その8

「閣下、全艦停止しました」

 ヘンデリックがそう報告してきた。


「妙な事になりましたね。

 クライセン艦隊も停止しましたし」

 ヤーデンは気難しい顔になっていた。


「ああ、何ともし難い状況に陥ったのやも知れない」

 オーマの表情はヤーデンのそれ以上に気難しい顔だった。


 ただ、嫌な予感はしているものの、それが具体的に何か原因があるのかと言われると、はっきりしないと言った感じだった。


 ともすれば、何かあさってな方向に考えを巡らせているのかも知れないとも感じていた。


「こちらはホルディム艦隊を迎撃した後、反時計回りで敵本隊の側面を突くといった形ですが、敵は何で止まったのでしょうか?」

 ヤーデンは状況を整理する為に質問してきた。


 オーマの言葉に不安を感じたが、ヤーデンは現状の把握を優先した。


「生意気だからじゃないか?」

 オーマはぼそっとそう言った。


「はい?」

「???」

 オーマの思わぬ言葉にヤーデンもヘンデリックも何とも言いようのない表情になった。


 ……。


 しかも、しばらく待っても次の言葉がオーマから発せられない。


 ヤーデンとヘンデリックはその表情のままお互いに顔を見合わせた。


 当然の事なのだが、何と解釈していいか分からなかったからだ。


「本当に生意気だな!」

 オーマが語気を少し強めて、同じような事を口にした。


 オーマ自身、自分のボキャブラリーの少なさを痛感していた。


 正直、何と表現したらいいのか、分からないと言った思いだった。


 ヤーデンとヘンデリックの方は、困惑したまま再び顔を見合わせる他なかった。


 再び次の言葉がなかったからだ。


 それに、人をあまり悪く言わないオーマが珍しく、人をけなすような事を言っている。


 珍しすぎて、ヤーデンとヘンデリックは対応に困っていた。


 エリオはどうも存在自体が、敵にとって気分を害する働きがあるようだ。


「生意気とはエリオ・クライセンの事でしょうか?」

 ヤーデンは仕方なくそう聞いた。


 ヤーデンは暗闇中を目的もなく無理矢理歩かされている気分だった。


「そう、彼の事だ」

 オーマは忌々しそうにそう断言した。


「しかし、総司令官のクライセン公爵がいるのに、彼が指揮を執るのでしょうか?」

 ヤーデンは素朴な質問をした。


 ヤーデンにとっては訳が分からないので、そう聞かざるを得なかった。


「いや、間違いないな。

 クライセン公爵はこんな戦い方をしない」

 オーマには揺るぎのない確信があった。


 オーマの言葉にはヤーデンも納得する部分もあった。


 だが、「戦い」という言葉には腑に落ちないものがあった。


 この状況で、彼らは戦っているのかという疑問があったからだ。


 それは、2人のやり取りを聞いているヘンデリックも同じ考えだった。


「生意気という事は、クライセン公爵に代わって、エリオ・クライセンが指揮を執っている事でしょうか?」

 ヤーデンはそう聞いてから何を聞いているんだという気分になった。


 この時のヤーデンは完全に頭が混乱していた。


「いや、そうではない……」

 オーマはどこか心ここにあらずといった感じだった。


 何か別な事を考えているのだろう。


「閣下、生意気という事は、エリオ・クライセンがホルディム艦隊と一緒になって攻めてくるような気がするのですが……」

 ヤーデンは更に混乱していた。


「ああ、その場合は小生意気だな」

 オーマは混乱しているヤーデンに対して、あっさりとそう答えた。


「えっ?」

「???」

 ヤーデンとヘンデリックは混乱の極みに陥った。


 そして、ヤーデンは次の言葉が出てこなかった。


 参謀としては、指揮官の考えをきちんと把握すべき状況なのに、それが出来ないので焦りさえ感じられるようになっていた。


「彼は動かない事により、我らに大きなプレッシャーを与えている」

 オーマは再び忌々しそうにそう言った。


