理由もなくはしない

 

 最初は定番の苺ケーキから。小皿に苺ケーキを載せ、フォークを持った。軽く力を込めただけで切れたスポンジにクリームを沢山絡め、口へ運ぼうとしたら。食べるのを眺めていたネロがある提案をした。



「私が食べさせてあげるよ?」

「いらないわ。自分で食べれる」

「こういうのはね、定番の食べ方というものがあるんだ」

「ネロさんに食べさせてもらうのが定番なの?」

「私がというより、デートに来た男女なら誰もがするよ」

「……」



 恋をしようと自分から言い出したネロは、有言実行のつもりでリシェルに提案をした。最初の一口は自分で食べた。予想通り美味しい。甘酸っぱい苺と甘いクリームの相性といったら。仄かに甘いスポンジのお陰で甘すぎず、バランスが取れている。

 誰もが……ノアールとビアンカも経験済みな可能性が高い。


 ノアールが再び姿を現すか不明なのに、リシェルは彼はまた来るだろうと踏んでいた。諦めの悪いノアールのこと、目的達成の為なら何度だって来る。自分を連れ戻して彼は何をしたいのか。



「殿下は……」

「うん?」

「私を連れ戻して何がしたいのかな」

「さてね。王子様本人に聞いてみたらいい」

「話してくれないわ」

「そうかもね。そうなら、私が無理矢理聞き出してもいい」

「あまり手荒な真似はしてほしくないの」



 理由を知りたくても傷ついてほしいわけじゃない。

「リシェル嬢」と呼ばれるとフォークの先に刺さったチョコレートケーキを向けられていた。



「ほら、あーんして」

「じ、自分で食べられるよ」

「いいからいいから。慣れておくと後々リシェル嬢にとっても都合が良いかもよ?」

「どうして?」

「内緒。さあ、口を開けて」



 小さい子がされるみたいにあーんをしてみた。誰かに食べさせられるのは、幼い頃リゼルにされて以来。成人を迎えて間もないリシェルは恥ずかしさが込み上げるも、次のチョコレートケーキを差し出され口を開けた。

 チョコレートケーキがなくなるとネロは手を下ろした。周囲からの視線が痛くて恥ずかしかったがやっと終わってホッとしたのも束の間。フォークを持つ手を掴まれた。



「今度は君が私に食べさせる番だよ」

「私もするの!?」

「私だけなんて不公平じゃないか。うん……そのチーズケーキがいいな」

「う、うん」



 ネロがしてくれたなら、自分もお返しをしないと。選ばれたチーズケーキを一口サイズにフォークで切り、瞳を輝かせて待っているネロの口元へ運んだ。小さな口がチーズケーキを含んだ。チーズケーキからフォークを離し、下唇に付いた欠片を舌で舐め取る仕草が厭らしい。



「っ……」



 ネロに食べさせられていた時以上の恥ずかしさを感じて顔に体温が集中してしまう。主導権はリシェルが握っているのに、実際はネロが握っている。

 次はと促され、また一口サイズにチーズケーキを切った。同じ動作でチーズケーキをネロに食べさせた。チーズケーキを食べるネロを見ているだけで恥ずかしくなる。淫靡な気分にさせてくる。


 リシェルの気持ちに気付かない訳がないネロの純銀の瞳が茶目っ気たっぷりに光った。



「どうしたのリシェル嬢? 顔が真っ赤だよ。今は君が私に食べさせているのに」

「そうだけどっ」

「食べさせるだけで恥ずかしがってちゃ、キスまでの道程が遠いよ」

「キス!?」



 思わずフォークを落としそうになり、慌てて膝の上でキャッチした。予想外な発言をするから手から力が抜けてしまった。赤い顔で慌ててしまう。ネロに恋をしようと提案されたが、彼は本気でリシェルを好きになるつもりなのか。リシェル自身、まだ気持ちの整理がつかない。

 昨夜のノアールの一件があるせいで。



「キスなんて…………好きな人じゃなきゃ……出来ない……」

「君はやっぱり初心というか、箱入り娘というか。魔族の女の子でこうも経験不足なのは君くらいなものだ」

「うう……」



 悪気があって言っていなくてもリシェルの心を太く鋭く刺す。子供っぽいとは本人も自覚済み。練習を重ねれば慣れると過激な恋愛小説を読んだり、女の子達が出会いの場として利用する夜会に繰り出そうとするも。どれも、リシェルの行動監視を命じられている屋敷の使用人達が阻止してくる。

 大人になったのだから大丈夫だと、長い時間リゼルを説得して漸く参加した仮面舞踏会があった。

 仮面をしているから素性はバレない。が、開始するなりひっきりなしに男性から声を掛けられた挙句、男女がそこかしこでキスをしたり会場を出て用意された客室へ入って行くのを目撃しただけでリシェルは限界を迎えた。気絶したリシェルは即リゼルに屋敷まで運ばれ、以後は厳禁となった。


 リシェルなりに努力をしている話をしたら、ネロは苦笑を浮かべていた。



「努力の方向性が違うというか、まあ……よくリゼ君が許したね」

「頑張ったんだよ!」

「頑張りの方向が違う……ってさっきも言ったね。リゼ君、君と王子様が相思相愛でも最終的に結婚は許さなかったんじゃないかな」

「パパはしない。私と殿下がまだ仲良しだった時は、私が将来殿下のお嫁さんになるのが夢って言ったら笑って頷いてくれたよ」

「君の前ではそうでも、王子様の前では分からないよ?」



 違うと言いたかったが実際はどうだったのだろう。リシェルがリゼルとノアールがいる場面を目撃しだしたのは、関係が悪くなってから。

 リシェルを放置し、ビアンカと仲睦まじくするノアールがいるパーティーにいるだけで肩身の狭い思いをするリシェルを気遣って屋敷に帰ろうとリゼルが転移魔法の魔法陣を展開するなり、ノアールがすっとんで来た事があった。その時はビアンカじゃなく、自分が……と期待した。が、ノアールが飛んで来たのは――



『王太子の婚約者であるお前が誰よりも早く帰ってどうする』と説教をする為だった。喜びは霧散した。見る見る内に落ち込んでいったリシェルは転移魔法で屋敷に帰還し、数十分経過後戻ったリゼルにその後を聞いた。


『気にするな。誰に物を言っているのかあのノアール大バカに少々分からせていただけだ』と虫けらに対して吐き捨てる物言いにノアールの安否が気になった。翌日、妃教育を受けにリゼルと登城したら全身ボロボロのノアールと鉢合わせた。リゼルの顔を見るなり青褪めるも睨み付けるのは忘れなかった。

 リシェルとは目も合わさなかったのだ。


 リシェルが知らない所でリゼルは何度もノアールに暴力を振るってはいたんだろう。



「……パパは、理由もなしに誰かを痛めつけたりはしない。殿下がパパにボコボコにされるのは私が理由だったから」

「ああ、やっぱりボコボコにされてたんだ」

「うん。心当たりがあるのが何度かね」

「リゼくんって容赦ないから……」



 遠い目をするネロはリゼルにボコボコを通り越して半殺しの目に遭った身。容赦のなさを誰よりも知ってそうである。



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