02

 ちょっと、ちょっと!

 婚約自体がマイウリアそっちから持ってきた話だったはずですよね?

 しかも、王子の成人にあわせて来いって言ったのも、そちらですよね?

 ここまで来させておいて? これじゃあ、わたくしの計画が全部水の泡……


 あわ?


 いえ、寧ろ前倒しで、しかも大成功……と、いうことなのでは?

 だって、結婚できないというのであれば、わたくしはあの政局が不安定で、いつディルムトリエンから攻め込まれるか解らない国に入らなくていいのよ?

 王子に触れられることはおろか、会うことすらなく目的は達成されているわ!

 そして……今なら、逃げられるのではないの?


 王子に拒否されたのだから、わたくしはマイウリアに必要ないのだし、連れ戻されたって王族達もわたくしなど必要としていない。

 マイウリアの成人年齢二十五歳に合わせたから、ディルムトリエンの女性が成人とされる十五歳で誰のにもならなかったわたくしは『行き遅れ』で嫁ぎ先なんてないお荷物だもの。

 いなくなったって、絶対に探されない自信があるわ!

 ……とても、哀しい確信だけれど。


 わたくしが逃げ出したことで、ふたつの国がどうにかなるなんてことも……もうないわ。

 いいえ、あったとしても構わない。

 どうせどちらに行ったって、殺されるだけですもの!


 そうと決まれば、すぐに行動しなくては!

 馬車の周りには相変わらず、誰もいない。

 少し離れたところで、水を飲んでいる御者がひとり……本当に、盗まれたって襲われたって構わないと思っているのね。


 わたくしが乗っているはずの馬車もあるのに。

 そうよね、わたくし『がらくた』だもの。

 守る価値はないのよね、彼等には。


 そして、今なら、取り戻せるに違いないわ。

 この真ん中の馬車に積まれるのを、確かに見たのよ。

 あら、これ『持参金』?

 ……安いのね、わたくし。

 

 もらっちゃおうかしら。

 袋ごと【収納魔法】に入れてしまいました。

 手癖……悪いですわね……わたくし。

 とてもじゃないですが『姫』なんて言えませんわ。


 でも、目的はこれじゃないのよ。

 あ、あったわ!

 わたくしの身分証が入れられている箱!


 身分証は必ず父親か夫となる者に預けるのが、ディルムトリエンの掟。

 だから、女性達は……逃げ出せない。

 わたくしの身分証もこの箱に入れられて、そのままマイウリアの王族に引き渡されるはずだった。

 箱に鍵がかかっていない……?


 がたんっ


 一番後ろの馬車で音がして、慌てて箱の中身を首にかける。

 幌の陰からそっと表を覗くと、また後ろの馬車が少し揺れたけど誰の姿も見えない。

 そろり、と馬車から降りて道の脇へと早足で離れる。

 頭からすっぽりと被った外套の襟をぎゅっと掴んで、少しずつ歩く速度を上げていく。


 身分証が父王の手元から離れ、婚約者に渡される前に取り戻せたのは素晴らしい奇蹟だわ!

 未だに護衛の者達も誰ひとりとして、わたくしが馬車の中にいないことに気付いていないのも神々のご配慮よ!


 揉めている侍従達の横、入国検査の再開された列に並んでいる商人達を盾にしつつ隠れながらその場から離れる。

 足の進みは、更に早く、早くなる。

 少し引き返した所に港があったはず。

 そこからなら、この国を出ることができるわ!

 さあ、走るのよ、ヒメリア!


 ディルムトリエンにはわたくしを愛してくれる人も、大切に思ってくれる人も、誰もいない。

 わたくしが愛している人も物も何もない。

 そして、わたくしは……この国の誰からも、愛されたいと思ったことが一度もない。

 思い出は暗く悲しいものばかりで、未来なんて全く光の差さない闇の中。


 家族に認められたいなんて、思ったこともない。

 だって、初めから誰ひとりそんな人はいなかったもの。

 耐えていれば誰かが救ってくれる?

 そんなことは、絶対にない。

 人の幸せを望んで、自分を抑えていたら、その献身が伝わる?

 いいえ!

 そんなものは献身ではなくて、思考停止のただの諦め。

 誰が見たって、せいぜい『可哀相に』と思われるだけ。


 ただ嘆くばかりで自分で何もしない者には、何ひとつ手にできるものなんてないのよ。

 愛してくれないと、絶対に愛せないと解っているものに救いを求めて縋り付くなんて、愚か者の選択だわ!


 こんな国から出られる機会は、もう二度と訪れないわ。

 計画とは全然違ってしまったけれど、思い描いていた計画よりずっとずっと素敵だわ!

 走らなければ、今、ここで走り続けなければ、一生後悔する!


 走る速度がどんどん上がっていく。

 もう、国境門は随分と小さくなって、少しだけ水の香りがしてきた。

 その香りに導かれるように馬車道から外れ、防波堤を越える階段を駆け上る。


 登り切ったその先に……青く輝く空と海が、見えた。

 船があるわ。

 あれに乗れれば!


 港へと降りる道を転ばないように、でも怪しまれないようにできる限りの早足で降りていく。

 いなくなったことに気付かれたら、この辺りくらいまでなら探しに来るかもしれない。

 早く、一刻も早く!


 近くを歩いていた人に船の乗船にはどうしたらいいのかを尋ね、港湾事務所の場所を教えてもらった。

 そこで、乗船料金を払えばいいらしい。

 もの凄く不審に思われているようだったけど、そそくさとその場を離れる。

 腕を掴まれたり、止められたりしなくて良かった……

 港湾事務所では……女ひとりで行って……ちゃんと乗船させてもらえるかしら?


 事務所に入ると、視線が集まるのが解った。

 そうよね。

 女ひとりで行動することなんて、この国ではあり得ないもの。

 身分証を見せて、船の乗船料金を尋ねた。


「どこまで?」

「えっと……この金額で足りる所まで……と言われました」


 主に命じられて買いに来た……と思ってもらえるといいのだけれど。

 これが、わたくしの全財産。

 なんとか持って来られたこのお金だけで、どこまで行かれるかは判らない。

 どうか、国外でありますように……!


「ひとり分、だな?」

「はい」

「ならば、イスグロリエストのオルツまでだ」

「あ、はいっ、そこで!」

「ふん、やっぱり行き先をちゃんと覚えてなかったんだな? 俺に感謝しろよ、愚図使用人が!」

「……はい、ありがとうごさいます」


 男達には絶対服従……それこそが当然で、あるべき姿と思っている態度と言葉。

 この国は王宮内だけでなく、隅々までそうなのね。


 今、初めて、あの持参金を用意してくれた父王に感謝しているわ。

 そして、後宮での今までの扱いに。

 ずっとずっと虐げられていたから、王女として接してなどもらえず使用人以下の『がらくた』だったから、今わたくしは何を言われても耐えることができるわ。

 この見ず知らずの傲慢な男に、わたくしの本当の誇りを傷つけさせずにやり過ごすことができるわ。


 船はすぐに出発するから早くしろ、と急き立てられて慌てて桟橋を渡る。

 乗船の時に見せろといわれた札を示すと、船員が赤い印を押印した。

 はやる気持ちが抑えきれず、どうしても足早になってしまう。


「おまえさんの船室はあの端だよ」


 そう言われて入ったのは、女達だけが集められている部屋。

 寝床が上下二段になっている小さい区切りが六つある。

 よかった……みはりは……いないみたいで。

 素早く一番奥の上段に上がり、外套にくるまったまま座り込む。



 早く……お願い、早く出航して……!

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