第219話
「きゃあああああああああああああ!!!」
「誰が誰に抱かれたって?正直に言いなさい」
侍女のひとりが更衣室へのドアを開けると、目の前には仁王立ちのナナ。
とんかつの味見を終え、ドモンを呼びにやってきたのは少し前。
ドアの向こうから聞こえてきた会話に聞き耳を立てていたのだ。
「違う違う違う!本当に違う!!」
「ほんっとうに事故だったのです!!」
ドモンとサンが大慌てでナナの火消し。
「私が滑って転んで御主人様に飛び込んでしまって・・・」
「うっかり抱かれちゃったと?たまたまドモンが元気だったわけ?」
「いえ!あのその・・・」
ジルも言い訳をしたが、鋭い指摘にしどろもどろ。
「そ、それは、私達がドモン様のお体を洗っていた時に・・・」
「なぜあなた達が洗っていたのよ。それも裸で」
「・・・・」
侍女達は確信した。
この人は『あの奥様達』の怖さの比ではないということを。威圧感が桁外れすぎる。
絶望感だけでいえば、サンとの騒動の時に経験した、首を斬られる寸前の絶望感と同じであった。
まだ仲良くなる前のカールの義父や部隊長と、真っ向からやりあうくらいの性格なのだからそれも当然の話。
一同が事の経緯を細かくしっかりと伝えたものの、先日の浮気のこともあり、残念ながらナナの怒りを増幅させただけだった。
「まずはあなたからね。さあ私の膝の上に腹ばいになってお尻を突き出しなさい」冷たい目でスッとその場に正座をしたナナ。
「ひぃぃぃぃ!!」
「わ、私にして下さい!!サンが!サンが御主人様を洗ってとお願いしてしまったのです!!」
サンが大慌てで助けに入ったが「サンにはお仕置きはしないわ。サンは見ているだけよ?」とナナはにっこりと微笑む。
「え・・?」と困惑するサン。
その瞬間、パァァン!!と派手な音が更衣室内に響き、すぐに水が滴る音が聞こえ、床が濡れた。
叩かれた侍女の叫び声はしない。
もうすでに失神していたためだ。一瞬の出来事。まるでギロチンでの処刑のよう。
「次はあなたよ?」
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!ハァッ!」
今目の前であんなものを見せられてしまったおかげで、恐怖心は最大まで膨れ上がり、今度は派手な破裂音が響く前に、水が滴る音が聞こえることとなった。
一瞬で上半身が限界まで仰け反り、そのまま少し固まった後、ドサリと崩れ落ちる。
「さあ次はあなた」
「いぎぃぃ!!いやだぁぁ!!だじゅげでぇぇぇぇ!!!お、おねが」
侍女の泣きわめく声を打ち消すほどの破裂音が響き、すぐに静かになった。
目玉がくるんとひっくり返り、やはり失神していた。
「さあジル」
「はい・・・」
ジルは覚悟を決めて死刑台、いや、ナナの膝の上へ。
「奥様!!ジルが可哀想です!サンにして!!」
「そうだぞナナ。もしナナが滑って転んで初めてを失うところを想像してみろよ?」
サンとドモンが庇う。
いくらなんでも不憫過ぎる。だが・・・
「良いんです御主人様!良いのサン!私けじめをつけたいの!それに・・・途中で止めることも本当は出来たのに、私止めなかった。奥様の顔も頭に浮かんでいたのに、消しちゃったの!だからうぅぅぅ・・・」
「本当にわざとではなかったけれど、いい機会だと思ってしまったのね?」
「はい・・・ごめんなさい奥様・・・」
パンとお尻を軽く叩く音。
侍女達を叩いた時よりも随分と優しかったが、その優しさがジルには痛くて、号泣した。
「ドモンおいで」
「やだ」
「・・・・」
「うぅなんで俺がこんな目に・・・」
ナナの無言の圧力に屈したドモンが、パーンパーンといつものように叩かれた。裸の分だけ普段の何倍も痛い。
そして、全てを清算するようにナナがドモンに長い口づけした。
さすがのドモンもぐったり。
それらのすべてを見ていたサンがナナにお仕置きするように必死に乞うたものの、「サンにはお仕置きをしないことがお仕置きよ」とだけ言って去っていってしまった。
「うぅぅ!!御主人様起きて下さい!今すぐサンに意地悪をして!!ねえお願い!!うわぁぁん!!」
度重なるドモンのいたずらにより、サンはすっかりその道に目覚めてしまっていた。
お仕置きをされなかったと更衣室の隅でイジケているサンに一同は苦笑い。
「良かったじゃないのサンドラ。気を失うほど痛かったのよ?」
「生まれてこれまで、あんな経験はないわよ・・・する必要もないわ」
「・・・ギロチンにかけられる人の気持ちがわかったくらいよ」
侍女達がサンに声をかけるも、言えば言うほど逆効果。もはやこのビニールプールよりも羨ましい。
ドモンが「あら?何本か白髪になってるじゃないかお前・・・余程怖かったんだな」と侍女の白髪を手で抜いてやっていたが、それすらも羨ましく感じてゾクゾクしている。
ジルはジルで、今になっても尚、罪の意識を感じてしくしくと泣いている。
それになぜだか母親に怒られたような気持ちにもなり、感謝の気持ちと謝罪の気持ち、懐かしい気持ちなど、いろいろなもので溢れかえり、涙が止まらなくなってしまった。
駄々をこねるサンをドモンが小脇に抱え、皆も厨房へ向かうと、どこかの役所の昼飯時の地下の食堂くらい活気づいていた。
「はい!とんかつ揚がりましたぁ!」
「新たにとんかつ五枚入ります!」
「チキンカツはあと何名ですか!」
「キャベツの千切り追加で!」
「温度が低いよ温度がああ!!玉ねぎのフライやり直せ!!」
ドモンの隣に来たカールが言うには、揚げ物料理の時は人気があるため消費量も多く、いつもこうなるらしい。
最近はそれぞれの好みによって作り分けもするし、場合によっては揚げたてを好む者もいるため、厨房はもう戦場のようだとのこと。
「いやぁこれは大変だ・・・」
「大変ですけど、こんな幸せなことはないですよ!」
横を通り抜けざまにコック長がドモンに声をかける。
ふぅんとドモンは素知らぬ顔。
ドモンは忙しすぎるのは好きではないので、ドバっと一度作ったらカウンターで酒を飲んでタバコを吸ってしまう。
「この前の米はあるかな?」
「炊かなければならないですが、すぐにご用意できますよ」と料理人のひとり。
「じゃあ俺米にしよ。カツ丼にするかソースカツ丼にするか」
「ん?なにそれ?」
ドモンの言葉、そしてナナの返事にピタッと止まる周囲の料理人達とコック長。カールもジロッとドモンを睨む。
「醤油の入ってた荷物は?」
「こちらでございます」
「あったあっためんつゆ。よし!じゃああとは玉ねぎと・・・」
「ちょっとちょっと!ドモンってば!」
面倒なので自分一人分を用意するドモン。ナナの言葉は聞こえていないふり。
斜め後方からこっそりメモを取るコック長。
あらかた準備を終え、「じゃあ米炊けたら教えてねー」とドモンはタバコを吸いにまた外へ行ってしまった。
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