第9話 憎悪

 俺達は結局信一を見つけられないまま、玄関の前に戻って来た。

「あのヘタレ、一体どこに行ったんだ。見つけたら絶対に切り刻んでやる」

 ヒュヒュとフルーレが風を切る音が聞こえる。今の各務さんなら本当にやりかねない。そう思わせる気迫が漂っていた。

「しかし、広いよね。とても別荘だとは思えないよ」

 建物の外周を回るのに十分ぐらいはかかっただろうか。

「二階堂が言うには、部屋が二十室あって、三階建てらしいよ。しかもお風呂が各階に一つずつあって、トイレなんて全部で六つもあるらしいよ」

 俺は改めて洋館を見上げた。どうみても二階建てとしか思えない。

「屋根裏、かな?」

「違うよ、地下があるんだって」

 なるほど、それならば合点がいく。

「地下にはね、ホームシアターとかカラオケ、ビリヤード台、温水プールまであって、建物自体かなり防音設備が良いらしいよ」

 すぐいけば海があるのに果たしてプールが必要なのだろうか。金持ちの考える事はよく解らない。温水という事は冬に遊びに来た時様なのかもしれない。

「とにかく、中に入ろう。喉も渇いたし」

「そだね。二階堂も部屋をチェックし終わってるかも知れないし」

 別荘の中は先ほどと変わらず、しんと静まりかえっている。整っているという防音設備のせいだろうか。

 俺と各務さんは真っ直ぐリビングへ向かった。

「おい、晃。戻ったぞ」

 しかし、返事はない。だがリビングへ一歩入った瞬間、違和感が身を包んだ。

 まるで、変わり果てた夏希が寝てる部屋へ踏み込んだ時と同じ感覚。

「ね、ねぇ。あれ……」

 各務さんが震える手である一点を指差す。

 それは、ソファーだった。

 唯が横になっていたソファー。そこから、ダラリと腕が垂れている。ただ寝ているだけではないか。頭ではそう思っても、胸騒ぎが止まらない。

 俺はゆっくりとソファーに近づき、腕以外を隠しているタオルケットを捲った。

 後ろで、「ひっ」と息を飲んだ声が聞こえた。

 俺は、ソファーに横たわる物に目を落とす。

 生きていた時は、鳴沢唯と呼ばれた人物。

 その成れの果てがそこにはあった。

 服は無惨にも切り裂かれ、首が有らぬ方向を向いている。

「酷い。一体だれよ! こんなことするの。絶対にゆるせない!」

 俺も気持ちは同じだ。しかし、晃はこの事を知っているのだろうか。

 もしまだ知らないのなら、俺は何て伝えれば良いのだろう。

 俺は、再び唯にタオルケットをかけてやる。しかし、このタオルケットはいつ誰がかけたのだろうか。唯をこんな姿にした犯人なのか、無残な姿になってしまった唯を見つけてしまった晃なのか。

「とにかく、晃を探そう」

 家の中を捜索している晃と合流した方がいいだろう。この状況で単独行動は危険すぎる。

 しかしなぜ、夏希や唯が死ななければならないのか。理不尽すぎるこの現実に、俺は怒りを覚えた。

「そうね。二階堂が犯人かも知れないしね」

 各務さんが突然そんなことを口走った。

「そんな! それはあり得ない」

 俺は即座に否定する。

「どうしてそう言い切れるのよ。動機なんていくらでもあるだろうし、石川君がここに来たとき、夏希の部屋には二階堂がいたんでしょう?」

「それはそうだけど、元々あそこは信一がいた部屋だったんだし、唯と様子を見に行ったんだぞ。そんな時間は無かったはずだ」

「そんなの嘘かも知れないじゃん。唯からは何も聞いてないもん」

「晃達が様子を見に行くとき、各務さんもいたんだろう? だったら――」

「僕はキッチンにいたから知らないんだよ!」

 各務さんはどうしても晃を犯人にしたいらしい。

「だからといって、俺は晃がやったとは思えない」

「どうしてよ。最後に唯と一緒にいたのはあいつじやない」

「あいつが、夏希や唯を手にかける事は絶対に無い!」

 昔から一緒だった俺は知っている。

 よく意見がぶつかり合う晃と夏希だったが、二人の間には、誰も触れる事の出来ない信頼があった。だが二人は付き合っていたというわけではない。友情と言うより、兄弟の絆と言った方が近いだろう。

 そして、晃は。

「あいつは、唯の事が好きだった」

 直接聞いた訳では無いが、あいつの言動を見ていれば分かる。

 晃は昔から親の愛情に飢えていた。授業参観や運動会、合唱コンクールなどの行事に親が来たことは一度も無い。いつも来ていたのは、世話役の執事だった。実の兄弟とも年が離れており、晃は家の中では孤立していた。

 そんな飢えを潤したのが唯だった。

 料理はからっきしダメだが、全てを受け止め包み込む様なその母性的な性格は、愛に飢えた晃の心を癒したのだろう。俺はそう推察している。

「そんな……。じゃあ犯人は誰よ。まさか、あのヘタレがこんなことしたっていうの?」

「それは、分からないよ。他の第三者かも知れない」

「石川君は、まだ鬼が犯人だって言いたいの?」

「あぁ、その方が信一が犯人だと言うより、納得出来る」

 鬼がいるという確信は既に無いに等しいが、俺はそう思わずにはいられなかった。

 昔の人々が、人外の存在に怯えた理由が今なら分かる気がする。

「この時代に鬼なんかいるわけ無いじゃない! 現実を見てよ。この島には僕たちしかいない。だったら、姿が見えない二階堂と信一を疑うべきだよ」

「待てよ、そもそも俺達しかいないという先入観が間違っているんじゃ無いか? 砂浜で人影らしきものを見たじゃないか。もしかしたらソイツが犯人かも知れない」

 この別荘の全てを調べた訳ではないし、あの廃墟にも人がいないとは限らない。無人島とはいえ、晃の親族が来ている可能性も考えられる。それにこんな洋館のある島だ。管理人が常駐していたとしてもおかしくない。

