第13話 半裂

 半裂きと昔は呼んでいた。

 醜悪な、大顎おおあごを持つ両生類で、大きいものでは三尺はある。

 生命力が強く、半分に裂かれても生きているという、そんな伝説がある。大山椒魚と今では呼ばれている。

 私の一番古い記憶は堺に生まれたことだ。

 娘時代には大坂の綿問屋で、母は女中として働き、近所の長屋に住んでいた。

 当時は大坂の中之島と対岸の堂島には、各大名たちの米蔵屋敷が立ち並び、交易の要衝となっていた。器量佳しの母の背中に揺れながら、花火を見た思い出がある。その後は母に連れられて丹波地方に流れたように思える。

 いずれも江戸時代の初期のことだ。母と別れたのはいつの事か。死別ではないとは思う。どうもそのあたりになると記憶が鮮明ではないの。いつしか私は独り身で、その行程は中山道を数十年をかけて北上していく。

 明治となり騒乱が起こりだすと、私は人里を避けて飛騨の山奥に棲んだ。この時期は最も人外の生活をしていただろう。時々は人間の生気や精気を求めて山を降り、彼らを拐かしたり誘ったりしたわ。

 往時は神隠しということで数回の山狩りが行われる程度で、捜索隊にちょっと雹を降らせたり霞をかける程度の怪異で驚かすだけで、畏れをなして逃げ返った。

 山岳を神と同一視していた良い時代だった。

 その生活の中で、水場で半裂きをよく見かけた。

 清流に揉まれる岩陰に潜み、不用意に近づく獲物を待っている。ぬめぬめとした肌をして、岩に擬態している姿から想像もできない俊敏さで、獲物には獰猛に襲いかかる。その乳白色の咽喉をぱっくりと見せて一気に呑み込む。見かけても決して触れてはいけない。一度噛みつくと決して離さない執着心がある。

 半分に裂かれても、諦めないだろう。


 冬が到来した。

 ちょっとほっとしている。

 私の正体は雪女なのだ。

 この高原地帯でも夏の気温はほどほどはあるので、肉体に大気の熱量を圧縮して溜め込んでしまう。それを体温で消費したり、冷気を出して中和もしているけど、無意識に蓄熱してしまうのは雪女にとって大敵だと思う。つまり健康的とは言えないし、肌の艶も曇ってくる。

 夏場はそれを高空に散らしてみたりする。それで夏山の天候が急変したり、風に流されてゴルフ場に雹が降って、TVやtwitterのトレンドに上がったりする。

 冬はやっぱりいい。

 蓄熱量も少なく、気を緩めてしまい冷気も出し放題にしても、誰も不審に思うことがない。ただし不都合もある。

 私の棲むこの樽沢たるさわの神社に、ご依頼の縁が遠くなるのだ。

 空腹感は私にはない。

 雪女に食物は必要なく、人間の発する生気を喰うことでこの身を長らえている。いやむしろそれすら必要なのかとも思う。然しながら怪性の身の、ビタミンとして欲しているという気がする。

 昨今では、神隠しというのはあり得ないので、私はお祓いを行い、持ち込まれた悪霊や鬼の類を喰うことにしている。

 ところがこの神社には車では乗り入れできない。途中から雪道になり、凍結している丸木橋を渡ることになる。余程の覚悟がないと近寄れない。それで黒電話が今でも生きている。

 この神社の本家は山裾にあり、地域の方にはそこは里宮とも呼ばれている。

 だから冬場の依頼はこの里宮から繋がることが多い。

「六花姉、またご依頼が来たよ」と色葉から電話があった。

 私は戯れに滝を凍結させて遊んでいた時のことだ。

「ありがとう、助かるわ」

「でもね、ちょっと不都合があるの。ごめんね、出張になりそう」

「いいわ。退屈していた時でもあるし。遠いの?」

「ううん、県内なんだけど。古井戸仕舞いのお祓いなの。区画整理している時にかなり古い井戸が見つかったの。戦国時代からのものだって。もう水は涸れているんだけど。古いものだし、曰くがあって手出しが出来ないの」

「あなたの眼には何か見えるの」

「うん。武者がいる。何か訳がありそう」と色葉は言う。

 この娘は本家を継承する役回りで、そして隔世遺伝で能力が発動しつつある。祖母が先代を務めていて、千里眼に近い能力を持っていた。私の本性を初見で見抜いてしまったほどだ。

 その先代は既に亡い。

「私に依頼が回って来るって、何か異変があるのよね」

「そうなの。実はね。解体作業に関わった人。現場の監督さんとか、作業員の人、その会社の事務員さんまで体調を崩してしまったの。帯状発疹というんですって。身体の半身に水疱瘡のような発疹が出て、とても痛いんですって。事務員さんなんて現場に行ってもいないのよ」

「それって感染症なの」

「それが違うの。子供の時にかかった水疱瘡が体内で眠っていて、それが不意に出て来るんですって。それが同時にって、やっぱり何かあるんだぁって事で」

 井戸というのは難敵だな、と私はその時思った。

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