第7話 決意

 威候いこうは少しだけ考えるような間を置いた後、意外そうな顔を崩そうとはせずに口を開いた。


「申し訳ございませんでした。事情も訊かずに少々軽率だったかもしれませんな。分かりました。げん様がそこまで言うのであれば、娘の責は問わないこととします」

「それだけではない。華仙かせんを叩いたことも謝るのだ。そうでなければ私はお前を許さぬぞ」


 尚も語気を強める玄に威侯は苦笑めいたものを浮かべた。


「私が娘を叩いたのも早計でした。申し訳ありません」


 しかし、意外にも威侯は素直に非を詫びて玄に頭を下げてみせた。


 小国の将軍とはいえ、どのような時でも大きくて強い偉大な父親だった。その父親が君主に咎められたからとはいえ、自分の非を詫びながら他者に頭を下げている姿を華仙は初めて見た。


 そのような父親の姿に思わずびっくりしてしまって、華仙の涙が止まってしまう。そもそもで言えば、大人たちに禁じられている裏山に来てしまった華仙と玄が圧倒的に悪いのだ。


 頭を下げる威侯を前にしても玄はまだ納得できていないようだった。


「威侯、謝るのは私にではない。華仙に謝るのだ」


 玄は毅然と言い放つ。玄に言われて威侯は華仙に向き直った。威侯のその顔は真剣そのものだった。


「華仙、すまなかった。事情も聞かずに殴ったことは私が間違っていたようだ。この通りだ。許してほしい」


 父親の威侯が頭を下げる姿に何と言えばよいのか分からず、華仙は首だけを左右に振った。


「いいか威侯、自分の娘とはいえ、華仙を殴ることなど、今後も二度と私が許さぬからな。例え華仙が悪くてもだ!」


 威侯の前で仁王立ちとなった玄は再度、威侯の前で告げる。何か無茶苦茶なことを玄が言っていると子供心に華仙は思いつつも、そのような玄の姿には華仙の胸を打つものが確かにあった。


 あの玄が巨大な熊に立ち向かってくれた。そして今、君主の立場とはいえ、鬼瓦みたいな顔をしている威侯将軍に立ち向かってくれている。


 あの気弱で泣き虫な玄が、自分のために……。


 そう思う華仙の瞳から再び涙が溢れ出した。


 思えばこの時からだったかもしれない。将軍家の一人娘として生まれた華仙は、物心がつく前から君主を守るように、君主に尽くすようにと言い含められてきた。


 だが、幼い華仙には今ひとつそれがどういうことか分かっていなかった。でもこの時、間違いなく初めて華仙は心から思ったのだった。


 こうして玄が自分を守ってくれているように、自分も玄を守るのだと。必ず守っていくのだと。





 あれから随分と時がたった。天賦の才もあったのだろう。華仙は女性の身でありながらも武芸を極めることができた。女生とはいえ華仙に勝てる者など、きりの国でそう多くはいないはずだった。


 将軍家に生まれたからということだけではない。この鍛えた武をもって玄の身は必ず自分が守るのだ。あの時、玄が守ってくれたように。華仙の中にはそんな確固たる思いが常にあった。


 東の狩場へ向かうため華仙を伴って姿を見せた玄を威侯が出迎えた。威侯は三人の兵を引き連れていた。


「玄様、珍しく時間通りですな」


 威侯の言葉に皮肉めいた響きはない。単純に感心している響きがあるだけだった。


「そうかな? あまり遅くなるとまた華仙が怒り出すからね」


 玄も威侯の言葉を嫌味と捉えたような様子は見せずに飄々と言葉を返している。


 それにしても、また怒り出すとはどういうことだろうと華仙は思う。そう言われるほど自分は玄のことを怒っているつもりはないのだけれども。


 玄の横で不満そうな顔をしている華仙を見て、威侯が苦笑を浮かべながら口を開いた。


「玄様、このような軽装で本当に東の狩場へ行かれるのですか?」


 威侯の言葉には念を押すような響きがあった。玄はそれに軽く頷く。


「そうだね。もしくまの国の民がいても、このような格好であれば彼らに余計な威嚇を与えることはないだろうからね。そうすれば彼らに変な疑念を抱かれることもないと思うんだ」


「ほう……」


 威侯は肯定とも否定とも取れるような言葉を返している。


 全くもって玄は甘すぎるのだと華仙は思う。以前はともかくとして今現在、東の狩場は霧の国のものなのだ。そこに熊の国の民がいれば、何らかの悪意を持って彼らがそこにいると思っていいはずだった。

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