Her Night Weather(3/3)~雪解けテンプテーション~
今の俺が男らしいだとか、何事にも動じず立派であるとか言うつもりはないが、それでも今の俺から見ても、小学生の頃の俺は情けない小物的存在であったように思う。
俺は中学に入ってから一気に背が伸びた方だから、小学生までの俺は小柄で非力だったし、友達と喧嘩なんかしても毎回負けて情けなく泣いているような子供だった。
対する雪鳥は、周りと比べても成長が早くて大人びていて、別の言い方をするならませていて、可愛い上に頭の回転も速く要領が良く、周囲に溶け込むのが上手かった。
雪鳥とは、家が近くて親同士の仲も良かったものだから、幼稚園に通う前から面識があったらしい。
……らしい、というのは俺にその頃の記憶がないからで、けど、物心が付いた頃にはもう彼女が俺の側にいたのは確かだ。
雪鳥は昔からずっと、いわゆるお世話好きの気質で、俺や緋彩のことを何かに付けては構っていた。
特に、当時の情けなくて成長も遅かった俺は、そんな彼女にとって格好のターゲットだったようで、比喩ではなく四六時中俺の側に張り付いていた気がする。
朝俺を起こしに来て、着替えを用意して、忘れ物がないか確認して、一緒に帰って、宿題を手伝って、俺が喧嘩をした時は仲裁をしにきて、慰めて、俺の交友関係を気にして。
こうして今思い返すと中々ヤバいのだが、小学校に入る前からそんな感じだったもんだから、俺は大した違和感もなくそれを受け入れていた。
雪鳥のことは、好きだったし。
しかしながら、成長するにつれて俺もその状況の不自然さに気付き始める訳で、小学校の四年生にも上がる頃には、雪鳥が構ってくるのを遠ざけるようになっていた。
めんどくさいし、何より恥ずかしい。
思春期真っ盛りのクラスメイト達に、雪鳥との仲をからかわれるのにうんざりしていた思春期真っ盛りの俺は、それでもなお俺に構ってこようとする雪鳥と、ある時大きな喧嘩をした……というより一方的に俺が怒った。
割と本気でキレた俺に流石の雪鳥も遠慮するようになって、俺たちの間に距離ができた。
俺と彼女が言葉を交わす機会は一気に減り、そこに一抹の寂しさを覚えていても、素直に謝ったりすることができなかった俺は、彼女との間に少し気まずい雰囲気を感じながら過ごすようになった。
その後、昔からずっと雪鳥に頼って生活していた俺は、頻繁に色々な失敗をするようになりながらも、少しずつ、一人でも上手くやっていけるようになっていった。
しかし、そんな小学四年生の酷く冷えた冬の日――。
大量の雪が降り積もったとある放課後に、公園で友人たちと一緒に雪遊びをしていた俺は、本当にしょうもないことでその中の一人と大喧嘩をしてしまい、ついには殴り合いにまで発展したその大バトルに盛大に負けたのである。
今思うとしょうもなすぎて逆に笑えてくるのだが、喧嘩に負けたあとの俺は、それはもう酷い失意の底にいて、日が暮れた公園に誰もいなくなってからも一人で凍えながらその場に残っていた。
いっちょ前に格好つけていた俺は、喧嘩に負けたことが恥ずかしくて、かすり傷だらけのボロボロの状態で家に帰ることができなかったのだ。
防寒着はしっかり着こんでいたものの、その日は特に寒い日だった上に日が暮れてから一気に気温が落ちており、おまけに全力で雪遊びをしたせいで服は濡れていたもんだから、寒すぎて本当に死ぬかと思っていた。
よく覚えている。
それでも家には帰らなかった。意地を張っていたのだ。
ほんとアホだし、バカだった。
寂しいやら情けないやら寒いやら何やらで、アホみたいに泣いていたそんな俺を捜しに来たのが――雪鳥だった。
◆〇◆
小学四年生の頃、色々鬱憤が溜まっていたらしい季刹に『――もう俺には関わるな!』と本気で怒られて、雪鳥は一旦彼と距離を置くことにした。
当時の雪鳥は、そんな風にキレた季刹を、反抗期が到来した息子か年の離れた弟を見るような気分で受け止めていて、まったくしょうがないなぁ……と思っていた。
(――きーくんがわたし無しでちゃんとできる訳ないのになぁ)
小さい頃からずっと、季刹のことは雪鳥が面倒を見てきた。
季刹は弱虫で、泣き虫で、よくドジをしていて、情けなくて、残念な所が多くて、可愛くて、雪鳥の好きな匂いがして――。
だから、自分が側に居てあげないといけないといけない――そう思って、それを疑うことすらしていなかった。
こんな季刹を正しく支えてあげられるのは、昔からずっと一緒にいる自分しかいないのだ――と。
怒った季刹が雪鳥と距離を取るようになったあとも、どうせすぐ自分に助けを求めてくると考えていたから、最初の方は特に焦っていなかった。落ち着いて、季刹の様子を遠目に見守っていた。
しかし、季刹が中々自分を頼ってこようとせず、それどころか、少しずつ自立した生活を送れるようになっていると気付いてからは、少し不安になっていた。
もしかして自分は、彼の側に必要ないのではないか?
