第6話 愛する人

 時を戻して。

 浩輔が目覚めて2日が経った。

浩輔は、なかなか話を切り出せないでいた。

 というのも、悠輔が家事を行うとき以外部屋に篭ってしまっていたからだ。

食事もとっているかわからない。風呂に入っているのかもわからない。

 弟達も、心配していた。

 2日前、夕暮れに帰ってきた2人に驚いた。

浩輔は気を失っているし、悠輔は涙で顔を真っ赤にし、何か話しかけづらい空気をまとっていたし。

 事情を知らない、そして幼い弟達は、かける言葉を思いつかなかった。

 そして、話しかけても反応がないのだ。

名前を呼んでも、服や手を掴んでも無反応。

 まるで、心がどこかに行ってしまったような。

生きて動いてはいるが、意思がそこにはないような感じ。

 まるで人形のような、プログラミングされたロボットのような。

それは正しく、異様な光景というにふさわしいものだった。


「悠にぃ、今日も降りてこないね……。」

「そうだね…。」

 浩輔と祐治が角を突き合わせて話している。

2人の目下の悩みはやはり悠輔のことだ。

「浩にぃ、ほんとに何も覚えてないの?」

「うん……。」

 覚えていない、というのは悠輔が浩輔を抱えて帰ってきたあの日のことだ。

気絶していた浩輔は何も覚えていないというスタンスを貫いており、ディンのことを話すつもりはなさそうだった。

「うーん、学校で何かあったのは間違いないんだろうけど……。」

「そうだね……。」

「でも、なんであんな風になっちゃうのかな?」

「わかんないよ…。」

 きっと何があったのかというレベルではわかっているが、それをいうわけにもいかない。

きっと、化け物扱いされたのだろう。

 周りがざわめいていたのは覚えているから、なんとなく予想はつく。

「ずっとあのままってわけにもいかないだろうし、悠にぃの部屋行ってみる?」

「う、うん……。」

 ためらう。

それは悠輔やディンが怖いからではなく、悠輔に拒絶されるのが怖いのだろう。

秘密を暴かれてしまったことで、自分も拒絶されてしまうんじゃないか、と。

「学校の友達から電話とか来てるけど、何か教えてくれないの?」

「ううん、なんにも。」

 確かに数件電話はかかってきた。

しかし中身は悠輔に対する罵倒ばかりだった。

あんな化け物と一緒にいたらとか、一緒になってだましてたんだろうとか。

そんな内容ばかりだった。

 だからなのか、浩輔の中に悲しみを通り越して怒りが湧いてくる。

「そっか……、やっぱり行ってみるしかないのかなぁ。」

「そう、だね。」

 行かざるを得ない状況。

浩輔は恐怖と心配とがないまぜになった感情に支配される。

「浩にぃ、どうしたの?」

「ううん、いこう……。」

 祐治の洞察力は小学6年生にしては高いほうだ。

だから浩輔の異変にも気づいているだろうし、悠輔に何かあったのかもなんとなく気づいているかもしれない。

 そう思った浩輔は、腹をくくって悠輔の部屋へ向かっていった。


「悠、入るよ?」

 2階の悠輔の部屋の前。

ノックをしても返事がなく、外から声をかけるがそれも返事がない。

意を決してドアノブに手をかけ、扉を開く。

「悠……?」

「悠にぃ……?」

 2人は驚愕した。

それは部屋の中がぐちゃぐちゃになっていたからだ。

 まるで嵐でも通り過ぎたかのような惨状、窓は割れ、机は壊れ、ベッドは血にまみれ。

悠輔はベッドに体育座りでうつむいていたのだが、腕が血まみれで頬にも血が涙のようにぽたぽたと垂れている。

「今日の朝、ケガなんてしてなかったのに……!」

 確かに朝見た時にはけがなどしておらず、部屋がこんな惨状になるような音もどこからも聞こえていない。

 だから、2人の驚きは一層大きいものへとなる。

「悠……。」

 一歩部屋に入る浩輔。

「うわぁ!」

 そして大声で悲鳴を上げる。

突然目の前に炎が現れ、進路を塞いだからだ。

 それは、悠輔が無意識のうちに発動してしまった、拒絶の魔力。

「浩にぃ!」

 それは背後も同じだったようで、部屋の入り口に祐治を拒むように炎の柱が出現した。

 バタンと大きな音を立てて閉じる扉、がちゃりと施錠された音がする。

「悠……!」

 進路も退路もない中、浩輔は双子の弟の名を叫ぶ。

そうする以外、出来ることはなかった。

「悠!」

 もう一度叫ぶ。

 悠輔がびくりと体を震わせ、不思議なことに炎が消えた。

「……。」

 浩輔は覚悟する。

今、死んでもいいと。

今、悠輔を救えるのならここで殺されても構わないと。

「悠……。」

 ゆっくりと近づきながら名を呼ぶ。

悠輔は沈黙したまま、動かないままだ。

「……。」

 そしてベッドに上がると、静かに優しく悠輔を抱きしめた。

「……!」

 悠輔の体がびくりと震える。

