Her Morning Weather(1/2)~晴れやかエモーション~
あとになって彼が同じ中学だったということは把握したのだが、それまで、晴花の視界に彼という男の存在は掠りもしていなかった。
ではなぜ高校になってから彼を見るようになったかというと、四空高校の入学式――壇上で新入生代表の挨拶を行っていたのが天本季刹だったからだ。
それはつまり、その男の入試の成績が首位だったということで、中学校では常にトップの成績を誇っていた晴花にとっては中々に衝撃的だった。
四空高校の入学試験では満点に近い解答をした自負があったし、だからと言って、必ずしも己が首位だと確信していた訳でもないが、自分より上の点数を取った彼のことは気にならざるを得なかった。
勉強――引いては学校の成績は、当時の晴花にとって非常に大切なことだったから。
天本季刹とは同じクラスにもなって、自然と彼を目に留める機会は多くなった。
しかし、天本季刹という男を遠目に観察し始めてすぐ、晴花は首を捻ることになる。
どう見ても、どう考えても、彼が自分より賢い男とは思えなかったからだ。
天本季刹という男は、さほど学校の成績に頓着している様子も見せず、授業中には居眠りさえしていることがあった。
彼はクラス内でも割と騒々しいタイプに属し、晴花が昔から嫌悪しがちな他者に流されまくる軽薄な人種とも仲良くしているようだった。
どうしてあんな男が自分より……という念は抑え切れず、結果的に彼にさらなる関心を抱いた晴花は、自ら天本季刹に話しかけた。
『天本くんは、どんな勉強をして入試首位を取ったのかしら』
突然晴花に話しかけられ、彼は少し驚いた顔をしつつも、こう言った。
『あー……まぁ、基本的にはマジで運が良かったんだと思う。俺もマジでビビったし。そりゃまぁ、入試前にアホみたいに死ぬ気で勉強したからってのはあるだろうけど』
『……? 死ぬ気で勉強するのは当たり前でしょう? つい先日気付いたのだけど、あなたって私と同じ中学校出身なのよね。なのに中学の時はまるで目立たなかったのはどういうことなの?』
『え、なに、俺って朝野さんに認識すらされてなかったの……? 同じクラスだったこともあるんだけど……』
『先に私の質問に答えてもらえるかしら。人と会話をする上での最低限の常識よ』
『お、おう……はい、すみません……。いや、んー、あんまり言いたくないんだけど』
『なに?』
『何でもないです……。マジで笑われると思うんだけど、俺、中三の時にカノジョと別れてさ』
『……それが、あなたの勉強とどう繋がるのかしら』
『いやだから、カノジョにフラれてショックすぎて、それを忘れるためにとりあえずやってたことが勉強だったというか』
『……なに? ふざけてるの?』
『ちょ、こわ……。別にふざけてないです……。マジでそれ以上に言えることはないというか、だから、失恋の気を紛らわせるために自分でも頭おかしいと思うくらいずっと勉強だけやってて、そしたらめちゃくちゃ成績が上がったんです。びっくりだね☆』
『――は?』
『――ひぃっ!?』
晴花と天本季刹の最初の会話は、そんな感じだった。
その会話後、晴花が彼に向ける評価は急降下し、『非常に気に入らない』というものに行き付いた。
それはもう、視界に入るだけで苛々するほどに。
自分が成績の最上位を維持するために間断の無い努力をし続けているというのに、色恋事に現を抜かし、入試前に付け焼き刃の勉強をしただけで自分の上を行った天本季刹が――、あまつさえ、高校入学後は勉強のことなどどうでもいいように振舞い、何も考えていないような人間たちとふざけ合って好きに笑っているその男が、本当に気に入らなかった。
晴花が彼へ向けるその感情には反感めいたものさえ混ざり、浅ましいことだが、事あるごとに天本季刹に当たるようになっていった。
最初は晴花の険のある当たりにビビりまくっていた天本季刹も、すぐに慣れたのか、気付けばしっかりと言い返してくるようになっていた。