――そんな思考が過ぎるようになって、焦りが産まれ始めた。もしそうなったら、自分が彼の側にいる理由がなくなってしまう。
(――どうしよう。わたしは、きーくんと一緒にいたいのに)
そして、雪鳥が微かな不安と焦りを抱えながら過ごしていた冬の寒いある日、季刹の母親から、雪鳥の家に電話がかかってきた。
曰く、季刹が家に帰ってこないから雪鳥ちゃん何か知らないかな……? という内容の話だった。
その時、既に窓の外は真っ暗で、少し吹雪いてすらいて、仮に季刹の身に屋外で何かあったのだとすると、それは大事に至っているかもしれないと思った。
季刹が無事なのかどうかを考えると気が気じゃなくなって、雪鳥はこんな夜に一人で外に行くのは危ないと言う親の目を盗んで、外に飛び出したのだった。
デイパックの中に乾いたタオル数枚と熱いお茶入りの水筒を入れて、何重にも服を重ね着して、念のために防犯ブザーもポケットに突っ込んでから、懐中電灯を点けて夜の町を走り、放課後の季刹が寄りそうな場所を順に捜した。
結局季刹はすぐに見つかって、彼は近所の公園のドーム型遊具の中で凍えていた。
どうやら大丈夫そうな――情けなく泣いている季刹を見付けてホッと安堵した雪鳥は、彼を安心させて包み込むような温和な微笑みを浮かべると、彼の側に歩み寄った。
『大丈夫だよ、きーくん。きーくんの側にはわたしがいるからね』
涙と洟にまみれてぐしゅぐしゅになっている季刹の顔をタオルで拭いて、自分が巻いていた長いマフラーを半分分けるように巻いて、凍えている彼を温めるように身をすり寄せながら、熱いお茶を注いであげた。
所々怪我をしている様子の季刹を見て、何があったのかは何となく想像付いたが、あえてそこには触れないようにした。
ただ『大丈夫だよ』と優しく声をかけながら、彼の頭をよしよしと撫で続けた。
その時、雪鳥は、酷く情けなく、可愛く自分にすがってくる季刹を全身に感じて、ゾクゾクと、得も言われぬ充足感を覚えたのだった。
(――やっぱり、きーくんの側にはわたしがいないとダメなんだ)
確信した。季刹が何と言おうと、彼の側には自分がいるべきなのだ――と。
ずっと支えて上げないとダメだ。だとすれば、季刹と結婚するのは自分しかいない。
『きーくんが大人になったら、わたしがきーくんのお嫁さんになってあげるね♡』
いつか結婚するなら、今の内から恋人になっておくのが良いだろう。
そうだ、それがいい。
恋人同士ということになれば、今まで以上にずっと一緒にいられるようになる。
その日から、雪鳥は季刹に熱烈なアタックをかけるようになった。
『付き合うとか恥ずかしい』と言って逃げようとする季刹を、季刹の友達やクラスメイトや先生や彼の家族なんかも利用して外堀を埋めて、少しずつ逃げ場を封じていき、季刹が雪鳥を好きであるという事実を認めさせて、ようやく付き合う段階にまで漕ぎ付けたのが、小学五年生の十月頃だった。
季刹の恋人になれて、雪鳥は嬉しかったし、幸せだった。
まるで一足早く彼のお嫁さんになったような気分で、彼の面倒を見てあげながら、思う存分イチャイチャしようとした。
ほぼ毎日朝昼夕とそれぞれ最低一回ずつはキスとハグと『好き』の言葉を交わして、一緒に手を繋いで学校に行き、毎週末には必ず二人きりで過ごす時間をつくり、友達と遊ぶ時はどこで誰と遊ぶのかをお互いに報告すると義務付け、毎晩寝る前に通話を繋ぎ、お揃いのアイテムを二人で身に着けるようにした。
だが結局、そんな関係も一年と少しが過ぎた頃になって、季刹が『ごめんなさいもうマジで本当にもうマジで無理です』と別れを切り出してきた。
