タコヤキ・フェイズシフト

 Aさんは、大阪ミナミの路地裏にある「たこ焼きダークマター本店」に来ていた。

 隣には、惑星タウ・セントーリから来た、取引先の営業エージェント、ジャク=ル=ポン氏がいた。


「ここが地球のタコヤキ聖地か」

 ポン氏は4本の触腕しょくわんを器用にたたみ、期待に満ちた4つの目を細めた。触腕の内側に吸盤きゅうばんがチラリと見えた。


 たこ焼きを希望したのはポン氏だった。地球文化体験ため「必ず食べたい」と熱望され、Aさんはネットで評判のこの店を選んだ。


 店は混んでいた。2人のテーブルの上には、たこ焼きの他に、タコのカルパッチョやアヒージョなどのツマミが並び、2人(1人と1エイリアン)は銀河系の経済問題からゴシップまで、楽しく語り合った。


 1皿目のたこ焼きは熱々で、ソースの香ばしさにポン氏はうっとりと4つの目を閉じた。


「たこ焼き追加お願いします」

Aさんは店長と目を合わせ、言葉を交わした。「混んでるので、少しお時間いただきます」と店長は言った。


 しかし――待てどくらせど、追加のたこ焼きは来なかった。


「……時間の相対性理論が干渉しているのかも」

 ポン氏は、腕の吸盤をふるわせながら言った。


 さすがに限界を感じたAさんは、店を出ることを決意した。


「追加のたこ焼きが来なかったから、それは引いておいてください」

レジの店員にそう伝えて、会計をして店を出る。


 だが、レシートを見ると――おかしい。1皿目のたこ焼きすらのっていない。


「まさか……たこ焼き自体が存在しなかったことに……?」

ポン氏の声がふるえた。


「えっ、でも一皿目のたこ焼きは食べましたよね?」

「たこ焼きを食べるとき、たこ焼きもまた我々を食べている……タウ・セントーリには、そのような言いまわしがあります」


 ポン氏は触腕の下の口をモゴモゴとさせた。

 ポン氏の口のまわりについていた、たこ焼きソースがきれいになっていた。ポン氏はソースを味わっているかのように、4つの目を細めた。


 ――――


 自宅に戻ったAさんは、妻に一連の出来事を話した。

「すごい、伝票から消えたからカロリーゼロ、のたこ焼きやん」

妻は当たり前のようにそう言った。


 Aさんは、店長のミスで、追加の注文が伝票に入っていなかった、と考えていた。そして、レジの店員は、一回目のたこ焼きの注文を消して会計をした、これが事件の真相だと思っていた。


 しかし、妻までたこ焼きが消えたと言う。カロリーゼロとはそういうことだろう。Aさんは、自分の中の認識がゆらぐのを感じた。


「……なにかがおかしい」

 Aさんは検索を始めた。ふとしたキーワードの組み合わせで、あるサイトに行きつく。


『フェイズシフト料理研究会』

そこには、こう書かれていた。


“時間と空間の位相差を利用し、記憶のみを満たす料理を提供する”

“摂取の実感はあるが、物理的には存在しない”

“対象は料理であると同時に、観測される現象である”


「そういうことだったのか……」

あのたこ焼き屋は、ただの店ではなかったのだ。


 ――――


 数日後。Aさんは再び、ポン氏とミナミを訪れた。


「今日は3回目の注文を試すつもりです」

「もしまた“出されなかった”ら、我々は食の新たな段階に踏み込むことになる」


 2人は、たこ焼きダークマター本店の暖簾のれんの、2本のスリットをかきわけて店に入っていった。


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