第15話

弟の転職先は、彼が過去に何度も試験を受けて落ちた職場であり、合格した時は老父母も一緒になって喜んだ。都内のど真ん中にある官庁で、転勤はなかった。身分としては非正規労働だったが、知的労働であることには変わりはなく、昇給もあったし、国内に技師が不足していることと、真面目だけが取り柄の弟にとって最適と呼んでよかった。

できることなら手放したくないのは当然だった。5年以上勤務すれば、別の資格も得られるという職場で働き始めてまだ数年で、家の中が落ち着いていさえすれば、弟の人生は順調そのものだった。

しかし、弟の妻が過労から病に倒れ、脳腫瘍が見つかったが手のほどこしようがないという診断で、片目が見えないまま、妻は勤務に戻ったことで、家庭に亀裂が入り始めた。視力がやや不自由で、脳に爆弾を抱えた状態で、男性並みに働くことが、もともと体力に欠ける彼女にとっても苦労であったことは想像がついた。

弟は、技師に多いタイプかもしれないが、口下手で、優しくてよく気がつくというタイプではなく、「我慢づよさ」だけでそれまでの人生を乗り切ってきたようなタイプだった。だから、自分が選んで結婚して子までもうけた妻が、ヒステリックにわめきはじめると、一体どうしたらいいのかわからなくなった。

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