第6話 「かわいそうな難民」問題
俺は「かわいそう」という言葉遣いがマズかったのかと思った。
「あ、軽々しく『かわいそう』って言葉を使うべきじゃないよね。そういうのも上から目線だし」
そう。人権教育とかでも習ったはずだ。「相手を憐憫の目で見ること、それ自体にも差別が含まれている」と。
だが、田村さんが言わんとするのは少し違っていた。
「日本で『難民』って認定されるのって年間に何十人とかそれくらいの人数しかいないよ? その子もそのお母さんも『難民』として日本に来たわけじゃない」
「そうなの? コンビニとかで外国の名前の人がレジにいたりするの、よく見かけるけど?」
「それは留学生がバイトしてるってケースが多いんじゃないかな」
「ああ……そうなんだ」
「そういう人は一応故国がある。難民というのは故国の政府から迫害とかされていて、故国から逃げざるを得ない人なんだけど……。日本は難民として受け入れるかどうかの審査が世界的にみてもかなり厳しいんだそうでね」
「審査が通らない人もいるの?」
「うん。不正な難民申請を防ぐための審査なんだけど、本当に必要な人も通りにくいらしいよ。不正じゃなくて本当に必要な申請なんだって証明するのが難しくて」
「審査が通らないとどうなるの?」
「働くことが認められなかったり、健康保険が使えなかったり、突然施設に収容されたり……なかなか過酷な状況らしいよ。だから、そういう人たちは『難民』と認定されることを切実に望んでいるのよね。その人たちが『かわいそうな難民』という言葉を聞いたら複雑だろうなあ……」
「ごめん、俺、理系だから社会問題とかよく知らなくて……」
俺は叱られるかと思った。田村さんは真面目そうだから「もっと意識を高く持て」と言いそうな感じだ。だけど、彼女も自分も同じだと告げた。
「うん、私も深くは知らないんだ。学生の頃に友達に誘われて子ども食堂に出入りして、そこにたまたまM国出身のご家庭があっただけで……」
「難民じゃないなら、そのご家庭はどういう経緯で日本に来たの?」
「日本人のお父さんが国際関係のNPOか何かでM国に行って、そこで英語ができるM国人のお母さんと出会って結婚したって聞いてる。M国と日本とどちらが子育てにいい環境か夫婦で話し合って日本に来ることにしたって」
それじゃあ普通の国際結婚なんだな。
「お母さんは日本国籍を持つ人の配偶者ということでわりと帰化しやすかったって言ってたわ。あ、英語だけじゃなくて、今では私と話すとき日本語も使ってくれるよ。ちょっとたどたどしいけど、バイリンガルの上を行くトリリンガルだね」
凄いなあ。俺は研究に最低限必要な英語で精いっぱいなのに。
「お母さんとよく会うの?」
「子どもだけで家に帰すわけにいかないから、迎えに来てもらうよ。私が最後まで食堂にいたらちょっと立ち話する」
田村さんの声が少し笑いを含む。
「凛子ちゃんも一度会ってるよ。ウチの食堂がお世話になってる児童館のバザーに誘ったら来たの。そこで顔を合わせてる」
ここで千石さんを話題にするあたり、俺が千石さん狙いなのをそれとなくからかっているんだろうな。俺はちょっと話題を真面目なものに戻す。
「千石さんも難民問題に興味あるのかな……?」
もしそうなら、俺もそういう方面の本を読んで話を合わせよう。
「うーーーん。あるともいえるし、ないともいえるし」
その後、しばらく無言が続いた。
さあ、この沈黙は何だ。田村さんは実は千石さんのことがあまり好きでなくて、ここから彼女の悪口が始まるのかもしれない。何しろ、二人は友人と呼ぶには何か不釣り合いに見えるのだから。
田村さんは冷静に語り始めた。
「凛子ちゃんが、もう少し他人に興味を持つべきだと思う点を先に言うと……」
へえ。こういう切り出し方をするということは、話の内容にきちんとした構成があ
るんだろう。悪い所と良い所を両論併記し、そして欠点を先に述べることで褒めるべき点を後回しにし、全体として千石さんの印象を下げない話になるはずだ。田村さんが黙っていたのは、自分の見解を述べることと、それが他人の悪口にならないこと、この二つをすり合わせていたからなんだな。
「そのお母さんが故国では外国語が堪能な才媛なんだって私がいくら説明しても、凛子ちゃんにはピンとこないみたいで。だからいつまでも『かわいそうな難民』て呼び続けるの。それはちょっと改めて欲しいな」
「ああ、確かに……」
