第40話

 周囲に広がる闇は、所々がその体をオレンジ色の光で引き裂かれていた。

 申し訳程度に置かれている魔力灯が、ディルの視界をある程度は確保してくれている。

 魔物の心臓にある魔石と呼ばれる部位を光へと変えることにより生まれたこの光の下を転々としながら、ディルはとりあえず人の多そうな、そしてできれば喧騒が交わす言葉を隠してくれるような酒場を探すことにした。


 ディルはまだ相手の存在がどれほど大きなものなのか、それすらもわかっていないのだ。

 例えば悪口を言っただけで即座に殺されてしまうような大物なのか、それとも市井の人間達からは嫌われている鼻つまみものなのか。そういうことを尋ねるのなら、あらゆることをお酒で流せてしまえる酒場が良い。

 人間酒を飲みほんの少し気持ちを輝く硬貨として渡せば、ある程度口は軽くなるものである。

 歩いているととりあえず、一ヶ所大きめな酒場が見えてきた。

 周囲の闇を照らし出す灯りと辺りの沈黙を打ち消すどんちゃん騒ぎは、自分が求めていた理想そのものである。

 よし、それじゃあ気張らずに行ってみるとしようかの。

 ディルは特に気負った様子も見せずに、ゆっくりと酒場の木戸を開いた。




 彼が中に入るとまず見えたのは、扇情的な服を着たウェイトレスだった。

 そういう楽しみというやつがあるのだろうか、それともただ単にお捻りを期待してのことだろうか。彼女達は媚びを売りながら、フロアの中を飛ぶように回っている。

 立ち飲みのカウンターがいくつかと後ろの方に丸テーブルが幾つか。スペースはそれほど大きくなく、規模と席数が比例していないように思える。

 どういうことじゃろうかとあたりを見ているディルの耳に、金管楽器の鳴らす高く澄んだ音が響いた。テーブルの奥、薄暗がりになっているスペースでは男女が音楽に合わせ適当に踊っている。

特に入り口に入場規制があるようなこともなく、ディルは空いている縦長のテーブルに向かった。するとすかさず店員がやって来る。

 

 明らかに値段と内容の釣り合っていない料金設定を聞き、こりゃ来る場所を間違えたかもしれんと思いながらも一番安いワインを頼んだ。

 結局孤児院のために買った食料代金を差し引いても、今のディルには金貨三枚分の資金が残っていた。

 本来ならばこれだけあれば十分なのだが、今回は色々と入り用になる可能性もある。

 無駄な出費はなるべくなら控えたいんじゃがのぉとこんな高い店に来たことを若干後悔し始めるジジイ。

 やって来た店員に銀貨一枚多めに料金を支払うと、胸元のざっくり空いた女がわかってるじゃないとばかりにウィンクをよこした。


「いらっしゃいおじいちゃん、そんな年になっても元気なのね」

「ここにいる男で、この街のことを知ってる男はいるかの? お酒が入ると口が回るような、そんな奴だと好都合なんじゃが」


 彼女の手を掴み、内側に銀貨一枚を握らせる。

 チップの効果はてきめんで、少し残っていたこちらを侮るような視線はすぐに消え、彼女がにっこりとした笑顔である場所を指差した。


「あそこのお気楽エディなんかいいと思うわよ、それじゃね」


 ヒラヒラと手を振りながら盆を持ち、次の客へ酒を渡しに行く女。金の分だけの働きはしたとでも言いたげなそのカラッとした態度は、ディルにとって好ましく思える。

 とりあえず言われるがままその男の元へ歩く。

 行き掛けに再び先の女に金を握らせ、右手に持つ盆から酒を一つ頂戴した。

 それを左手で持って歩いていき、空になったコップを未練がましく見つめている男の目の前に差し出した。


「どうじゃね一杯、わしのおごりで」

「じいさん気前いいなぁ‼ ありがたく飲ませてもらうぜ‼」


 最低限だけ整えられた、数日前に剃ったと思われる顎の薄い髭。ぼさぼさとした頭髪にだらしのなさそうなゆったりとした服。歯は数本欠けており、残っているものはどれも真っ黄色。

 なるほど、話を聞くのにこれほどあと腐れのない人材も他にないだろう。


「んぐっ、んぐっ……ぷあっ、やっぱりディスコンシン産のワインは酸っぱぇや‼ ああ勘違いするんじゃねぇぞじいさん。この酸っぱさがな、慣れてくるとクセになるのよ。酸っぱいっていうのはこのワインにとっちゃ誉め言葉みたいなもんなのさ‼」

「さてエディ、ちょっと聞きた……」

「ちょっと、ちょっとだって⁉ このエディに向かってちょっとだなんて言葉を使うべきじゃないぜ。やっぱり男がビッグになるためには、そういう謙遜っていうかなんていうか、とにかく自分とか程度を小さく見せたりするのはいけないと思うんだよ俺は‼ 聞くならもっとビッグに聞け‼ ガッツリと聞いてこいよじいさん‼」

「それじゃあビッグに聞きたいんじゃが……」

「ああ聞いてこいどんと聞いてこい。だがなぁじいさん、話をしっかりと聞かせるためには、人間スタミナってもんが必要だ。わかるか、つまり命の水があってこそジガ国中に知れ渡る俺の弁舌が冴え渡るってわけだ‼ 清らかな清流よりも澄み、荘厳な丘陵よりも鋭い舌鋒が火を噴かせるには、それ相応のもんが必要ってわけだな」

「……それならもう一杯……」

「もう一杯? バカなことを言っちゃあいけねぇよ。見ず知らずの人間に酒を奢るそのじいさんの人徳に俺はいたく感動してるんだ‼ 人間っていうのは年を取れば取るだけ硬くなっていく。だがじいさん、あんたはしなやかな柳みたいな人間だ。硬軟織りまぜられるその理知に敬意を示し、今なら俺がどんな質問にだって答えてやろうじゃあないか‼」


 ディルはもう、喋る気力を失いかけていた。

 ただの酔っ払いというには少しばかり弁が立つようだが、まともに話を聞けるような男ではなさそうだ。

 痛い出費じゃのうと考えため息を吐くジジイの脳内に警鐘が鳴った。

 即座に見切りを使用すると、エディが自分の側頭に自分の顔を寄せるのがわかる。


 見切りを使っておらんというのに、今のは一体どういうわけじゃろうか。

 そもこの男ではわしのことを倒せるわけも……


「じいさん、その剣をしまう鞘、早く作った方がいいぜ。ギアンじゃともかくこっちじゃあ、黄泉還しトータルリコールを知ってる人間がいてもおかしくはないからな」


 ディルは思考を止め、もう一度ゆっくりと溜め息を吐いた。

 なるほど、こりゃ一発目から大当たりを引いたようじゃな。

 ディルは店を変えようと提案し、親指を出入り口へと向ける。

 同意の意を込めたエディが笑顔を見せる。ところどころ欠けている歯のせいで、どうにも間抜けに見えた。

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