 ヤーデンは感情が揺れ動くオーマを久しぶりに見ていた。


 そして、気が付いた事があった。


「閣下……、もしかしたら、戦いたくないだけでは?」

 ヤーデンはふと感じた疑問を口に出していた。


 口に出してから、ヤーデンは詮のない事を言ったと思った。


 まあ、この言葉はエリオ・クライセンという人間の本質をズバリ言い当てたものなのだが、ヤーデンには与り知らない事だった。


「!!!」

 ただ、意外な事にオーマはヤーデンの言葉を聞いてハッとした表情になった。


 何かを感じ取ったようだった。


 そして、一旦考え込んだ。


「そうなると、これは思った以上に厄介な相手やも知れぬな……」

 オーマは今度は深刻そうな顔になった。


「どういう事です?」

 ヤーデンはさっきから考えもしない方向に話が進んでいくので、当惑しっぱなしだった。


「はっきり言って、今回の戦いは戦略的に何の意味もない。

 それを意識しての事だとしたら……」

 オーマは腕組みをして考え込んでしまった。


 ある意味、このオーマの解釈は的を射ているのだろう。


 ただ、やはりなんかズレている事は間違いが無いだろう。


 エリオの才能を的確に評価しているが、考えている事は丸で分かっていないと言った所か……。


「そうなんでしょうか……」

 ヤーデンはここまで来ると、当惑を通り過ぎて、呆れ始めていた。


 どちらかと言うと、こちらの反応の方がエリオをよく評価していると思われる。


 才能を評価した上で、でも、それを発揮しようとしていないよねと感じているのだろう。


 ある意味、その事が状況を読みにくくしているのかも知れない。


「……」

 オーマは無言のまま考え込んでいた。


 無言のままのオーマを見詰めながら、話を整理する為に、ヤーデンは視点を現在の先頭に移した。


「では、このままホルディム艦隊が敗退したら、撤退するという事でしょうか?」

 ヤーデンは既にホルディム艦隊の敗退を予想していた。


 楽観的すぎかも知れないが、状況からそう思うのは無理のないことだろう。


 ただし、ヤーデン自身は楽観論という認識はなかった。


 今後の展開に対する心構えを指揮官と事前に摺り合わせておきたいとの考えからの質問に過ぎなかった。


 でも、まあ、ホルディム伯以外の諸将は、ヤーデンと同じ考えであるのは間違いがなかった。


「彼としてはそうしたい所だろうが、我々の追撃がそう簡単にそれを許さないだろう」

 オーマはヤーデンの楽観論を注意せずに、その後の展開について淡々と話をした。


 淡々と話したのは得体の知れないものを感じていたからだった。


「そうでしょうな……」

 ヤーデンの方はオーマと意見の一致をみたので安心し始めた。


「今回は、彼にとって主導権が握れない初めての戦いかも知れない。

 彼の力量を推し量るにはいい戦いかも知れないな」

 オーマはある意味他人事のようにそう言った。


「……」

 ヤーデンはそれに対して何を答えていいか分からなく、沈黙した。


 意見の一致をみたものの、得体の知れない何かを感じ取ったのはヤーデンも一緒だったからだ。


 ドン、ドン……。


「ルドリフ艦隊、発砲!」

 ヘンデリックから状況報告があった。


(さて、戦いが始まったな……)

 オーマはそう思うと、視線をルドリフ艦隊の方へと向けた。


 - 艦隊配置 -


 As SC   リーラン王国側

   EC


     Hr

     ×

     RH ウサス帝国・バルディオン王国側

   Hi

 OR


 As:アスウェル艦隊、SC:サリオ艦隊(旗艦)、Hr:ホルディム艦隊

 EC:エリオ艦隊

 OR:オーマ艦隊、Hi:ハイゼル艦隊(旗艦)、RH:ルドリフ艦隊

 ---


 第3次アラリオン海海戦は本当の意味ではここから始まったのだった。

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