罠。後に絶望を5

 


 よしよしと琥珀色の頭を撫でつつ、唖然とするノアールが見る見る内に激情を露にするのを愉しげに眺めた。下手な劇作家が書いた脚本も演者の実力次第では化ける。今度お勧めの劇を観に行こうとリシェルを誘おう。王国には有名な劇場があり、毎日のように公演がされている。魔界にも似た娯楽はあるだろうが過保護リゼルは行かせない。

 ビアンカを貰う発言。理由は言った通り、天使達のストレス発散。大きく開き掛けた口を手で制して。



「訳を教えよう。天使は清廉潔白に見えて娯楽は好きでね。裏切者や堕天使の公開処刑を好んで見る」

「悪趣味な奴等だっ」

「違いない。天使はストレスに弱い。故に、多少の汚さは目を瞑ってストレス発散をする。君の浮気相手、強い魔力を持っているし、頑丈そうだからちょっとくらい突いても簡単には死ななそうだから天使に渡すよ。彼等は大喜びするだろうね」

「悪魔のくせに天使側につくというのか!?」

「だって私が住んでるのは天界だからね」

「なっ」



 エルネストからは友人と知らされているだけで天使とは一言も聞かされていない。

 本当は天使でもないのだが、天界出身者なのは事実。

 驚き、固まったノアールは治癒魔法を掛ける手は休めない。出血は止めたようで。リシェルを片手で抱き、空いた片手を前に出して掌を下に向き。人差し指を曲げた。



「あ……!」



 ノアールの腕の中からビアンカを出し、体を急上昇させていく。意識はあったビアンカが悲鳴を上げる。



「ビアンカ!」

「殿下あぁ!!」

「ビアンカに何をする気だ!」



 上昇が続くビアンカの悲鳴。激昂し、魔法を飛ばす寸前のノアールには呆れしかない。

 リシェルを外界の音から切り離して正解だった。ノアールの頭にはビアンカしかいない。


 飛び掛かる直前にノアールの体を光の輪で拘束。危害を加えられない苦肉の策。無理に外そうとすれば拘束力は強くなる。強い締め付けに顔を歪めるノアールを魔法で仰向けにした。遠い空の上に漂うビアンカの周囲に何かが集まりだした。


 大きく鳴る羽の音。

 次第に姿が見えて来た。



「あれは……」



 大きな白い翼を背に生やし、様々な武器を持った大勢の天使がやって来る。

 今回は開始の合図無しに悪魔狩の追試は開始されたと告げれば、彼の整った相貌は面白いくらい絶望に染まっていく。

 次期魔王の恋人と知らなくても、容姿から上位の悪魔だと判断される。目に見えない力でビアンカは拘束されているせいで暴れることすら不可能。唯一自由な声でノアールに助けを求めていた。



「止めろ、天使を止めろ!」

「悪魔を狩る天使を止める? 天使の私に言うの?」

「……」



 自分の言っている言葉の矛盾に気付き、助けることも天使を追い払うことも叶わないノアールは力なく空を見上げるしかなかった。


 天使はまだまだ集まって来る。

 攻撃はまだしていない。ネロの予想が当たっていれば、天使達は集まり切ったところで一斉に攻撃を仕掛ける筈。誰がどう見ても罠だと分かる光景なのに、とネロは嘆息する。ビアンカの周囲に自分の神力を混ぜて正解だ。


 ネロ――ネルヴァからのプレゼントだと勝手に思い込んでくれている。

 押しに弱い甥っ子の為。彼の側にもリゼルのような鬼畜でも優秀な補佐官がいてくれたら……。と言おうものなら、神の座を押し付けるなと泣かれてしまう。リゼルが魔王にならないと知った時点で神になる気が失せた。

 リゼルが魔王になったら、自分も神の座に就き。

 魔界と天界を全面衝突させる。のがネルヴァの野望であったが、エルネストが魔王になると知ると神の座を離れ人間界に降りた。後継者のいないネルヴァが退けば、神が不在という前代未聞の事態となる。聞く耳を持たないネルヴァを弟夫妻が練りに練った策で天界に留まらせた。

 夫妻に子供が生まれ、神の座に就いても十分な子に育ったら退いてもいいというもの。


 やる気のやの字もなかったネルヴァも渋々受け入れた。

 ……実際に甥が生まれたのは二十数年前。約二百年近くは神の責務を全うした。態と子作りしなかっただろうと詰っても周囲が全面的に夫妻の味方をしたせいで逃げられてばかりだった。


 今回の悪魔狩追試。開始の合図を出すという決まりを、功を焦った上層部に押され甥っ子は渋々認めた。



「王子様」



 呼んでやると虚ろな瞳がネロに向けられる。



「しっかりと見ておきなさい。愚か者の末路を」



 人間に救いを齎す天使さながらの、慈愛に満ち溢れた微笑みはノアールとビアンカにとっては死刑宣告と同等。


 天使達が一斉に武器を振り上げた。


 ――直後、空は炎に包まれた。広大な空が炎に染まっていき、燃えた天使達が次々に落ちてくる。



「面倒くさくてもルールは守らなきゃ」



 涙が引っ込み、もう音も遮断しなくてもいいとリシェルを慰めていた手をそっと離したネロは額にキスをしたのだった。


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