第21話

「いるんだろう、ソフィアお嬢ちゃん! 大人しく出てこねぇと、この日本人ヤポーニェツのガキが割れたカボチャみてえな頭になっちまうぞ!」


 男が部屋の奥に潜んでいるであろう少女に向かって叫んだ。やはり、狙いはソフィアだったようだ。身体はまるで金縛りにあったように力が入らないままだったが、こんな時に限って頭の中は冷静でいられるらしい。


 獅宇真は自分に銃を突き付けている目の前の男を、じっと見据える。彼らが話している言葉は仏語だが、《ヤポーニェツ》という単語だけが妙に浮いていることに気がついた。


「そ、ソフィアちゃん、ダメだよ!」


 すると、結羽の制止を振り切って、ソフィアがその姿を晒した。


「お望み通りにしました。その少年を放して下さい」


 男たちの言葉は分らないが、言っている意味は大方察しがつく。少年へ銃を向けている制服姿の男を睨みつけながら、ソフィアは強い口調で告げた。


「ソフィアちゃ――……ッ!?」


 慌ててソフィアを引き戻そうとした結羽も勢い余って姿を晒してしまい、人質となっている獅宇真の姿に思わず言葉を失った。


「ば、ばか、何で出てきたッ!?」


 二人の姿を見て獅宇真は苦々しく声を上げた。


「貴方たちは何者ですか? と言っても、英語は通じそうにありませんね」


 ソフィアは尚も男たちを睨みつけるが、彼らは不気味な薄笑いを浮かべているだけだった。


「ヒュー。こいつは思ったより上玉だ。どうする、つまんじまうか?」


「馬鹿。イギリス女には手を出すなと言われてる」


「へ、へへ……じゃあ、オレ、あっちの日本娘(ヤポーンカ)ちゃんにしてもいいか?」


「お前さてはロリコン野郎か……ひくわー」


 唯一、仏語が話せる獅宇真は、男たちの吐き気を催すような下卑た会話に一気に青ざめる。


「おい! お前ら――やめろぉッ!」


「待って下さい! 目的は私のハズです! その娘は関係ないでしょうッ!?」


 その様子をソフィアも察し、必死に声を張り上げた。ひとり状況が飲み込めず茫然と立ちすくむ結羽の前に、大男が汚い笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄る。


「こ、このクソ野郎ッ! 結羽そいつに手ぇ出しやがったら、殺してやるッ!!」


 自分に銃が突き付けられているのも厭わず、獅宇真は大男に掴み掛ろうと腰を上げた。

 だが、制服の男が立ち上がろうとする少年の腹を蹴り上げ、出鼻を挫く。


「うるせぇ。黙って見てろ」


 少年は前のめりに倒れ伏し、苦しそうに顔をしかめながらうずくまった。

 さらに制服の男は無慈悲にも、少年の頭を足で踏み込んで床に押さえつける。


「――獅宇真ッ!?」


 そこで漸く結羽も状況を察したようだった。彼女の心を、とてつもない恐怖が支配する。


「へへへ……大丈夫だよぉ。痛いのは一瞬だからねぇ」


 小動物のように小刻みに震える少女の姿が、その嗜虐心を一層刺激したのか、男は鼻息を荒らげながら、怯える結羽へと手を伸ばした。


「い、嫌……助けて……」


 まさに、蛇に睨まれた蛙――迫りくる脅威に、身動きひとつ取ることができない。脚はがくがくと震え、今にも重圧で押しつぶされてしまいそうになる。


 だが、それでも希望は捨ててはいなかった。現実はそれほど甘くないなんてよく言うけれど、あきらめるだけならいつでもできる。ならば、こういうときだからこそ、信じるべきなのではないだろうか。――そうとも。きっと、彼が助けに来てくれる。彼女は叫んだ。