「確かに、そうかも知れないけど……」

「残念だが、やったのは俺だよ」

 突然、廊下の方から声がした。その声に振り返る。

「全く、びびっちまって情けない。まっ、俺はすましてるお前が嫌いだったんだけどな。秋人君よ」

 入り口から姿を現したのは、

「信一……だよな?」

「ああ、そうだよ。信一様って呼んでくれて構わないぜ」

 姿が豹変した信一だった。服はズボンしか履いておらず、露出した上半身は真っ赤に染まり、筋肉が隆起している。そして、額に瘤の様な出っ張りがある。

「何の冗談だよ。僕にも解るように説明しな」

 各務さんの握るフルーレの切っ先が、信一へ向く。

「冗談なんかじゃ無い。俺は素晴らしい力を手に入れたんだよ」

 信一は恍惚に浸った表情をした。

「おまえらもすぐ楽にしてやるよ。あの二人のみたいにな」

「やっぱり、犯人はあんただったのね」

 フルーレの切っ先が震える。それは怒りのためか、それとも恐怖のためか判別がつかない。

「そうだよ。以前からなっちの口うるささにはウンザリしてたんだ。だから、一番始めに喰ってやった。最高だったぜぇ。おまえらにも見せてやりたかったな、あの泣き叫ぶ姿」

 夏希をいたぶった時の事を思い出したのか、信一はくっくと笑った。

「ふざけるな! だからって殺していいはず無いだろう。信一、一体お前はどうしちまったんだよ」

「俺は、お前のその良い子ちゃんヅラがずっと嫌いだったんだよ!」

 信一はすごい剣幕で拳を握った。まさに鬼の形相とはこのことだと言わんばかりの表情だった。

「出会った時からそうだった。どっか人を見下した態度で、全て自分が正しいと思ってやがる。本性は見せず、上っ面だけの言葉で人を惹き付け、話題の中心にいないと気がすまない。そんなお前にはへどが出る。お前は卑怯者だ!」

「そんな、俺は……」

「俺には分かってんだ。人に優しくするのは、結局自分のためだってな。そんで、美味しい所ばっかり持っていくんだよ。お前の偽善は、結局自己満足にしか過ぎないんだよ」

 俺には返す言葉が見つからなかった。信一が言ったこと全てが正しい訳では無い。しかし、否定が出来ないのは確かだ。

「これ以上石川君を馬鹿にするなら、僕が許さないよ」

 各務さんが一歩踏み出す。

「全てあんたのひがみじゃんか! 石川君は悪くない。そんなんだからいつまでもヘタレなんだよ」

「うるさい! 俺を二度とヘタレなんて呼ぶんじゃねぇ!」

 信一の剣幕に圧されたのか、各務さんは一歩下がった。

「どうして……どうして唯を殺したんだよ。あいつはお前に対しても優しかっただろう?」

 夏希を殺した事に納得は出来ないが、唯をなぜ殺さなければならなかったのかがもっと理解出来ない。

「ああ、あれな。勢いで、ちょっとな」

「勢いって何よ! そんな釈明が許されると思ってるの?」

「最高だったぜ。あの柔らかくて吸い付く感じのくちびるは。殺すには惜しかったんだけどな。じっと耐えて、晃の名前を連呼しててな。それで、ちょっと黙らせようと思ったら、力加減を間違えたんだよ」

 信一はニヤニヤと笑う。

「俺が唯っちにとってファーストキスの相手ってわけだ」

 その時、俺の中で何かが弾けた。頑丈な理性という錠で封印されていた本能。その黒い渦が身体の中を駆け巡った。気がついた時には、信一の腹に銛を突き立てていた。

「くくく、やっと本性を表したな。お前等だって結局そういう奴だよ。かつての友人を刺そうとしたんだからな」

 俺の突き出した銛は、信一の腹に刺さる寸前で捕まれていた。そして、もう片方の手で各務さんが振るったフルーレを眼前で握っている。

「あんたなんか、友人でもないし、最早人間じゃない!」

「だからって殺すのか? 人間じゃ無いから殺しても良い。そんなのエゴじゃ無いか」

「お前は夏希や唯を殺した。人間であっても、例え人間じゃ無くても、許される事じゃ無いだろう」

「俺は喰いたいから喰った。本能に従ったまでだ。自然の摂理だよ。それに従うのが悪だっていうなら、生き物全てが悪って事になるじゃないか」

「それは、違う」

「違わないね。俺は、ライオンが生きるためにシマウマを狩るように、夏希を喰った。分かるか? 食物連鎖だよ。人間だって、牛や豚、鳥なんかを家畜として育てて、最終的には食ってるじゃないか。それなのに、何で俺だけ悪なんだよ、そんなのおかしいじゃないか」

 その信一の言葉に俺は、何が正しくて、何が間違っているのか解らなくなった。生きるためには、確かに何かを犠牲にしなければならない。生き物は、生まれながらにして罪を背負っているのだろうか。

「石川君、コイツの言うことに耳を貸さないで」

「全く、その通りだ」

 突如、信一の背後に現れた晃が、振り上げた剣を勢いよくふりおろす。レプリカなのか、鬼の強靭な肉体のためか、信一の後頭部から鈍い音が響いた。後頭部に打撃を受けた信一は、前のめりになり、そのまま床に倒れた。

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