怖いのだろう、怖くてたまらないのだろう。

 自分より体格がだいぶんよく大柄な悠輔が、ひどく小さい怯えた小動物のように思える。

「悠、辛かったね……。」

「……。」

「ずっと、一人で戦ってたんだよね……。」

「……。」

「ずっと、苦しかったよね……。」

 言いながら涙が出てくる。

それは悠輔の辛さを想像してしまったから、どれだけ辛かったか考えてしまったから。

 ぽたぽたと涙を流しながら、浩輔は声をかけ続ける。

「ごめんね……、僕が弱かったから、言えなかったんだよね……?」

「……。」

「ごめんね、悠……。」

 悠輔は黙って浩輔の言葉を聞いている。

ぽたぽたと涙を零しながら、時々嗚咽を部屋に響かせながら。

「悠、助けてくれてありがとう……。」

「浩……。」

「ほんとに、ありがとう……。」

「怖く、ないのか……?」

「怖くなんてないよ。だって、僕の大好きな弟だもん。」

 悠輔が口を開く。

その瞬間、どこかで氷が溶けたような感覚を2人は感じていた。

 それは秘密を明かしたことであり、それは恐れをぬぐえたことであり。

2人を隔てていた氷の壁が、溶けるように崩れていった。

 この3日間。

悠輔の思考はとても単純だった。

絶対に現実にしたくない想像が現実になってしまったことに対する非想。

苦しみから逃れたくて、感情を捨ててしまおうとしていた。

 だが、今その考えはなくなった。

浩輔の心を知って、浩輔の温もりを感じて。


「なあ浩輔、ディンに会ってくれないか?」

「え?」

「ディンがさ、浩に会いたがってるんだ。」

「うん、わかった。」

 10分ほど経って、悠輔は涙を拭い笑いながら言った。

出血はいつの間にか収まっており、傷もふさがっていた。

 いつも通りな悠輔の笑顔に、浩輔はホッとする。

「ディン、出てきてくれ。」

 そう悠輔が呟くと、悠輔の体が光に包まれ、一回り大きいディンが代わりに現れた。

「……。」

「浩、俺のこと信じてくれてありがとうな。」

「ううん、こっちこそありがとう、ディンさん。」

「ディンでいいよ、浩。」

「うん、ありがとう、ディン。」

 少し照れくさそうなディンが笑うと、浩輔もつられてはにかむ。

「祐治、入ってきてくれ。」

「……。大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。」

 ディンが部屋の外にいる祐治に語り掛けると、ドアを開けて入ってくる。

 2人の会話は聞こえていたようで、ディンを見ても驚くことはしなかった。

「ディンさん、助けてくれてありがとうございます。」

「いいんだ、悠輔が守りたいと思う人たちは俺も守りたいから。」

 祐治の言葉を聞いてほっとするディン。

一年前、病院で悠輔に告げたことは間違っていなかったなと思い出す。

「祐治は俺のこと、怖くないか?」

「ううん、怖くないよ。」

 はっきりという祐治。

まっすぐとディンを見つめて話す。

「ありがとうな。」

 ディンはそういうと祐治のとなりに近づき、頭を撫でる。

この兄弟は似ているな、と思いながら。

「ディンさん、悠にぃをありがとう。」

 撫でられながら祐治が言う。

それは、悠輔を守ってくれていた事に対してなのか、悠輔のそばにいてくれたことになのか。

 わかりかねたが、しかし祐治が受け入れてくれていることだけはわかった。


「えー!悠輔兄ちゃんが戦ってたの!?」

「悠輔兄さん、そういうことはもっと早く言ってよね?」

「悠輔にいちゃ、すごーい!」

 3者3様の反応をする末弟たち。

しかし皆受け入れているようで、悠輔はホッとする。

「ありがとな、みんな。」

 安心したようなため息をつき、笑う。

やっぱりこの兄弟たちは受け入れてくれたな、とディンと心のうちで話をしながら。


 ディンと悠輔の兄弟達が分かりあってから5日。

悠輔は、学校に行かずにいた。

 確かに弟達はディンを受け入れてくれた。

でも、他の人々はそう簡単にはいかないだろうと思っていたからだ。

 弟達が学校に行っている間。

悠輔は、専らディンと話をしていた。

 これまでのこと、これからのこと。

ディンのこと、家族のこと。

 くだらないと思われそうな話も、二人は笑いながら話していた。

 今まで、悠輔自身ディンを受け入れきれていない部分があった。

どうしても、自分も嫌われてしまうことを恐れていた。

 でも、その壁がなくなった今。

悠輔に完全に受け入れられてからは、ディンもよく悠輔に話しかけた。

ディンは今までの寂しさをすべて帳消しにしようとしているが如く。

悠輔は今まで作っていた壁を粉々に砕こうとしているが如く。

 そんな日々を過ごしている間、二人は幸せを感じていた。

だが、同時に憂いもあった。


「ディンはさ、父さんや母さんにはあったことないの?」

