日本に帰りたい

 この小屋には、トイレはないけど、不思議なことに風呂はあるんだよな。


 少しカーブが掛かってる程度の棺桶じみた、ただの箱状。水が7分目くらいまで溜めてある。いつ見ても溜まってる。


 排水溝もないしずっと同じ水使いまわしてるわけ?ちょっと、それはどうかと思う。


 まぁ多分だけどそこらへんも魔法でどうにかしてるとみた。ゴミ一つ浮いてない湯舟をチェックしながらそう思った。


 シャワーも勿論ないけど、水鏡で見たあの魔法を見る限り、上から水を流すくらい容易いんだろう。



 あらゆるところに魔法の片鱗が伺える。


 科学ではなく、魔法が身近にある世界。根本的に理屈が違うものが沢山ある。


 小屋の中で過ごしていると、地球のどこかの山奥のウッドハウスっぽく思える。


 間取り的には3LDKってとこだけど、一部屋の大きさは地球と大差ない。


 人体の大きさに合わせて過ごしやすく作るんだから、まぁ当たり前か。



 出来るだけ布で体の煤を拭ってから、冷たさを覚悟して湯舟に足を入れたけど、冷えた体に心地よい温かさだった。


 魔法は保温機能もありますか。



 体中の火傷の跡にお湯が染みてぴりぴりした。けど痛みってほどじゃない。



 傷つけちゃったな。"俺のものじゃない体"



 あの暴走はなんだったのか、自分でもよく分からない。


 まんま癇癪を起した子供じゃないか。


 感情のコントロールが効かなくなってた。この体の影響を受けているのか?


 こんな小さな子供だったら分からなくもない。


 地球の医学でも証明されてはいないけど、移植なんかで他人の一部を取り込んだ時、元の所有者の記憶が共有される現象が、稀にあると読んだことがある。



 もしこの少年の影響だったとしても、味わった恐怖は"俺の感情"だった。


 精神と言う目に見えないものが、自分のキャパシティを超えるのを感じた。



 ……自分がこんな弱くなるなんて思いもしなかった。


 この世界で一人でやっていける自信がない。


 日本が平和すぎたからだ。


 日本で生きてて、突然別世界に飛ばされて、何も分からないわ、強制サバイバルだわ、人食う獣がいる場所だわ、体は5歳児だわ、などなどっていう三拍子どころか六拍子くらい揃ってる要素の中で、平静でいられる奴っているの?


 俺は割と適応しようと頑張ってる方だと思うよ?


 そりゃちょっとパニック起こしたけど。



 あの歩道橋から落ちる前だって、たった一人でやり直そうと思ってた。


 でもそれは"知ってる世界"だったからだ。


 ここでの俺は無知で、無力だ。


 その上孤独なんて耐えられない。


「せめてこの世界のTIPS欲しいわ」


 それにあの炎だ。イヴの口ぶりから察するに俺の力なんだよな。


 自分の手を眺める。


「俺も魔法を使えるってことか?」


 何か試してみようとしたけど、またあの森のようなことになったら、この小屋を吹き飛ばしかねない。


 眺めていた手でお湯を掬ってばしゃっと顔に掛ける。







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 湯船から上がって服を着ているとふらついてしまった。


 長風呂しすぎたようだ。


 風呂で血流がよくなったのか、じわじわと全身の痛みがぶり返してきて、清々しさは一瞬で消える。


 痛いし、なんだか目が回るし、よろよろしてる俺をイヴが支えてくれた。ベッドに連れていかれる。



 そこからは傷の痛みと発熱で、朦朧としていたことしか覚えていない。


 インフルエンザに近いけど、傷の痛みが加算されるせいで、まさに地獄の苦しみだった。


 やっぱり死のループにはまって、この熱で死ぬんだとも思った。


 傷から入った雑菌で破傷風になったのかとも思った。



 何よりここが、見知らぬ場所だということを思い出すと辛かった。


 適切な医療機関もない、知り合いもいない、理解出来ない場所で俺はたった一人だ。

 


 俺がこのまま死んでも、誰も気……


 冷たい手が額に当てられる。


 イヴが俺を覗き込んでる。


 その手が額から項にすべる。冷たくて気持ちいい。


 何も言わないし表情からは何も読み取れないけど、その動作からは気遣いが溢れてた。



 痛みと熱で意識が戻るたびに、喉に額に胸にイヴの手を感じて、俺は眠りに戻った。




 昼も夜も関係なく、ずっと彼女の存在をすぐ側に感じてた。







 俺は数日、寝込んだ。


 数日ってことしか分からない。


 何度か窓から差し込む月明かりと日光を交互に見たけど、起きてるとも眠ってるとも言えないまどろみで過ごしたから、正確な日数が分からない。


 怪我もそうだけど、色んなことが一気に起きて、知恵熱的なものもあった気がする。


 随分軽くなった頭を動かして横を見ると、出会った瞬間と全く変わらないイヴがそこにいた。


 え、もしかしてずっとそこにいたの?何日も?


 まさかね。


 髪の毛一筋乱れていないイヴは、睡眠不足にも見えない。


 ただじっと見つめてきてる。


「…おはよう。イヴ」


「はい」


 返事も相変わらずだ。


「あの…看病してくれてありがとう」


 何度目か分からないお礼を言う。


「はい。もう生きられますか?」


 "生きられるか"って随分変な言葉だ。


 この子の話し方の独特さはもう知ってるけど、今までにないほど……不気味な問いかけだ。


「うん。もうだいぶいいよ」


 当たり障りのない答えを返すしかなかった。


 言葉は奇妙でも心配してくれてるのは分かったしね。


 これもこの世界の常識なんだろうか?


 魔法があるくらいだ。交流方法が俺の常識と違ったってさほど驚くことでもないのかもしれない。



 因みに俺が寝込んでる間、イヴは包帯を変え、食事を摂らせ、お茶を飲ませ……下の世話もしてくれた。


 だってしょうがないだろ!自分でどうしようもなかったんだから!


 出会ったばかりの美女に頼むのはかなりハードル高かったよ。


 逆に喜ぶタイプもいる気もするけど。



 内臓の機能がまだ完全じゃないせいか固形物をあまり食べられなくて、大の方のお世話をしてもらうことはなかった。


 それだけは不幸中の幸いだった。


 あれだけ大騒ぎして作ってもらったトイレは、しばらく使用者なしで放置されてたのも申し訳ない。


「なんか俺イヴに会ってから、いつも怪我したり具合悪かったりするよね」


「熱は私のせいです」


「え?」


「修復の為に私の魔力をアベルに送り込みました。他者の魔力を多く取り込むと"揺り返し"が起こります」


 ワクチン的な感じ?それとも輸血?


「イヴのお陰で助かったんだから、イヴのせいっていうのは違うよ」


「はい。もう生きられるようで良かったです」


 ……えっと、マジで死の縁にいたってことかな?


 俺は苦笑いで答えるしかなかった。


 この場所で病気や怪我をしたら、死に繋がるんだ。


 いくら魔法があってもそれは変わらない。


 俺はイヴに助けてもらった。


 イヴが倒れたらどうなる?誰が癒す?




 日本に戻りたい気持ちは消えない。


 でもイヴをこの森に残して去る自分が想像出来ない。


 いつか選ばなきゃ時が来たとしたら、俺は……。

 

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