第24話 覚えているかい

「ならば、どうする」


 その言葉と共に呂桜りょおう夏徳かとくに鋭い視線を向けた。夏徳は臆することもなくそれを平然と受け流した。


「少々お時間を頂きたいですな。周囲の地形などを調べ、策を講じたいかと」

「分かった。だが、明日の夕刻までだ。それまでに良き進言がなければ、明後日より総攻撃に入る」


 呂桜はそう言い残して踵を返した。その後ろ姿を見ながら夏徳は溜息をつく。

 総攻撃とは何とも勇ましいものだと内心で夏徳は呟いた。


 再び愚痴の一つでも言ってやろうと思い、夏徳は薄い黒色の瞳を副官の丁統ちょうとうに向けた。しかし、副官は妙に顔を輝かせて夏徳を見ていた。


「何だ、その顔は?」

「いえ、いよいよ激戦が続く東方で希代の軍師と言われた夏徳様の策が見られると思うと、嬉しさで……」


 夏徳は丁統の言葉が終わる前に口を開いた。


「何が希代の軍師だ。そんなものは尾ひれがついただけの噂だぞ。本当に希代の軍師様だったら、こんな西方の僻地で姫のお守りなんぞしているはずがない」


 夏徳の言葉に丁統は渋い顔をしてみせた。また、そんな捻くれたことを言い出してといったところなのだろう。


 そんなことばかりを言っているから、姫のお守りなんぞをする羽目になるのだと、丁統の顔に書いてあるようだった。


「そのようなことよりも、策を講じる必要がある。西方の弱小国を相手に兵を消耗してみろ。本国から何を言われるか分からんぞ」


 はあとばかりに丁統は頷いている。


「それに、業を煮やした姫様が突撃なんぞして、怪我でもしてみろ。本当に俺たちの首と胴とが離れることになる」

「大丈夫ですよ。我々西方軍には希代の軍師様がおりますゆえ」


 人が悪そうな笑みを浮かべた副官に夏徳は小さな溜息をついてみせるのだった。





 「げん、いよいよね」


 甲冑を着こむ玄を手伝いながら華仙かせんは呟くように言う。少し声が震えていたかもしれない。華仙はそう思い、改めて自分が緊張していることを自覚した。


 戦場では自然体で。父親である威候いこうの言葉が華仙の中で蘇ってくる。


「華仙、怖いかい?」


 そんな華仙の心情を汲み取ったのか玄が尋ねた。華仙は黙って黒色の頭を左右に振った。それに合わせて腰まで伸ばされた黒髪が宙で揺れる。


 怖くはない。いえ、違うのかもしれない。華仙はそう思う。戦い自体に恐怖はなかった。恐怖があるのはきりの国の皆が傷つくこと。そして、玄が傷つくことなのだろうと思い直す。


「大丈夫だよ、華仙。知ってるかい? 華仙は僕が守るのだからね」


 不意にそんな言葉をかけられて、はあと華仙は頷いた。同時に少しだけ顔が上気したかもしれないと華仙は思う。


 そもそも、病弱で剣もまともに扱えないようなへなちょこが、何かを言っているのだろうかとも思う。


「覚えているかい? 二人で母上の薬草を取りに行ったことを」


 華仙は頷いた。また古い話を持ち出したと思った華仙だったが、一方で玄が覚えていたことが嬉しかったりもする。


 あの時、玄が獰猛な熊からもそして、華仙を叱責する父親の威侯からも必死で守ってくれたのだ。


「僕はね、あの時に思ったんだよ。こうして華仙をこれからも僕が守るんだってね」


 華仙は自分の顔が益々上気していくのを感じる。


 違うよ、玄。あの時、私も思ったんだよ。玄が私を守ってくれたように、今度は私が玄を守るんだって。将軍家の娘だからじゃなくて……。


 そう言いたかった華仙だったが、そのようなことは恥ずかしくて言えそうにもなかった。


 それにしてもと華仙は思う。何故、このような話を玄は急にするのか。不意に湧き上がりそうになった不安を抑え込んで華仙は笑顔を浮かべた。


「玄が私を守って、私が玄を守る。完璧じゃない。さあ、行きましょう。威侯将軍や黄帯こうたいが待っているわ」

「ああ、そうだね。いかに上手に負けるか。それを始めるとしよう」


 玄が気負った様子もなく淡々と呟くように言うのだった。

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