「あったことはあるんだろうけど、生まれてすぐに悠輔の中に入ったから覚えてねえんだ。」

「そっかぁ。」

「だから、悠輔の両親が俺の両親みたいなもんだな。」

 少し顔をしかめながら話すディン。

自分の本当の両親の存在については知っている、しかし会ったことも話したこともない。

「寂しかったりしない?」

「ちょっと寂しいかな、でもまあ事情が事情だから仕方がないかなって感じだ。」

「なるほどね……。」

 そう答えながら紅茶を啜るディン。

兄弟たちに受け入れられてから、少ない時間だが受肉出来るようになっていた。

 しかし受肉できるのは持って3,4時間といった所だ。

それ以上の受肉は悠輔の刻印の浸食を進めてしまう。

「なんか納得いかないなぁ、一回くらい会いに来てくれたっていいのに……。」

「母さんは母さんで大変な使命を持ってる人だからな、仕方がないさ。」

「なんだかなぁ…。」

 納得いかない風な悠輔と、仕方ないさと首を振るディン。

ディンは悠輔が自分のことを考えてくれているというのがうれしく、笑う。

そんな時だった。

 Pipipipi

「あ、電話だ。」

「誰からだ?」

「学校みたい。はい坂崎です……、はい、はい、はい……、わかりました……。」

 短い電話を済ませると、少し眉間に皺を寄せる悠輔。

「どうした?」

「明日来てくれないかって、みんなで話し合いがしたいって。」

「というと?」

「それだけしか言われなかった。」

「なるほど、どうするんだ?」

 悠輔が眉間に皺を寄せる理由がわかるという風なディン。

話し合いとは名ばかりの罵倒合戦が始まるのではないかと考えている。

「ディンならどうする?」

「どうするって言われてもなぁ……、悠輔のことを考えると学校には通ったほうがいいんだろけど、俺としては正直怖いな。」

「だよなぁ…。」

 腕を組み悩むディン。

悠輔も悩むが、ここで2人悩んでも解決しないだろうという結論に至る。

「浩輔が帰ってきたら相談してみよ、学校は行ってるんだからわかるだろうし。」

「そうだな。」


「なあ浩輔、今日学校でなんか言われなかったか?」

「なんかって、何?」

「俺に関すること。」

 夕食のトマトスープを飲みながら悠輔が切り出すと、浩輔はとぼけるように聞き返してくる。

「うん、僕が提案したからね。」

「やっぱりか……、浩は俺にどうしてほしい?」

「どうしてほしいって、学校行ってほしいからこんなこと言い出したんだよ?」

 当然でしょ、と冷やし中華を頬張る浩輔。

 悠輔はうーんとうなり悩む。

「それはさ、ディンの事も加味しての提案なのか?」

「うん、ディンは化け物なんかじゃないって時間かけて受け入れてもらえたらいいなって思ってさ。」

 箸をおき、悠輔のほうを見ながら浩輔はいう。

「だって、このままじゃやっぱり化け物だって言われちゃうじゃん?それは嫌だから。」

「僕もそれに賛成、ずっと家の中居たら参っちゃうよ。」

 祐治も口をはさむ。

祐治なりに考えていたのだろう、迷いなく言葉を口にする。

「ディンさんのことだって、きっと化け物なんかじゃないってわかってくれるよ。」

「うーん……。」

 悩む悠輔。

あの反応をしていた同級生たちがそうやすやすと受け入れていくれるとはあまり思えない。

「みんなわかってくれるよぉ!ぼくたちもディンさんと仲良くなれたし!」

 陽介がそういうと、他の兄弟たちもうんうんと頷く。

「でもやっぱり怖いなぁ…。」

「たまにはお兄ちゃんを頼りなさい!僕がいるでしょ!」

 ガッツポーズをする浩輔。

それを見て、それもそうかもなと悠輔は笑った。


「んでディン、ディンはどうするべきだと思う?」

 夜9時過ぎ、悠輔、ディン、浩輔、祐治は集まって相談をしていた。

「まだ決まってないんだ。」

 頭を掻きながらため息をつくディン。

確かに悠輔にとっては大事な学業だが、しかしあの反応を見た後だ。

「俺はディンに任せるよ。」

「僕も、一番覚悟が必要なのはディンだろうし。」

「ディンさん、ゆっくり決めよ?」

「……。」

 考え込むディンと黙り込む3人、沈黙は時間の流れを遅くする。

「……、行こう。このままにしておいても何も状況は変わらないし。」

「ディンならそういうと思ってたぜ。」

 ホッとした様子の悠輔。

自分は行く気でいたが、しかしディンの意見も尊重したかったからだ。

「やっぱり、前に進まないとな。」

「そうだね、一歩ずつでも前に進んでいかないと。」

 そうと決まれば、と4人はどうやって行くかを思案し始めた。

結局具体的な対策は見つからなかったが、しかしそれでもいいと4人は考えていた。

 まずは第一歩を踏み出した、それが大切なのだと。

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