一方通行の恋にご用心④
「わたしを?」
先に部屋に入れと言われたあれか。
「ロジエールがキャスリンと勘違いをしてきみに暴力を振るえば問題になる。彼女は大声を上げて人を呼び、夫が従業員を殴ったと警察に突き出せばいい。だが、部屋の中から物音が聞こえなくて困った」
「……ロジエールさんはキャスリンさんを殺す気だったのね」
物音を立てないように素早い動きだった。
「人違いには気づいたが、妻を殺そうと目論んでいたことが露見するのを恐れ、そのまま発作的にきみの口封じをしようとした」
それが、この事件の真相だ。
町の病院で診察を受け、一夜明けて古城ホテルに戻ってきたオリビアは自室で休みをとっていた。枕元にはルイスが持ってきてくれたポピーの花が活けてある。
ルイスはベッドサイドの丸椅子に座っていた。
シンプルで物が少ないオリビアの部屋にルイスは似合わない。
彼にはもっと豪華でクラシカルな家具が似合うのに、オリビアが座るのにちょうどいいスツールの上では長い手足が持て余し気味だ。彼はしょんぼりと「すまない」と口にした。
「きみに危険が迫った時に知らせてくれるように精霊の腕輪を渡しておいたのに、香水の匂いが気に障って逃げ出してしまっていたようだ」
「精霊の腕輪? ああ、これ……。そういえば、やたらと精霊を見る気がしていました」
「ナサニエルくんが現れたら精霊たちに知らせてもらおうと思って、お守りとして渡しておいたんだよ。精霊たちが好む純度の高い宝石がはめ込まれている」
「ナサニエルくんって誰です?」
『僕だよ』
現れたのはナンパ男の霊だった。
ぎゃっとオリビアは悲鳴をあげる。
『おいおい、そんな冷たい態度、傷つくじゃないかマイハニー』
「どっ、どうして。ロビーにしか現れなかったのにっ」
いわゆる地縛霊的な存在だと思っていた。
『不思議だね。きみの事を想っていたら、このホテルの中なら自在に移動できることに気づいたのサ』
「そ、そんな……」
ここはオリビアの部屋だ。
本当に四六時中側に張り付かれるのかとゾッとしてしまう。
ルイスは微笑んだ。
「そんなに邪険にしないでやってくれ。きみのピンチを知らせにきてくれたのは彼なんだから」
「え」
「香水が撒かれた部屋のせいで妖精たちが逃げて行ってしまったようだね。彼が知らせてくれなかったらきみを助けられなかった。ありがとう、ナサニエルくん」
『……ま、僕の手じゃ透けてしまうから仕方なくあんたを呼びにいったのさ』
照れているのか、ナサニエルは肩を竦めている。
「そうなんだ。……あの……、あ、ありがとう……」
『どういたしまして。レディを助けるのは当然のことさ』
気取った礼をしてナサニエルは消えた。
オリビアは淡く微笑む。
「霊は怖いばかりじゃなくて優しいところもあるんですね。彼らを無視するなんて、わたしが間違っていました」
「そうだろう? 彼らとはうまく付き合っていくべきで――」
「――なーんて言うと思いました⁉」
オリビアはビシッとルイスを指さした。
「ルイスさん。あなたどうしてキャスリンさんの身の上話や逮捕後のロジエールさんの様子を詳しく知っているんです? まだ新聞記事にも出ていないし、警察関係者でもないあなたが取り調べに参加しているわけもありませんよね?」
「そ、それは……、霊たちにちょこっと様子を見に行ってもらって……」
「プライバシーの侵害です! それに、今後、ナサニエルの野郎が調子に乗ってわたしの着替えを覗きに来たらどーするんですか!」
「き、着替えを……」
『心外だ。僕は覗きなんてしない!』
「ほら! 消えたと見せかけているじゃない!」
にょきっと壁から現れたナサニエルに怒鳴る。
「それからエスメラルダ三世!」
どうせ呼んだら出てくるのだろうと思ったら本当に現れた。
『おお、元気そうではないか姫君。あの狼藉物はこのエスメラルダ三世がお灸をすえてやった故、無事に城に平和が戻ったようで何よりだ』
