第3話
パリへと向かう道中で、二人は色々な話をした。結羽の両親のこと。日本のこと。フランスのこと。そして、アンリ自身のこと。
「この仕事をしているとね。とてもよく見えるようになったものがあるんだ」
結羽にはとても想像が付かなかった。首を傾げながら疑問符を浮かべる。
「なんですか?」
アンリはその問いを待っていたかのように即答してみせた。
「人の欲だよ」
結羽が意外そうな顔をして返事に困っているのを見やりながら、彼はそのまま続けた。
「仕事柄、年齢や職業を問わず色んな種類の人たちと接してきたけど、いわゆる富裕層と呼ばれる人たちとのお付き合いも多くてね。〝金持ち〟ってのは、実に面白い人種なんだ。すでに有り余るほどのお金や名声があるのに、それに固執するだけでなく、さらにそれを手に入れようとする。もっともっと、欲しい。欲しくて欲しくてたまらないってね。しかも、それでいて、利益や名声を高めるためとはまったく関係ない自己満足のためにも泡水のように金を使うんだ。いわゆる〝物欲〟ってやつさ。もちろん、真っ当な人だっているけどね」
そうしてアンリは、まるでお芝居の台詞のように、言葉に抑揚をつけながら語り始める。
「だけど、信じられるかい? 童話や昔話に出てくるような、中世の貴族みたいな連中は今でもたくさん居るんだ。捕獲されたエイリアンの標本だとか、ドラゴンの化石だとか、そういうアヤシゲなものほど彼らの目には魅力的に映るらしい。ほら、日本にも昔から伝わってるでしょ? 河童や人魚のミイラとかさ」
「あ、それ、テレビで見たことあります!」
いつだったか、都市伝説や心霊特集をやっていた番組で紹介されていた、まるで断末魔の声を上げているようなおぞましいミイラの姿を、思い浮かべた。
「うん。まあ、河童や人魚なんかは、江戸時代の職人が西洋人に売りつけるために偽造したものだって言われているし、さすがに彼らもそれがホンモノだとは思ってないだろうね。単なる余興のために、面白半分で手に入れているに過ぎないだろう。けれど、それだけだったらまだ可愛いものさ。中には、もっと生々しいモノに本気でお金を出すことだってある」
「生々しい……モノ?」
結羽が訝しげに聞き返す。が、アンリはそれには答えず、まるで今までの話などどうでもいいことのように話題を変えた。
「あ、ほら、見てごらん。この辺りはパリの中でも、特に高級ブティックなどが立ち並ぶ通りなんだ。女の子だったら眺めているだけでも楽しいかもね」
結羽もそこには敢えて触れずに、すぐに興味の対象を窓の外へと移した。
「わあ、すっごい! お洒落なお店がいっぱいですね……っ!」
パリの南東から都心部を回り、北東方面へとつながる地下鉄七号線。そのほぼ真ん中にある、かの有名なオペラ座・ガルニエ宮に接するオペラ駅から、隣駅であるピラミッド駅にかけての周辺、中でもパリ一区にあるヴァンドーム広場を中心とした界隈は、シャネルやディオール、カルティエなどといった著名なブランド店や宝飾店が軒を連ねている。特にクリスマスも近いだけあってか、結羽の眼にはどこもかしこもより一層、輝いて見えた。
また、七号線の地上を延びるオペラ大通りや、ピラミッド駅を挟み東側にあるサンタンヌ通り周辺は、日系企業の店舗や日本料理店が数多く存在する、一種の日本人街でもある。
「僕もよくこの辺りでラーメンを食べるんだ。でもやっぱり本場にはとても敵わないね。僕が一番好きなのは日本の〝三輪舎〟のつけめんで――おっと、ここだ」
交差点に差し掛かり、アンリはハンドルを切る。結羽が煌びやかなショーウィンドーに目移りしている合間に、車はさらに進んだ。
元は時の宰相リシュリューの居城であり、現在では観光地になっているパレ・ロワイヤルから、大統領官邸であるエリゼ宮まで続くサントノーレ通りを下り、そこからひとつ、ふたつと路地へと入って行く。石畳が敷かれた細い通りの、趣のあるアパートメントが立ち並ぶ一角に、アンリ・フェルメールの店はあった。
「さ、着いたよ」
結羽は車を降りると、ほぅっと感嘆の溜息を漏らしながら、アンリの店を見上げた。
二階建てのこじんまりとした木造の建物で、古びた色合いも少し地味ではあるが、むしろその落ち着いた印象が、いかにも隠れた名店という雰囲気を作っている。
見ると、店の軒先には【La Maison de la Magie】と記された看板が掲げられていた。