「助けて、アンリさん――ッ!!」


 刹那。部屋の中にまるで突風が吹き抜けたように、何者かが颯爽と飛び入った。


 そこで結羽が見たのは、ゆるい笑顔が特徴的な、よく見知ったあの青年――とはまったく正反対の雰囲気を持つ、フォーマルな執事服を纏った凛々しい姿の青年だった。


 彼は、まるで日本刀で斬り払ったかのような鋭い蹴りを相手の頚部へと一閃し、自分よりも背丈の大きな屈強な男を瞬く間に昏倒させてしまった。


「――大丈夫ですか?」


 唐突に声をかけられるも結羽は何が何だか解らず、茫然と返事をする。


「あ……はい」


「それはなによりです」


 そう言って青年は返す刀で――もとい返す脚で、もうひとりの男にも逆回転の回し蹴りを喰らわせた。堅いブーツの踵が男の鳩尾にめり込む。その勢いで壁に叩きつけられた男は、咳き込むような短い悲鳴を吐いて意識を失い、ごろりと倒れ込んだ。


 ものの数秒で仲間の二人を失神させられ、残された制服の男が、まるで事態を把握できずに目を丸くしている。そのうしろから、いつの間やら菓子職人の青年がひょっこりと現れた。


「ああもう、また美味しいとこ持ってかれた……」


 またしても見せ場を横取りされてか、青年は悔しそうに呻く。


「アンリ……さん?」


 彼は未だ茫然と立ち竦む少女へと微笑みかけると、制服の男に視線を移して告げた。


「よくも僕の可愛い妹たちに酷い目遭わせてくれたね」


「な、なんだてめぇらッ!?」


 ようやく事態が飲み込めたのか、制服の男がアンリに銃口を向けて凄む。が――


「僕ってば今ちょっと機嫌悪いんでさ。黙っててくれる?」


 アンリはそう言って、ぱしゃり。と男が持った拳銃に何かの液体を浴びせかけた。それは、およそ自然界には存在しないような鮮やかな紫色の、見るからに妖しげな液体だった。


「てめえ、なッ、なにしやがっ……ひッ!? う、うわッ、うわあああッ!?」


 次の瞬間、液体を浴びた男の拳銃が、しゅーと白い煙を上げながら、沸騰したお湯が蒸発するかのように、跡形もなく融けてしまった。しかし、それは銃だけではない。彼の着ている服も、液体が掛かった袖口などから次々と融け始めている。


「う、うあ……」


 結羽はその光景に戦慄した。それもそのはずである。物質をこんなにも簡単に融かしてしまうほど強力な、酸のような液体を人間が浴びればどうなることか。きっと、目も当てられないような惨たらしいことになるに違いないだろうと――


 だが、その惨状を予想し顔を背けようとしたとき、結羽は思わず拍子抜けしたように目を丸くした。先ほどから、自分の肉体が融けて蒸発してしまうという恐怖に慄きながら、床を転がり回ってもがき苦しんでいた男も、実はそれが勘違いだったことに気付く。


 ――おかしい。どこも、痛くも痒くもない。どころか、なんだかちょっと寒い。


 そこで初めて、自分に何が起こっていたのか、彼は理解した。

 そう、男の身に付けている物だけが、すべてさっぱり無くなってしまっていたのである。


 それは拳銃や衣服だけでなく、当然ながら下着などもすべて、文字通りの丸裸だった。


「きゃあああッ!?」


 顔を真っ赤に染めながら咄嗟に両手で目を覆いつつ、結羽が悲鳴を上げる。


「おわあああッ!?」


 それにつられるようにして、男も大事なところを隠しながら声を上げた。


「――み、見ちゃッ、見ちゃった、みちゃたー!? ぎゃぼー!?」


 なんだかものすごく混乱している様子の結羽を尻目に、アンリは嬉々として胸を張る。


「すごいでしょこれ、僕の大発明! でも、魔法効果によるものだから所詮はオカルトなんだよねえ。これを科学的に証明できれば、それこそノーベル化学賞もんなのに。残念だなあ」


 それに対して丸裸にされた男は、意味不明な恐怖と羞恥心とで今にも泣きそうになっている。少々かわいそうにも見えたが、先ほどの悪党ぶりに比べれば、実に滑稽な姿だった。

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