第3話 料理会へご招待
俺は何度も何度も推敲を重ねてからメッセージを送信した。言いたいことを端的に表すと同時に、無駄もなく、そして助平な下心など微塵も感じられない爽やかな文言だ。
「世界の料理を作るレシピ本を購入しました。一緒に作ってみませんか?」
その返事は電話で来た。
「もしもし一ノ瀬君? 楽しそうなお誘いありがとう」
構えることなく無邪気に弾む声が聞けて、俺は心底安堵した。「はあ? 何それ」と一蹴されたらどうしようとビクビクしていたのだ。
「来週の日曜日空いてるの。友達と一緒に押しかけちゃっていい?」
どうぞどうぞ。貴女にならいつでも押しかけられたいですとも。
今回は友人と一緒だという。うん、想定の範囲内だ。男友達の家に誘われて、ほいほい女性一人で来るようなら、それはそれで不用心だと忠告すべきであろう。
「友だちは一人? どんな人が来るの?」
「すっごく地味な子よ~。大学で一緒だったんだけど。今、かわいそうな子どものために食事をあげるところ……ええと……『子ども食堂』っていうの? ソレのボランティアをやってるの。彼女なら料理に興味があるんじゃないかなあって思って」
へえ。千石さんの出身大学は偏差値もトップクラスであると同時に、都内でも富裕層が通うことで有名なところだ。千石さんがメディアで取り上げられるのも、さすがはあの名門私立の出身、しかも幼稚舎からの内部生だからという理由が大きい。そんな彼女に「料理が好きな地味な友人」がいるのか。俺はそこが意外だった。
「何を作るの?」と尋ねられて、俺は「ええと、いくつか既に作ってみた結果、二、三種類の候補があって……」と話しかけたが、彼女はそれを遮った。
「えー。既に作ったものだと一ノ瀬君がもう味を知っちゃってる訳でしょう? 三人一緒に初めての品に取り組んでみようよ。どんな味のものが出来上がるのか皆でワクワクしたいじゃん」
なるほど、それもそうだ。そして、こう言ってくれる彼女は僕の提案を真剣に楽しもうとしてくれているのだと分かって嬉しくなる。
こういう探求心が彼女の優秀さの基となっているのだろう。うん、見習わなければ。
「その世界の料理のレシピ本、M国の料理も載ってる? 友達が手伝ってる子ども食堂にM国のかわいそうな難民の子が来てるんだって」
俺は電話を持っていない方の手で、本をまさぐる。
「あるよ。なんだか肉じゃがみたいな料理らしいけど」
「肉じゃが?」
「いや、材料を見ているといろんなスパイスを使うみたいだ」
「へええ。エスニックな料理なんだろうね。私あんまりエスニック料理に詳しくないし。面白そう」
そして我々がつくるのはM国の料理と決まった。
電話を終えた後、俺は少し考えた。
エスニックとは直訳すれば「民族」だろう。でも、世界には様々な民族がいるがその料理の全てがエスニック料理とは呼ばれない。
気になってネットで検索してみると、やはり元は民族という意味でしかないはずだが、料理についてはエスニック料理という言葉は「東南アジア」や「アフリカ」さらには「中南米」の料理を指すらしい。
俺は首を傾げる。薬品に使われる化学物質では構造式が似ているものをひとまとめにしたりするが……。東南アジアとアフリカと中南米。それぞれそこに住んでいる人同士で接点はあまりなさそうに思う。うーん。先進国が先進国の立場で他の地域を珍しいからという理由で一括りにしている概念のようだ。なんか主観的だなあ。
俺がエスニック料理という括り方に今一つ釈然としないものを感じようとも、社会の側には暗黙の了解と言うものがあり、これらの食材はまとめて「エスニック料理」用の素材として売られている。
駅から離れたこの団地の近くに、エスニック素材を売っているような店などない。だから俺は、前日の土曜に駅前の輸入食品店でスパイスなどの食材を買い整えることにした。
その店では東南アジアのナンプラーとアフリカのクスクスと中南米のトルティーヤが同じ棚に並んでいたりする。系統だった分類を好む俺にはカオスに思えて何かしっくりこないが、ともかく俺は日曜の料理会に使うスパイスを探し出してレジに持って行った。
購入したスパイス類を台所に並べてみる。エスニック料理が好きな人には馴染みのあるものなのかもしれないが、俺には初めての品々だ。
「ターメリック」「カイエンペッパー」「ガラムマサラ」……これらはどんな味がするのだろう? 「ナンプラー」とは名前を聞いたことならあるが、どんな臭いがするのだろう?
化学実験の準備をしているのと同じように気持ちがたかぶる。仕事でも実験はやっているが、やはり大組織の下っ端で結果を求められる社会人としての毎日は、楽しいというよりプレッシャーの方が勝るものらしい。
こんな素朴な胸の高まりを感じるのは久しぶりだと俺は思う。
ああ。週末が待ち遠しい。可愛い女の子と、楽しい実験に耽ることができる。至福の時間が待っていることだろう。
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