それが尚のこと苛立ち、心を掻き乱された晴花は高校最初の中間試験に集中しきれず、首位を逃す結果となった。
天本季刹が晴花よりずっと下の順位だったことが、さらに彼女の心をざわつかせた。
だが、彼が晴花より上の順位だったとしても、結局彼女の心は乱れていただろう。
その時にはもう、天本季刹の成す言動全てが晴花をおかしくしていた。
調子が狂い、父にはもっと勉強しろと叱られ、晴花の胸中に鬱憤が溜まり続けた。
晴花の彼に対する当たりはさらに苛烈になり、そんな己を顧みた晴花が己の醜さに自己嫌悪を覚え始めた五月の終わり――。
天本季刹の晴花への態度が、何の前触れもなく変わり始めた。
それまで、晴花の刺々しい態度に対して同じくらいの棘を返してきていた彼が、急に親し気になった。
晴花が吐く毒にも反発ではなく受け流すような冗談を返してくるようになり、積極的に話しかけてくるようになった。
本当に訳が分からず、悶々と入り乱れる晴花の胸の内では『気に入らない』という思いが膨れに膨れ上がって、抑えが効かなくなり始めていた。
◆〇◆
ある時まで、俺が晴花のことを『マジで何なんだこの女……』と思っていたのは確かだ。
俺が友人たちと騒いでいる側を通り『こんな程度の低い連中と付き合っているなんて、あなたの品性を疑うわ』と場を凍り付かせる発言をしたり、
俺がたまには読書でもしようと、図書室で面白そうな本を引っ張り出した所に通りがかって『私、その本嫌いだわ』と吐き捨てたり、
廊下で気弱そうな女の子にぶつかってよろけさせたあと、謝らずに立ち去ろうとした怖そうな先輩に向かって『謝りなさい』と食って掛かり言い負かして、逆上して手を出してきた先輩を柔術的な何かで投げ飛ばしたり、
一緒に遊ばないか的な誘いを受けた時には男女問わず『興味ないわ』の一言で切り捨てたり、
帰り道に俺と鉢合わせては『気分が悪くなるから私の視界に入らないでちょうだい』と毒を吐いたり、
――などと、例を挙げようと思えば他にいくらでも挙げられるが、とにかく自分のペースを貫いていた。
そんな目立ちまくる自己中心的な振る舞いを、目を見張るような超絶美人(成績トップクラス)がやっているもんだから、晴花は瞬く間に校内の有名人になっていった。
――が、晴花がそうやって注目を浴びるのは中学の時と同じである。
中学の時との違いといえば、無駄に俺に突っかかってくるかそうでないかくらいで、しかし、それが俺にとっては大き過ぎる違いだった訳だ。
どうにも俺が奇跡的まぐれで入試でトップを取ってしまったことが気に入らなかったらしい才女の朝野晴花さんが俺に向ける態度は、日を追うごとに苛烈になって行き、晴花はたぶん気付いていなかったと思うが、俺まで校内の有名人枠に入るようになってしまった。
元々新入生代表ということで若干注目されていた俺は、『何かよく分からんけど朝野晴花といつも喧嘩してるヤツ』的な扱いを受け、妙に熱狂的な晴花ファンからは疑いと嫉妬的敵意を、友人たちからはからかいの言葉を集めるようになる。
その状況が煩わしかったのはそうなのだが、依然として雨月ちゃんと別れたショックを微妙に引きずっていた情けない俺にとって、晴花との言い争いが気晴らしっぽくなっていた部分はあるし、校内中から注目を集める超絶美人から注目されてる俺って役得なんじゃね……? という、謎の優越感さえ覚えていたことも否定はできない。
まぁ端的に言うと、めんどくさいけどまんざらでもない……的なね。
いや別に俺はマゾじゃないよ? 晴花が俺に吐く毒には割と本気でイラつくことも多かったし。
だから、そういう時はしっかりと言い返して、野次馬お望みの言い争いをしていた。
そんな俺と晴花の関係が、傍から見れば『お似合いの二人』っぽく映っていたようで、友人たちからは『結局のとこお前、朝野さんとどうなの?』的な、みんな大好き恋愛ゴシップを期待するような質問をされることが増え始めた。
