第2話 年下の相棒

 昼食の後、鑑定の準備に入る。


 店の前に『閉店』の札を下げてから、リリアとレギウスは向かい合って座った。

 リリアの右手の下には、持ち込まれた紅色の石。

 左指の小指には、赤い毛糸が結び付けれられている。

 その糸の先は、同じくレギウスの左小指。


 これは、リリアの命綱だ。


 リリアが鑑定をする時は、深く深く意識を石の中に潜り込ませていく。 

 リリアの体はここに居るが、意識は歴史の狭間に入り込んでいる状態。

 そうやって石の過去を追体験するのだ。


 だが、一歩間違えばあちらの世界に閉じ込められてしまう危険があった。


 それを防ぐためには現在に引き戻してくれる存在が必要で、レギウスがその役目を引き受けてくれているのだ。


「リリア。絶対に無理しちゃダメだよ。俺が糸を引いたら直ぐに戻ってきて。わかっているよね」

 毎回、レギウスは心配そうに念を押す。


「大丈夫よ。無理はしないから」


 

 レギウスが居てくれて本当に良かったとしみじみ思う。


 二十一歳の誕生日、リリアの鑑定力が開花した日。

 リリアは真っ黒い石の中に閉じ込められていた。


 それはこの世を呪いながら自殺した男性の怨念が込められた、非常に悪意に満ちた石で、触れた途端に引きずり込まれてしまったのだった。


 蝕まれていく精神にリリアの力も尽きかけていた。

 どうやって癒せば良いのか、どうやって脱出すれば良いのかわからなくなって、このまま石の中で死んでしまうのかと思った瞬間、小指に熱い気力が流れ込んできた。

 

 続けて、意識に直接響いてきたレギウスの声。


『リリア! 僕の声が聞こえる? この糸を辿って戻って来て!』


 涙が出るほど嬉しくて、『ああ、これで助かる!』と思った。

 一気に漲る生命力を頼りにこの石から抜け出そうとした時、流れ込んできた思わぬ感情に戸惑う。


 涙一雫分ほどの寂しさ。

 石の主の本当の気持ち。

 

 このままにしておいていいのかしら……


 彼は寂しいんだわ。

 本当は救って欲しいと思っているに違いない。


 私にはレギウスがいてくれるけど、きっと彼には誰もいなかったのね―――


 逃げかけた意識の向きを変えて、リリアは真正面から主と対峙する決意を固める。


『ねえ、レギウス。そのまま話しかけ続けてくれる?』

『リリア! ああ、良かった!』


 レギウスの安堵が伝わってきて、リリアの気持ちも落ち着きを取り戻す。


 今なら、できそうな気がする!


 心の中で、静かに石の主に語りかけた。


『あなたの人生は本当に大変だったわね。頑張っても頑張っても辛いことばかり起こったから、この世に絶望してしまったのよね。でも、あなたが最後まであきらめずにいたこと、私に伝わってきたわ。あなたが本当は誰かを信じたいと思っていたことも。だから、もう、苦しむのは終わり。私があなたを解放してあげる!』

 

 リリアは続けて癒しの詠唱を始める。


 イーラ トゥ ラ エルゼ

 フェーレ トゥ ラ シエラ

  

 レラーテ!


 ナチェ タビーア エクセルテ トゥイ

 ナチェ タビーア エクセルテ トゥイ

 

 怒りイーラ大地エルゼに 悲しみフェーレシエラへ 解き放てレラーテ

 必ずナチェ 自然タビーア受け止めてくれるエクセルテ

 あなたトゥイを―――


 紡がれた言の葉から眩い光が放たれて石の主を包み込む。


 苦悶の表情を浮かべ抵抗する相手は、何度もリリアの光をその闇で覆いつくそうとしてきた。

 だが、今のリリアは一人では無い。レギウスと繋がっていると言う安心感がリリアを支えてくれる。


 二人分の気持ちを乗せた癒しの光は徐々に強さを増していき、やがて主をすっぽりと覆い尽くした。


 光に溶けていく闇。


 彼が遺した言葉は、やっぱり『ありがとう』だった―――


 

 浄化が終われば自動的に現実に帰れると思っていたリリアの考えは甘かった。

 天と地の向きも分からないほどの無音の暗闇に取り残されてしまった。


 もう、力が空っぽになっちゃったんだわ。


『どうしよう……』

 思わず零れた悲痛な叫びを、レギウスは聞き洩らさなかった。


『リリア! 糸を感じて!』


 レギウスが示してくれた赤い一筋の感覚だけを頼りに、リリアはなんとか戻ってくることができたのだった。



「リリアの馬鹿! あれほど直ぐ帰って来てっていったのに!」


 当時まだ十一歳だったレギウスは、泣きながらリリアに抱きついた。


「リリアが死んじゃったらどうしようかと思ったよ」

「ありがとう。レギウス。ごめんね。心配をかけて」


 力を使い果たしてぐったりとしていたリリアは受け止めきれずに、共に椅子からずり落ちた。

 どれほど心細い思いをさせてしまったのだろうか。申し訳ない気持ちになる。

 床に二人でひっくり返ったまま、泣きじゃくるレギウスの頭を撫でて、その温かな体をぎゅっと抱きしめると、ようやくしゃくりあげる声が止まった。

 互いの温もりを感じ合って、生きている喜びを噛みしめる。


「どうして赤い糸だったの?」


「どうしてもこうしても無いよ。ゆすっても手をひっぱっても大声を掛けても、死んだように虚ろな目をしていて、本当にリリアが死んじゃうんじゃ無いかと、生きた心地がしなかったよ。どうしたらいいか、必死に考えて、赤い糸は『運命の糸』って言う言葉を思い出したから、道しるべになるんじゃないかって思ったんだ。だから、あそこの編みかけの帽子から取って結んでみたんだよ」


 雪祭り用の赤い帽子。

 レギウスのために編んでいた物が、こんな形で自らを助ける事になるとは。


「そうだっだのね。この赤い糸のお陰で私は導かれて戻ってくることができたわ。レギウス、本当にありがとう。貴方が居てくれて良かった」


 涙の残る目で見上げながら、レギウスが嬉しそうに笑った。


「本当? 僕が居て本当に良かった?」

「ええ、レギウスのお陰で命拾いをしたわ。ありがとう」


 こうしてレギウスは、正式に仕事の相棒になった。 


 あれから八年、レギウスは常にリリアの傍にいて、共に魔法石の鑑定を引き受けてくれている。



 あの時リリアを閉じ込めた石は、その後悪意が浄化されたことを確認してから持ち主に返した。


 闇色だった石は邪鬼が抜けて、艶やかな濃紺の美しい石になっていた。


 この後、リリアの評判はヴァンドール王国中に広まっていくことになる。




 

 

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