一・二

「しっかし、アンタも災難だね。こんなド田舎で立ち往生とは」

 ハンドルを握りながら豪快に笑う彼女に、僕はまったくだ、と肩をすくめた。

「それで? アンタはこの国で何してたんだ?」

「バイク旅だよ。イタリア中をな。この前まではフィレンツェを見てきた」

「それで立ち往生か。フィレンツェ以外はどこに?」

「いろいろだ。シチリアにローマにポンペイにナポリに……」

「ちょっと待ちな、アンタまさかシチリアからアレに乗ってきたのか?」

「さすがにそれはない。乗りはじめたのはポンペイからだ。それまでは飛行機と船だよ」

「ふーん。それにしたってよくやるもんだ。あんなので旅するとはね。言っちゃ悪いが、貧相というか何というか」

「金欠大学生のヴァカンツァなんてそんなものさ」

「なるほど、それもそうだ。ま、次は予備のタンクも付けるこったね」

「次はない」

「え?」

「あ、いや、いろいろ事情がな。ところでそっちは? えと……」

「アレッシア、アレッシア・アウディトーレだ」

「いい名前だ。アレッシアはどうしてヴェネツィアへ?」

「友達に会いに行くのさ。ヴェネツィアの付け根にある町に住んでる奴でね。家の修繕で使うからこの車を貸してほしいんだと」

「なるほど。しかしアレッシア、君はさっきから一体何をゴソゴソとやっているんだ?」

 先ほどから彼女はダッシュボードを何やらいじくりまわしているが、果たして何故であろうか。


「んあ、ちょっとラジオをかけようと思ったんだけど……ああこりゃダメね」

 アレッシアはラジオを強く叩き、イタリア語のスラングで罵倒した。


「おいどうしたんだ?」

「このガラクタはもう使えないみたいだ。まったく、これだから田舎ってやつは」

 アレッシアは困ったように頭を掻いた。


 なるほど、僕のバイクも大概だがこの軽トラもどうやら相当ガタがきているらしい。思えばこの国に来てから信頼できる乗り物というものに乗った覚えがない。こういうことがあると無性に日本が恋しくなる。嗚呼、愛すべき我が祖国、工業大国ジャパン。とはいえ、もう二度と戻ることはないのであろうが。


「参ったね、この時間はアタシのお気に入りの番組があるんだけどなあ……あ、そうだ」

 彼女が僕の顔を覗き込んでくる。何か思いついたような表情だ。

「どうしたんだ?」

「アンタがなんか話してくれよ」

「話? 僕が?」

「そ。こっからヴェネツィアまではそれなりに距離があるからね。暇つぶしみたいなもんだよ。それに、あんなボロバイクで旅してる酔狂なジャポネの話は結構興味がある」

「困ったな、そう言われても急には思いつかない」

「頼むよ、運賃だと思ってさ」

「しかし……」

「なんだっていいのさ、旅の思い出とか、アンタの身の上話とか」


 身の上話、か。

 恐らくアレッシアは、僕が生涯会話する最後の人となるだろう。

 ならば、全てを語ってもいいかもしれない。

 今まで彼にしか、いや、彼にすら全てを話した事はない、僕の辿ってきた軌跡を。


「……分かった。それじゃあ、僕の身の上話にしよう」

「よしきた」

「今から言うことは、紛れもなく僕の身に起きたことだ。だけどそのほとんどはこの僕に起きたことじゃないし、この世界で起きたことじゃない。全てはただの事態であって事実じゃない。だから、この話は全部僕の創ったお伽噺のようなものだと思ってくれたらそれでいい」

「うん? 一体全体どういうことだ?」

「要は真に受けるなってことだよ。じゃあ始めよう。世にも奇妙で摩訶不思議な、人生という名のお伽噺を」


 そして僕は語り始めた。

 三千世界にまで及ぶ、長い長い僕の人生の物語を。

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