第29話
アンリは、相変わらず薄暗い彼の部屋に入るなり、眉間に皺を寄せながら訝しげに尋ねた。
「……で、なんの相談だい?」
「正直言って、今回の事件について私は何の関心もなかった。まったくめんどくさいことに巻き込まれたものだと、その程度のことだったのだが――」
「まあ、だろうね。キミの性格からして、それは僕もそうだと思ってたよ」
「――しかし、ヤツが関わっているとするなら話は別だ」
「ヤツ?」
「ヤツらかもしれん。他に仲間が何人いるかは分らんが、仮にジェームズ氏殺害にも関与しているとすれば、そいつひとりの犯行というわけではあるまい」
ジルベールはまるで口に出すのも腹が立つというように顔をしかめたが、自身を落ち着けるように深く息を吐いて、おもむろに口を開いた。
「ヤン・ファン・バルフェルトという司祭だ。大方、自身の権力拡大だのなんだのを目論んでいるんだろうが、あの手の自分だけが偉いと思っているような身の程知らずの勘違い野郎は、どのみち上位の者や異端審問担当者に始末されるのがオチだろうから放っておいても構わんのだが、私の作品を
語り口は至って冷静そのものだったが、その語句には段々と熱が籠っていくのがわかった。
「うわ。ジルが燃えてる」
当然ながらそれだけで治まるはずもなく、彼はさらに続けた。
「だが、こちらもヤツの立場を存分に利用してやるさ。宗教家には別段興味がないが、連中には目利きが多いことも確かだ。その
彼はまるで舞台演劇のように身振り手振りを交えながら次々に言葉を繋げていき、そして最後に、力強く握った拳を天高く突き上げた。
「わー。夢が広がるねー」
その演説を呆けたような顔で眺めていたアンリが、乾いた拍手を送る。と、ジルベールは次第にいつものつまらなそうな真顔に戻り、首を傾げた。
「で、何を話していたんだっけか……ああ、世界征服の話だったか?」
「うん。超不正解」
なにはともあれ、八割方ただの私怨と言えなくもない話ではあったが、普段はあんなに気まぐれなジルベールが、ここまで熱くなるのも珍しいことではある。これが事件の解決につながる新たな切り口となれば、ドミニクにとっても喜ばしい話だろう。
そのついでにと言ってしまってはなんだが、この際だから話しておくべきかと、今度はアンリからも話題を持ちかけることにした。
「それじゃ、僕からもちょっと良いかい?」
「なんだ。金なら貸さんぞ」
「……キミって時々、自分の立場を忘れたコト言うよね」
半眼で呻く。が、すぐに気を取り直すと、懐から白い封筒を抜き出した。
「ま、そんなことより……これを見てもらいたいんだ」
さらに封筒の中から、一枚の便箋を出して広げて見せる。
その書面の最後に記されている署名を見て、ジルベールは眉をひそめた。
「……っ! これは、ジェームズ氏からの手紙か」
「うん。実はこの手紙、一週間ほど前に届いたんだけどさ。ずっと、気になってたんだよね」
一週間前と言えば、事件の日よりもずっと前だ。そんな重要なものを何故もっと早く見せなかったのだとジルベールは思ったが、手紙に書かれている内容を一通り読んでから、それは口には出さないことにした。何故なら――
* * * * *
親愛なるアンリ・フェルメール殿。
まずは私の勝手な依頼を快く引き受けて頂いたことを深く感謝致します。
貴殿の寛大なる御心と博愛の精神により、いずれ世界はしあわせに包まれることでしょう。
さて、これからしばらく後、貴殿へと一枚のレシピが届けられる事と存じます。
そのレシピこそが我が夢、我が願い、我が命と言うべきものであります。
そこに記された物の完成を以て本件の完遂と為し、我が夢の実現と相成ります。
また、この作品が必ずや、貴殿の最高の一品となるであろうことを確信しております。
赤き炎が道標となりて、貴殿に女神の祝福があらんことを。
M:O:M 皆を代表して。ジェームズ・マクラーレン
* * * * *
「――この文面を読んだ限りでは、取り立てて奇妙なところはないようだな」
確かにこの内容はソフィアの話にも符号するし、ジェームズが例の書物をアンリに託そうとしていたということを考えれば、あまりにも普通の手紙である。だが、アンリはいくつか気になる個所を指で示した。
「でも、ここの『M:O:M』ってのがさー……それに『皆を代表して』ってのも。最初はジェームズさんの会社名かと思ったんだけど、そんな名前の会社は持ってないみたいだし」
「ふむ。となると、書かれている文面自体はさほど重要ではないということか。もしや、なにかしらの暗号が隠されているのか……おい、もう少しよく見せろ。まったく暗くて敵わん」
「キミが好き好んでこの暗さにしてんでしょーが」
ジルベールはぶつくさと文句を言いつつ、アンリから便箋をひったくるようにして、照明のオイルランプへと近づけた。すると、それを見たアンリがあることに気づく。
「ん? ジル、これ……」
見ると、便箋の中央になにやら図形のようなものがうっすらと浮かび上った。
「む。〝透かし〟か?」
どうやらこの図形は、ランプの熱に反応して浮かび上がっているようだ。
つまり――
「ただの透かしじゃない。あぶり出しだ!」
「ほう。最後の『赤き炎が道標』という一文はこれのことか。なんとまあ、古風な」
「ホント懐かしいねー。小学校の理科の実験以来だよ……っと、出た出た」
普通の透かしであれば明るい場所ですぐに気が付くところだろうが、まさかこのような古典的な仕掛けが施されているとは。
二人は感心しながらじっくりと観察した。灯りの熱によって、隠された図形が次第にその姿を現していく。見ると、それは何かの紋章のようだった。
