第55話 シエリの平常運転

「で、傭兵たちは全員置いてきたのね」


 ひとりで帰還した俺はシエリに報告した。


「ああ。リーダーのゲモスからは耐性アミュレットを取り上げて魅了した上で、酒宴を開かせた。これで仮に魔法が解けたとしても奴らは酔い潰れて戦力外というわけだ。部屋の奥にいた誘拐担当の傭兵たちにも酒を飲ませている。これでアドバル以外の戦力は無力化した」

「アンタって本当に魅了魔法が好きよねえ……」


 シエリが何故か顔を赤くしながら口を尖らせる。


「ん? それはそうだろう? 敵が味方になれば相手側の戦力を減らしつつ、こちらの戦力を増やせる。魅了した敵は使い捨ての前衛としてよし、敵地に戻して破壊工作させてよし、敵指揮官を背後から騙し討ちさせてよし。極めて有効に活用できる」

悪辣あくらつ過ぎるわよ! セイエレムが聞いたら説法9時間コースよ、それ!」

「バカな。いったい何がいけないんだ……?」

「全部だと思うけど……まあ、あたしはいいのよ? でもほら、ウィスリーがとっちめる分の敵がいなくなったらかわいそうじゃない?」

「むっ、それはそうか……」


 そういえばイッチーも自分たちの出番が欲しいと言っていたしな。

 ウィスリーが戦闘で活躍する余地も残しておかねばならんか。


「それはそうと誘拐の手口も吐かせたんでしょ? いったいどんな手で――」

「シーッ!」


 シエリの唇に素早く人差し指を立てて顔を近づける。


「えっ! な、何……?」


 何故かまた赤面しているシエリに向かって首を横に振った。


「この話はカイルに聞かせられん」


 そう言ってカイルを盗み見る。

 姉の手をぎゅっと握ったまま、こちらの会話に気づいた様子はない。


「な、なんで? あの子は依頼人なのよ。聞く権利があるはずだわ」

「ああ。だが、姉の秘密を勝手にバラすわけにもいくまい」

「秘密?」


 うなずき返してから、慎重にささやいた。


「落ち着いて聞け。カイルの姉は娼婦だ」

「えっ……えええええっ!!」


 落ち着けと前置きしたにも関わらず、シエリが大声で叫ぶ。

 無論、想定内だ。


「ど、どうしたのっ!?」


 驚いたカイルが顔を上げる。


「なんでもない。シエリはときどきこうやって意味もなく叫ぶんだ」

「そうなんだ。おねーさん美人なのに残念なんだね」

「そ、そうね。あははは……」


 ひきつった笑みを浮かべて誤魔化すシエリ。

 カイルが再び姉に視線を落としたのを確認してから、ヒソヒソ声で聞いてくる。

 

「ど、どういうことよ? カイルくんのお姉さんは花売りだって……」

「俺も最初は言葉どおりの意味だと思ったんだがな。弟にいらぬ心配をさせないよう隠していたんだろう」


 自称風俗マスターのサンゲルから聞きかじった話によると、花売りというのは娼婦の隠語らしいからな。


「で、でもそれだけじゃ……」

「そもそも連中のターゲットが貧民街で客を取っている娼婦だったんだ。客のふりをして物陰に連れ込んでから薬を盛り、拉致していたらしい。貧民街の娼婦をターゲットにしたのは当局が動く可能性が低かったからと、貧民街の娼婦が客と駆け落ちして失踪するのが珍しくないからだそうだ」

「で、でもカイルくんのお姉さんは違ったかもしれないじゃない」

「家にあった強力な香水を覚えているか?」

「あれは臭い消しのためでしょ?」

「そうだ。体臭で客に逃げられないためのな。おそらく貧民街の娼婦の間で仕事道具として普及しているものなんだろう。現にこの区画だけはつけている香水で悪臭が打ち消されているしな」


 シエリが絶句する。

 救いを求めるように目を泳がせながら言葉を探していているようだった。


「で、でも、だからって――」

「シエリ」


 俺に呼びかけられると彼女はびくり、と肩を震わせる。


「こんなことを言ったところで気休めにもならないと思うが、君が気に病む必要はない。親もなく金もなければ、女手ひとつで弟を養う手段は……貧民街ではそう多くないのだからな」


 子供の頃に師匠のひとりからもっと酷いスラム街で半年生存するサバイバル試験を課されたことがある。

 多くの闇を見た。

 生きるために綺麗事では済まされないこともしなければならない。

 あの環境下において、金は紛れもなく命そのものだった。


「あたし、貧民街で暮らしてる人のことなんて、今までに気にも留めてなかった。仮にも王族なのに……」


 これまでシエリはカイルに会うまで貧民街の人間とは話したこともなかったのだろう。

 見たことも聞いたこともないものを想像するのは難しい。

 だから、仕方ないと思うのだがな。


「俺も偉そうに意見できるほどの見識はないが……」


 いつもならどういう言葉をかけるべきなのか迷うはずなのに、落ち込むシエリを見ていたら自然と口が動いていた。


「君は今までも王国民のために充分過ぎるほど頑張ってきた。そばで見ていた俺が保証しよう」

「あっ……」


 むっ、シエリがトロンとした目で頬を染めながらこちらを見つめているぞ。

 これは久しぶりにな。


「なんで十三支部なんかを拠点ホームにって思ってたけど、あたしのためだった? あたしの至らなさに気づかせるために、こうなる未来まで読み切って……」

「うむ。すべて完全なる誤解だが、今まで訂正できた試しがないからな。もう無駄な足掻きはしないぞ」

「や、やっぱりそうだったんだ……う、うわあああああん!!」


 シエリがどうして抱きついてきて、なんでまたもや泣いているのか。

 やはり人の心はわからない。

 ただ女が泣いた以上、男の俺が悪いという確信があるのみ。


「あっ、コラーッ! ご主人さまから離れろーっ!!」


 帰ってきたと思しきウィスリーの叫び声が聞こえるが、今はひとまずシエリを泣き止ませないとな……。

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