「ただ、凛子ちゃんの『かわいそう』という表現とはちょっと違うんだけど、そのM国のご家庭がちょっと大変なのも事実でね。お父さんが今体調崩して入院中でさ。お母さんはもともと日本社会に生活基盤があったわけじゃないからあまりいい待遇の仕事に就いていないのね。だけど、お子さんの為に夜遅くまで働かなきゃいけなくて。それで子どもが夕食の時一人になるのよ」
「そうか……。そこは『かわいそう』なの……かな?」
俺の歯切れが悪いのは、俺としては『かわいそう』という言葉が適切ではないとも思えるからだ。
自分の故郷ではない国で頼るべき夫が病気で動けないのは心細いだろうし、不利な条件下で働かざるを得ず、子どもが独りぼっちでご飯を食べているのは気の毒だ。だけど……。
「……でも、難民問題とは幸い直接の関係はないし、子ども一人で食事をしなくて済むように子ども食堂があるわけだし……うーん、かといって順風満帆で悩みのない暮らしというわけでもないし。かわいそうなんだけど……かわいそうと表現するとそれも違うかな……?」
「別に『かわいそう』かそうでないかで二分することなくない? 100パーセント幸福な人生も100パーセント不幸な人生もないだろうし」
「あ、そうだね……」
そうだ。何も「かわいそう」かどうか決めつける必要なんかないんだ。別にそこのお宅の誰も、日本人から「かわいそう」と思われるかどうか気にすることなく、毎日その日その日を懸命に暮らしているだろう。
「本人達は、同じM国から来てても、難民申請や帰化申請が難航していて厳しい状況に置かれている人がいるのを見聞きしているから、自分たちは恵まれている方だっていつも言っている。それに、家族で支え合いつつ、転職先も探してて前向きな姿勢で過ごしているしね」
「そうかあ。家族仲はいいんだね。そこが上手く行ってないと辛いから、そこは良かった。幸せだね」
ええと、と俺は慌てて言い足した。
「いや、だからって幸せいっぱいじゃないでもなさそうだけど。だけど、幸せか不幸かで二分するのも意味がないなあ。完璧に幸せな家庭も不幸のどん底から抜け出せない家庭もありえるかもしれないけど、普通の身近にいる家庭を『幸福』『かわいそう』かどうかで二分するのは不自然だよね」
「まあ、凛子ちゃんはマイペースなところがあって、物事の白黒をはっきりつけたが
るタイプだから」と言った後に、「でもね」と田村さんが続ける。
俺の予想通り、話の後半は千石さんを褒める内容だった。
「その分、凛子ちゃんはサバサバした性格だし、自分が『かわいそう』と思った相手にはとても親切だよ」
その「親切」にはちゃんと内実がともなっていると、田村さんは告げる。
「凛子ちゃんは、ウチの食堂や難民関係の団体とかに大きな金額を寄付しているんだよ」
「へえ」
「お金だけ出すのを偽善に過ぎないってくさす人もいるかもしれないけど、実際お金がないと出来ないことも多い。ウチの食堂だって、食材買う必要あるしね。凛子ちゃんはちょっとばかり理解が大雑把だけど、それでもお金をポンと出してくれる人は、それはそれで大助かりなのよ。『やらない善よりやる偽善』ていうか」
「やらない善よりやる偽善」か。
「俺も……田村さんの食堂に寄付とかしようかな……」
そうすれば、千石さんと同じ立場になれる。そんな下心は田村さんにもお見通しだったようだ。
「うん、凛子ちゃんと共通の話題ができるから、距離を詰めやすくなるよ」
「動機が不純な寄付でもいいの?」
ははっと笑い飛ばす声が大きくて、道端を歩いていた人が振り返る。
「『やらない善よりやる偽善』だってば! 一ノ瀬君がハッピーでうちの食堂もハッピー。ウィンウィンじゃん」
「そうか……」
「あ、寄付金控除で少し税負担が軽くなるよ。確定申告が必要だけど……」
田村さんの説明は歩きながら聞くには少し複雑な内容だった。お給料をもらうようになって、月々の給与明細から税金と社会保険料が差し引かれていることは知っているが、恥ずかしながら俺はこの二つの区別もよくついていない。
駅のロータリーが見えて来た。
「ごめん、SNSのアカウント教えるからそっちにメッセージ送ってもらってもいい? あ、手が空いている時でいいから」
「うん。ウチの食堂のウェブサイトでも説明してるから、そのURLも貼っておくよ」
「よろしく」
こうして俺は田村さんとメッセージを交わすようになったのだった。
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