「ふむ。これはもしかすると……こいつになら載ってるかもしれん」
思い当たる節があったらしく、ジルベールが本棚から引っ張り出したのは、過去に存在した著名な魔術師や魔術結社などに関する本だった。彼が本をめくり進めていくと、その紋章が記載されたページが確かに存在した。
「ジル、今のところ! 魔術結社『
そのページに書き記された結社の名前と、手紙に記されたアルファベットとを照らし合わせながら、アンリは興奮気味に声を上げた。
「十七世紀に書かれた文書に、十七世紀に存在した結社……これはもう偶然とは言えないね。この『M:O:M』とかいう組織に何らかの関わりがあることは明白だ」
十七世紀初頭から中頃にかけては、あの悪名高い〝魔女狩り〟が最も勢いづいていた時期だ。魔女狩りは宗教裁判の印象が強く伝えられているが、それを利用した権力者の追い落としという面も大きい。
その犠牲者は魔術師としての力を大いに利用し、私腹を肥やすなどしたために人々からの恨みや妬みを買った者たちであり、特に政治家や聖職者など、公的に目立った活動をしていた魔術師たちが、政敵などによって異端として告発されたのである。
しかし、その割りを食ったのは言うまでもなく普通の市民たちだった。彼らはみな疑心暗鬼に陥り、魔術の心得があるというだけで標的にされ、多くの人々が犠牲となった。
それ以来、一般市民同様に生活していた魔術師たちは、閉鎖的なコミュニティを形成するようになり、それが後の魔術結社や秘密結社に発展していったのだと言う説もある。
「だが、この結社は十七世紀末頃から十八世紀初頭にかけて消滅したと記されているぞ。それに創設者や結社の活動についてなど、詳しいことは何も記されていない。このようなマイナーな結社の名が何故、今になって……まさか現代に蘇った亡霊の仕業とでもいうのか?」
「ある意味それに近いかもね。ドミニクが言ってたよ。ジェームズ氏の殺害に使用された魔術は『ヴァンフォール式』っていう、これも十七世紀の術式だったらしい」
「ふむ。古い術式となると、今度はお前の
「ああ、それで……少し調べてみたんだ」
『ヴァンフォール式』はクリストファー・ウィリアムズという英国人魔術師が創始した術式で、物理魔術も精神魔術も幅広く収めた、当時としては画期的な『総合術式』だったらしい。
ひとつの術式だけを学ぶことにより、それを応用すればどんな魔術も使えるようになるという触れ込みで当初はかなり流行したようだが、しかし、それも長くは続かず、当時の魔術師たちからはすぐに見放されてしまった。
というのも、専門的な技術を収めた術式に比べて術の構成などのプロセスが複雑なことや、効果の割には多くの魔力と霊質を使うため術者自身の負担が増えること、また、結局は術者の好みや得意な魔法しか使わなくなってしまい、せっかくの『総合術式』というメリットを活かせる者が少なかったということもあったため、とにかく非効率で中途半端な術式であるとされたのである。
「いかに〝効率よく専門的な魔法技術を行使できるか〟を目的に術式が発展してきた現代にあっては、こういった理想主義的な術式は時代錯誤もいいところだな」
「そうだね。個人的にはそういうのも嫌いじゃないけど、今時こんな古臭くて扱い難い術式を修得してる魔術師は、よっぽど拘りのある変人か、魔術自体に詳しくない素人だろうね」
しかし、M:O:Mという結社のメンバーがこの『ヴァンフォール式』という術式を使っていたという可能性はあるとしても、それを直接的に結びつける根拠はない。あくまで、どちらも十七世紀に存在したモノという接点しかないのだ。
「ねえ、ジル。そもそも僕が何故ジェームズさんの依頼を受けたか、話したっけ」
「いや。そもそもお前の仕事には一切興味ないからな」
「そんなこと言うなよー。友達だろー」
アンリは少しだけ口を尖らせるが、すぐに一息吐くと神妙な面持ちで語り出した。
「僕はね、ジェームズさん自身が魔術師だというのは会ってすぐに分かったよ。当然、あちらにしても僕の素性を知った上で、自分の利になる存在とみて僕を選んだんだろう。もちろん、彼が真にどんな目的を持っていたのか、本心ではどんな腹積もりがあって僕に仕事を依頼したのか、それは僕にはわからない。けれど僕にとっては、そんなことはどうでもいいんだ」
何故なら――と、彼は一呼吸置いて、続ける。
「ジェームズさんはね、『世界中の人々をしあわせにできるような、最高のお菓子を作って欲しい』って言ったんだよ。だから僕はこの仕事を引き受けた。――僕にとって重要なのは唯一つ、その言葉だけなんだ」
実にこの男らしい理由だとジルベールは思う。素性の知れぬ相手の腹積もりを「どうでもいい」と言い切ってしまえるのも、ある意味では彼の強みなのだろう。
そんな若干の感心と、大半の呆れを含みながら、ジルベールは静かに問うた。
「……お前は本当に、『甘露』とやらを作るつもりか?」
その問いに対し、片目を閉じて不敵に笑って見せながら、アンリはしっかりと頷いた。
「ああ。なんたって、僕の仕事だからね」
すると、そのタイミングを見計らったかのように、アンリのポケットの中のスマートフォンが小刻みに震え出した。メッセージの受信があったことを知らせている。
「ん、誰からだろ?」
アンリがメッセージアプリを開くと、事務的とも言うべき素っ気ないほどの短い文章が、予想だにしなかった人物から送信されていた。
「へぇ……シャルロットからだなんて、珍しいこともあるもんだ」
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