「やりすぎなのよ! ポルターガイストが起きて怖かったって苦情が来てるのよ! ここが幽霊ホテルだって噂がたったらお客さんが来なくなっちゃうじゃない!」
馬上のエスメラルダ三世はびっくりした顔をしている。
ちゃんと顔を見たのは初めてだ。若い頃は美丈夫だったのだろうと思わせる、褐色の肌に白髭のオジサンだ。
「ああ、もう! わたしは普通に暮らしたいの! 霊が見える変な女だって思われたくないと思って生きてきたの! あなたたちと関わるつもりなんてこれっぽっちもなかったのに……」
オリビアはどうあがいたところで霊たちとの関わりは絶てないらしい。
「なのに、憎めなくなっちゃうじゃない! ……これまで無視していてごめんなさい。それから、助けてくれてありがとう!」
くすくす、くすくす。
城のあちこちから笑い声が聞こえた。
城中にいる霊たちの声だ。
霊に振り回されて生きてきた十八年。オリビアは覚悟を決めた。
「エスメラルダ三世。この城のことを長年守ってきてくれたあなたには警備隊長の称号を贈らせていただけませんか?」
『警備隊長?』
「この城にお泊りになられるお客様を守る仕事です。不要なポルターガイストでお客様を怖がらせる悪霊や、女性の着替えを覗こうなどという紳士の風上にもおけないような輩がいたら取り締まっていただけませんか?」
『霊を取り締まるための霊、か。面白い。拝命してやろうぞ!』
「それからナサニエルさん」
『な~に~?』
再び現れた軽薄な男の目を見て、オリビアは真摯に頭を下げた。
「あなたとはお付き合いできません。ごめんなさい」
『…………』
もしも宿泊客にしつこく迫られたらどうする? と以前ルイスに出された宿題の答え。
逆上されてもいいからハッキリと拒絶するべきだった。
オリビアが小細工をして逃げ回ったり、無視をしたりする様はさぞかし嫌なことを思い出させただろう。本物の生きたお客様だったらもう少し相手の気持ちを汲み取ろうと努力したが、相手が霊であるからと言って目を背けてしまっていた。
知ってたよ、と肩をすくめて笑ったナサニエルは今度こそ本当に消えた。
「ルイスさん」
「な、なんだい、オリビアさん……」
「なんで敬語なんですか。……お願いがあるんです。わたしに霊たちとの付き合い方を教えてくれませんか?」
『オリビアの事をよろしく頼む』
祖父の手紙は、オリビアの後継人になってくれとも結婚してやってくれとも書いていない曖昧な内容だった。
どう受け取ってもオリビアの自由だろう。
ルイスはにっこりと笑った。
「もちろんだとも。では、俺は古城ホテルの特別相談役ということでひとつ」
「……つまり、まだまだ滞在されるということですね?」
「ここが気に入ったんだ。きみの役に立ててホテル生活も満喫できるなんていいことずくめだろう?」
……いいことずくめ……かなあ。
余計なトラブルを呼び込まなければいいけど。
心霊トラブルに関して心強い味方ができたような、新たな問題を呼び起こしそうな複雑な気持ちだ。
◇◇◇
ゆうらり揺れる湖の水面。
古城ホテルから遠く遠く離れた山奥の庵は誰も住んでいないというのに仄明るい。太古の時代から暮らす精霊たちが集まってきているせいだ。
古い棚には磨かれた石や古文書などが所狭しと詰め込まれ、インク壺やペンが出しっぱなしのデスクの上には手紙の切れ端が残されている。
『親愛なるわが友、ゴドウィンよ。達者で暮らしているだろうか?
雪が解ける季節になると、きみが古城ホテルにやってきた二十年前の日のことを思い出す。……こんなふうに昔のことを思い出すのは、病に侵されて気が弱くなってしまった証拠かもしれない。
私の孫娘はどうやらきみと同じく、常人には見えないものが見えるらしい。
見たくないものが見えてしまう苦悩は私にはわからない。
もしかしたらきみにならわかるかもしれないな。だから、』
続く言葉は、ペーパーナイフで切り取られている。
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