魔法レッスン ビギナー編

 井戸で水を汲むと、ポットの底を覆うように手を押し当てた。


 イメージしろ。手の平から少しずつ……少しずつ……。じわりと手の平に魔力が集まるのを感じる。


 イヴがいつもやってることを真似するんだ。


 そのままゆっくりと……炎じゃない……小さな火でいい。イメージするんだ。


 こぽり、とポットの中の水に、小さな泡が立った。


 火は全く出てないけど、確実に熱は生まれてる!


 それはポットの中身を沸騰させるだけの熱を持ちながら手の平にはダメージを与えていない。


 少し熱い程度の温かさだ。


「‥‥やった!出来た!」


パァン!!


 突然ポットが中身の熱湯もろとも粉々に弾け飛んでしまった。


 気が緩んで、一瞬集中力が途切れた途端これだ。


「アッチチチチ!」


 沸騰したポットの底は俺の手にダメージを与えなかったのに、飛び散った欠片と熱湯は、容赦なく俺に痛みを与えてくれた。


バッシャアアアア


 熱さと痛みに転げまわっていたら次の瞬間水浸しになっていた。


「へぶっ…」


 鼻に水が入って痛い。


「大丈夫ですか?」


 イヴが水を俺にぶっかけたらしい。


 夜が明けきらない冷えた外気と、汲み上げたばかりの水の冷たさに震えながら、俺はコクコクと頷いた。


 それを確認すると、俺に歩み寄り着ていたガウンを俺に被せてくれた。


 さむい!痛い!またミスった恥ずかしさ!


 色んな感情が渦巻く中、俺の目はイヴの体に釘付けだった。


 ガウンに隠されていたイヴの白い夜着は、とっても薄い布だったからだ。


 むき出しだった腕や顔に、チリチリと火傷の痛みを感じたが、イヴの存在は何よりもの鎮痛剤だった。



 俺を椅子に座らせると一瞬イヴはその場を離れた。


 戻ってきた時には、タオル代わりの布と俺の着替えを持ってきてくれていた。


 残念だが、夜着から普段の黒いワンピースに着替えていた。


 早着替え魔法でも持ってんの?



 何が起こったかもう察してるだろうに、何も聞かず俺の体を拭いて着替えを手伝ってくれた。


 幸か不幸か、下着まで濡れていなかったので下着はそのままだけど。


 それから俺の火傷の具合を調べて治癒魔法を掛けてくれた。軽度だったのと、処置が早かったせいだろう。


 ヒリヒリとした痛みは完全に消えた。


 治療が終わったら、イヴは新しい乾いた布で俺を包むと、立ち上がってお茶を淹れようとした。


 でもポットがないことに気付いて、代わりに紐水筒で、お湯を沸かし、お茶を淹れてくれた。


「……ごめん、ポット壊した……」


 おずおずと俺が謝ると、イヴは俺の隣に座った。


「はい」


 いつもどおり淡々とイヴが答える。


「……自分で言うのもおかしいけど、イヴはもっと俺を怒っていいと思う……」


「…ふふっ」


 小さいけど絶対聞こえた。初めて聞いたイヴの笑い声。



 イヴの顔を見上げると、もう既にいつもの能面に戻っていた。


 早着替え魔法以外にも、高速ポーカーフェイス魔法もお持ちで?


 でも聞こえたよ。なんで今笑ったのか分からないけど。


 もしかして自虐ギャグがツボ?


 すごく柔らかくて穏やかな君の笑い声。


 こんな感じかなって想像してた通りだった。


「ポットは直せるので大丈夫です」


「マジで?じゃあ俺が直すよ!直し方教えて!」


「体が温まったら、お願いします」


 お茶を飲み終わる頃には、俺はもう寒くなくなってたから、二人で裏の井戸までもう一度行った。


 丁度、日の出の時間だったみたいで、ランタンがなくとも散らばったポットの残骸がよく見えた。


 うわ、よく見たら井戸の石にもヒビ入ってんじゃん…やったの俺だよね。


 ポットの欠片もめっちゃ散らばってるなぁ。


 集めるだけでも一苦労だと思うけど、これを直すって可能なの?



 そう思っていた俺の横で、イヴは欠片に向けて手を伸ばした。


 木っ端みじんだったポットの残骸が地面の上で小さく震えると、イヴの手に集まりだした。


 これも魔法…だよな。


 欠片一つ一つが不規則に震えながら次々とイヴの手の平の上に折り重なっていく。


 テレキネシスだ、超能力だ。いや魔法か。


 他の魔法もいくつも見たのに、こういうタネも仕掛けもありそうな魔法は、逆に新鮮だ。


 体は幼児、頭脳は少年、でも実年齢は35歳。の俺らしく興奮してしまう。


「それも俺、出来るかな?」


「やってみますか?」


「うん!」


 俺の返事を聞くが早いか、イヴは折角手の平に集めた欠片を、無造作に地面にばら撒いた。


 可愛い顔してワイルドだね君。


 俺はイヴの真似して、欠片に手をかざしてみた。


 ポットの湯を沸かした感覚で、手の平に魔力を集める。


 じわりと熱くなる。


……欠片はぴくりとも動かない。


……欠片は動かない。


……対象沈黙続行中。


「えっと、どうやるの?」


 俺はかざしていた手を気まずく引っ込め、軽く手首をストレッチさせながら、イヴに聞いた。


 見様見真似で出来ると思った俺も甘いよね。


 ちゃんと最初から教えを乞うていれば、気まずい思いしなくてすんだのに。


 ポットでお湯沸かしたくらいで調子こいて、すんませんでした。


 イヴは森での時のように、俺の手に優しく手を重ねた。


 彼女の髪が揺れて清潔な香りが、俺の集中力を揺さぶる。


「欠片は散らばっているので、一つ一つを拾うのではなく、網のようなもので救い上げるイメージでやってみましょう」


 重ねた手の平に魔力を集めてみる。


「その魔法の網は、地面も他の石もすり抜けて、ポットの欠片だけを拾い上げます」


 優しく続けるイヴの言葉通りに、欠片たちが地面から浮き上がってきた。


「そのまま引き寄せて下さい。私は手を離します」


 ここから先は自分でコントロールしろということだろう。


 任せろ。やってやる。


 網のイメージはそのまま、引き寄せるように…


 すっとイヴの手が俺の手から離れた。


 カチャンカチャンと軽い音を立てて欠片は全て地面に落ちた。


「は?」

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