「ら・めいそん・で・ら・まぎー?」
結羽はその看板に書かれた、おそらく店名であろう言葉を見たままに口にした。日常会話程度の英語なら喋れるのだが、残念ながら仏語やそれ以上の言語知識については乏しい。
「あはは、どうやら仏語は苦手なようだね。『ラ・メゾン・ド・ラ・マジ』。日本語に訳せば、〝魔法の館〟って意味さ」
「あ、そうか。《メゾン》って《家》でしたっけ。はわー……勉強になるなぁ」
無邪気に感心する結羽に向けてアンリはやさしく微笑む。
そして彼は〝準備中〟のプレートが下げられた店の扉を開け、結羽を招き入れた。
「――ようこそ、僕のお店へ。ここにあるのは全部、キミの欲望を満たすモノばかり。さあ、本日は如何致しましょう?」
アンリの芝居がかった台詞と立ち振る舞いに迎えられながら、店内へ一歩足を踏み入れると、そこにはまさに夢のような空間が広がっていた。結羽は否が応にも胸の高鳴りを感じる。
ショーケースに並べられたチョコレートやお菓子の数々は、まるで宝石のように輝いて見える。店内は決して広いわけではないが、それ以上に心を惹きつけるには十分だった。
結羽が一通り店の中を見回し、ふと奥へと視線を向ける。ショーケースや店内のインテリアばかりに目が取られて気が付かなかったが、そこにはくすんだ金髪を振り乱し、不精髭を生やした端正な顔立ちの男性が、椅子に腰掛けながら本を読み耽っていた。
どう見ても客ではなさそうだ。胸元を大きく開けたシャツなど、至ってラフな格好をしている。その風貌や、彼の醸し出す雰囲気はどこか退廃的で、およそこの店に似つかわしくない。
「やあ、変人」
「帰ったか、変態」
アンリと青年が仏語で応酬した。言葉の内容はともかく、これが彼らの至って普通の挨拶なのだろう。意味も分からずきょとんとしている結羽に向け、アンリは青年を紹介した。
「彼はジルベール・ルヴェリエ。僕の古くからの友人で、芸術家なんだよ」
それであの風貌なんだ、とすぐに納得する。結羽が芸術家に対して抱くイメージとは、つまりはそういうものだった。
「この店の二階の部屋をアトリエとして貸していてね。お菓子屋さんの二階が画家のアトリエなんて、まるでパリのイメージを凝縮させたようでしょう? もちろん狙ってやったわけじゃないんだけど、何の因果か、そうなっちゃったんだよね」
アンリがそう言って笑うと、今度はジルベールに視線を向けた。
「――で、この娘が有志江結羽ちゃんだ。よろしくしてやってくれ」
「ああ、話に聞いた例の日本人か。まあ、私の邪魔さえしなければ問題ない。好きにしろ」
と吐き捨てて、ジルベールが結羽へと一瞥をくれる。だが、結羽にはその言葉は分らない。
彼女は不安そうに、二人の青年の顔を交互に見回した。アンリはそれを察して苦笑する。
「ジル。この娘、仏語は話せないんだ」
「フン、これだから学のない日本人は」
「そんなこと言わないの。頼むから英語で話してやってくれないか?」
「絶対に嫌だ」
ジルベールは即答した。
「……ったくもう、これだから偏屈なフランス人は」
二人が言い合ったあと、アンリは最後に日本語でぽそりと漏らし、口を尖らせた。
その一言に、結羽は素朴な疑問を投げかける。
「あれ、アンリさんてフランスの人じゃないんですか?」
「ああ、僕? 違う違う。母語は仏語だけど、僕の生まれはアントウェルペンだよ」
アントウェルペンといえば、かの『フランダースの犬』の舞台ともなった、ベルギー王国フランドル地方の大都市である。
そういえば、ベルギーはオランダ語話者とフランス語話者が共存する国であり、またチョコレートの製造でも有名であることを結羽は思い出した。
「ジルさー、お客様におもてなしではなく、失礼をかけるのがフランス紳士なのかい?」
アンリは再びジルベールへと声をかける。
「まったく……仕方がないな。特別だぞ」
ジルベールは諦めたように溜息を吐くと、クセのある英語で結羽に告げた。
「あ……ありがとうございますっ!」
彼が頑固に渋っていた様子には気にも留めず、結羽は嬉しそうにお礼を返す。
そんな結羽の無邪気な笑顔に、アンリはまるで本当の妹を見守るかのように目を細めた。
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