季刹に言わせれば、一年以上もよく耐えたよな俺……? ――という感じなのだが、雪鳥は不満だった。
季刹と別れないように画策することも無理ではなかったが、これ以上しつこくすると本格的に彼に嫌われる可能性がありそうだったし、流石にちょっとやりすぎたかな? と、思う部分もないではなかったから。
それに、季刹は恋人として付き合うのに疲れたというだけで、雪鳥との縁を切ろうとしている訳ではないようだったから、雪鳥は『まぁそれでもいいかなぁ』と思って、しぶしぶ別れることを了承した。
一度別れたからと言って、将来彼と結婚できなくなる訳でもないのだから。
――そんなこんなあって小学校の卒業が差し迫った時、雪鳥は親の仕事の都合で地元から離れざるを得なくなってしまった。
初めは意地でも季刹の家に住み込んで地元に残ろうとしていたのだが、当時まだ小学生でしかなかった雪鳥のできることには限界があり……。
結局、季刹とは遠く離れた中学校に通うことになってしまった。
それでも便利なこの世の中だから、ラインやら通話やらで季刹との関係は続いてたし、雪鳥もその状況を甘んじて受け入れていた。
そして月日は流れ、互いが中学二年生になったある日のこと、珍しく季刹の方から電話がかかってきて、どこか申し訳なさそうな口調でこう言われた。
『――俺、好きな子ができた』
それが、何だかんだ真面目な彼なりの誠意であると理解した。
自分を好いてくれている元恋人の、定期的に連絡を取っている異性には、言うべきだ――と。
そう、季刹は何だかんだ真面目なのだ。
雪鳥は予感してしまった。もしこのまま季刹がその好きな子と上手くいった場合、彼は雪鳥と連絡を取るのを控えようとするだろう。
そもそも、彼と付き合っている時、異性との接触を厳しく制限していたのは雪鳥の方なのだ。
まずいと思った。
このままだと――まずい。
とりあえず雪鳥は土日を利用して、遠く離れた季刹の元へ直接赴くことにした。
季刹と直接会うのは一年と少し振りで、見ない間に成長期が訪れていたらしい彼は一気に背が伸びて男らしくなっていたが、中身は何も変わっていなかった。
そうして、雪鳥は季刹と直に話して、こう結論付けたのだ。
そうだ。都合の良い女になればいい――と。
最後に選ばれるのが自分であればいい――と。焦ってはいけない――と。
『――きーくんの恋、わたし、応援してあげるよ!』
あくまで自分はもう、季刹と本気で付き合う気はないのだと、暗に仄めかすように、季刹にとって安心できる都合のいい存在であろう――と。
これなら、季刹との繋がりが薄れることもない。季刹が自分以外の誰かと付き合うことになっても、所詮学生の恋愛。どこかで別れるに決まってる。
自分は適度な距離感で絶好の機会を見逃さないようにすればいい。最終的に彼の側にいるのが自分であればいい。
それが一番いいと己に言い聞かせた。
その後、雪鳥のアドバイスの甲斐あってか、季刹は常昼雨月という後輩の少女と付き合うことに成功した。
そんな報告を聞いても、自分で思うよりショックではなかった。
(――うん、大丈夫。わたしはちゃんと冷静だ)
その約一年後、季刹が雨月と別れたと聞いた時は『ほらやっぱり別れた』と思ったし、また別の少女と季刹が付き合うことになったと聞いても、『まったくきーくんってば色男だなぁ』くらいにしか思わなかった。
真に彼に相応しいのは自分だと確信できているからこその安心感だと思った。
そして、繰り返される親の都合により、雪鳥が地元に――季刹のいる場所に戻ることが決まったのは、高校一年生の終わりのことだった。
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