、少しだけならしてもいいですよ?」


「先輩なら、特別です……」と自分の身を抱きながら、どこかよそよそしそうに言ってくるシェラ。


「いつか機会があったらな」


「か、軽く流された……」


 俺は席に座り直し、口元をナプキンで拭いて、手を合わせる。


「ごちそうさま。美味しかったよ」


「ぜ、全部食べてる……。いつの間に」


 美味かった。少しお腹も苦しいが、久々にこんなに食べた気がする。


 さて。食事も終わった。風呂も入り終わった。

 あとはもう寝るだけだ。


「この家にはベッドが二つある。奥の部屋と、手前の部屋。シェラは奥の部屋のを使ってくれ。あっちのベッドは綺麗なはずだけど、一応、軽く洗濯しておくか」


 生活魔法というもので、綺麗にできる。

 クリーンというものだ。


「あと俺は、明日から庭にある畑で作物を育てようと思うから、その間ここは自分の家だと思って、なんでも好きに使ってくれて構わない。分からないことや困ったことがあったら、言ってくれ」


「あ、はい……」


 シェラが頷いたのを確認した俺は、使い終わった食器を洗うためにキッチンへと向かった。

 シェラにはコーヒーを出して、ゆっくりしてもらうことにした。


「……せ、先輩。……めっちゃ優しい」


 それからずっとよそよそしくて、もじもじしているシェラは、次の日「緊張して寝れなかった……」と若干寝不足のように目を擦るのだった。


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