まんざらでもないとは思いつつも、その時はまだ、『いやいくら美人でもこの女と付き合うのは無理だろ……』という忌避感みたいなものが残っていた。
俺がその気になった所で、彼女は絶対応えてくれないと思っていた――という理由もあった気がする。
しかし、最初の中間試験も終わった五月の終わりくらいだっただろうか。
とある放課後の帰宅中、俺が前方に晴花を発見し、そのまま適度な距離感を保ちながら帰路を辿ったことがあった。
勘違いして欲しくないのだが、別にストーカーをやっていた訳ではない。
ただ、それ以前に帰り道で鉢合わせた時に吐かれた毒が流石に辛辣すぎて、その日の夜にそこそこ落ち込んだ経験があったので、彼女の視界には入らないようにしながらも、だが彼女を避けて別の道を行くのもなんか癪だったという――非常に面倒な思考から導き出された行動だった。
これ晴花が急に振り返ったらどうしよう……と思いながら、気配を殺して歩いていると、道端で大泣きしている兄妹っぽい子供二人が目に留まった。
兄の方が五、六歳、妹の方が三、四歳くらいに見えた。
晴花はそんな二人の前で立ち止まると、視線の高さを合わせるようにしゃがみ込んだ。
一体どういう対応をするつもりだろうか……と、俺はその光景をハラハラしながら道の角に身を隠して見守っていた。
人通りの少ない静かな場所だったので、距離の離れた俺の位置にも、彼女らの会話は何とか聞き取ることができた。
晴花が『何があったのかしら?』と冷静に問い掛け、兄妹は『お母さんがいない』と泣いた。要するに迷子らしかった。
そして晴花は、『あなたが泣いてどうするの? しっかりしなさい』と、明らかに子供に向けるにはそぐわない厳しい表情と口調で、兄の方に淡々と語りかけていた。
こいつは子供相手にも態度を変えないのか……と、俺が若干引いていると、晴花の威圧にビビった男の子が一瞬で泣き止んだのが見えた。
晴花という少女をよく知ったあとになって思うと、別にこの時の晴花は威圧をしたつもりはなくて、ただ自分が正しいと信じる迷子への対応をしただけと分かるのだが――、
晴花さん、基本的に恐ろしいほど愛想がないんですよね……。
その後、晴花は男の子を睨み付け(睨んでない)、『こういう時はより多く経験を積んでるあなたが妹を導いてあげなさい。当然、分かるわよね?』という硬すぎるアドバイスをかまし、恐れおののいた男の子をガクガクと頷かせたあと――、
当たり前のように男の子の手を取って、男の子の反対側の手は妹の手と繋がせた。
男の子は酷く不思議そうな顔で晴花を見上げ、気付けば妹の方も泣き止んできょとんと晴花と兄を見つめていた。奇妙な光景だった。
そうして晴花は粛々と男の子の手を引き、兄妹に色々質問しながら道を行き、通りがかる人がいれば声をかけて、迷子兄妹の母親の情報を集めようとしていた。
俺はほとんど無意識の内に、帰路を外れながらもその光景を追いかけていた。
はい、これは完全にストーカーですね。
結局、迷子兄妹の母親はすぐに見つかって、お母さんはぺこぺこと晴花にお礼をしてから兄妹を引き取って行った。
――ここまでなら、俺はただ朝野晴花という少女の新たな一面を知って、あぁこいつは子供相手にも自分のペースを貫くんだな……と感心するだけで終わったことだろう。
しかしこの時の俺は不覚にも、嬉しそうにお母さんに抱き着いて遠ざかっていく子供たちを静かに見送る――彼女の横顔を見てしまった。
それは致命的に愛想がない朝野晴花の――俺が初めて見る笑顔だった。
その凛と涼しげに整った口元に湛えられていたのは、安堵したような、慈しむような、それでいてどこか切なげな、そっと儚げにやさしい微笑で――
――おい待てそれは卑怯だろ……。
この翌日から、俺は自ら積極的に晴花に話しかけるようになる。
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