終章 今どんな気分だい?
45.笑顔の素敵なお店
11月12日 土曜日 午前9時45分
あれから2週間が過ぎた。
ラフトラックこと孵化崎 堅碁は様々な犯罪に対する容疑をかけられ、警察の聴取を受けている。どうやら孵化崎は僕や琉衣の名前を出したようで、警察官が僕たちの高校にもやってきて、僕たちと孵化崎の関係を探ろうとした。
「すいません、そんな人知らないです。政治とか選挙とか、あんまり興味なくて」
元議員と繋がりがあるか聞かれた僕と琉衣は、この苦しい言い訳で全てを押し通した。普通なら強い追及があるはずだけど、そうはならなかった。ニュースで見たところ孵化崎は『意味不明な言動』を繰り返しているらしく、警察も平凡な高校生と、魚人間の存在を声高に主張する成人男性、どちらを信用するかを警察が勘案した結果、僕らの方に軍配を上げたのだろう。
ラフトラック暗殺に協力してくれた晴牧と、彼の二人の娘も今は平穏に暮らしている。少し前、犯罪の証拠でもあるトカゲマスクの回収のため、彼らのアパートを訪ねた。僕は部屋にあげられるや否や、正座をさせられ晴牧に1時間近く叱られることとなった。
「君という奴はどれだけ勝手なんだ! あの日、琉衣ちゃんやみかりちゃんがどれだけ心配したか分かっているのか?!」
第二回ごもっとも選手権開催。晴牧も優勝が狙える逸材だ。思えば、大人に本気で叱られたのは随分前のことだった気がする。双子の娘が父を止めてくれたおかげで僕は開放されたが、帰路につくときの痺れた足の痛みは、そう悪いものではなかった。
みかりはあの夜以降、ショックで寝込んでしまい、しばらく話をすることができなかった。数日前に街で見かけた彼女に声をかけたが、いつもの元気はなかった。でも会話を拒否されなかった僕は彼女と約束をした。また二人でコカ・コーラを飲みながら、オーバーゼアを歌おう。図書館にみかりの気に入りそうな、トム・クルーズが戦闘機に乗る映画があったから一緒に見よう、と。以前ほどの快活さではないけれど、みかりは笑顔で応えてくれた。
「あんがと……アメリカ万歳」
「アメリカも、みかりさんも万歳だ」
彼女は確かに武器を作り、インスマスたちの平和を脅かした。だけど、AIA壊滅を成しえたのも、彼女の万能武器、VALあってのことだった。どんな事象にも様々な見方がある。アメリカという国が覇権国家となった裏側で、戦争や差別や虐殺という血塗られた負の歴史も紡がれてきた。それを知っていて、自戒のようにVALの自爆コードを組み込んだみかりなら、いつか自分のしたことを受け止めて前に進めるはずだと、僕は信じている。
そして軽羽きわみは……と僕が思い返したところで、僕の今日の一つめの目的地が見えてきた。
タニチ精肉店。僕は犯した数多くの過ちの内のひとつを正すため、その店の中へ入っていった。
◆
「いらっしゃい! って侍君じゃないか。久しぶり!」
「お久しぶりです」
「なんか見ない間に大人びたかい? 背ぇ伸びた?」
店主は変わらぬ愛想のよさで僕に話しかけてくる。
「平日だけど、あれかい? 部活用の時のお弁当かい?」
「いえ、謝罪をしたくて」
僕は体を折り曲げて、カウンターの向こうにいる店主へ頭を下げた。
「この前は申し訳ありませんでした。パン、用意しておまけまでしてくれたのに、受け取らずに出て行ってしまって」
AIAの活動にかまけて、僕は今までお世話になった人の善意を踏みにじってしまった。もう前のような信頼は回復できないかもしれないけど、それでも人として謝っておきたかった。
「あーっはっはっは! なんだそんなことか。急にかしこまるもんだから、びっくりしちゃったよ」
僕が顔を上げると、店主は顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
「気にしないで! あんな美人な彼女さんがいるなら、うちみたいな湿気た肉屋の不味い総菜なんか食べちゃダメだよ!」
「いえ、そんなことは。いつも美味しく食べさせてもらってまいた」
「ほら、そんな嬉しいこと言ってくれるなら責めらんないよ。彼女さんも元気かい? あんなに美人なら、苦労も多いだろう」
「……彼女とは喧嘩してしまって。仲直りは絶望的ですね」
僕の言葉に店主は唸った。
「それは悲しいなぁ。でも大丈夫。生きてりゃいろいろあるし、いいこともある! 元気だしな!」
「ありがとうございます」
ひとまず言うべきこと言った僕は、改めて店主に謝意を伝え店から出ようとした。その時、店のエプロンをつけた背の低い中学生ぐらいの歳の女の子と鉢合わせた。
「お父さーん。東筑亭の注文、今日の分追加注文できないか……って……」
くせっ毛で黒い髪のその少女は、僕の顔を見て動きを止めたし、僕も聞き覚えのある声に思わず固まってしまった。彼女の声は2週間前に僕と葉を助けてくれたインスマスと同じ声をしていた。
「ん? なんだ桜。侍君に会ったことあるのか?」
店主に娘がいることは知っていた。だが会うのは初めてだ。きっと彼女は休日にしか店を手伝わないのだろう。対して僕は平日にしか店に来ない。知り合うことはないはずの僕らが顔見知りなのはおかしいのだ。店主はどこまで僕らの事情を知っているか分からないが、桜と呼ばれた少女の泳いだ目をみれば、彼女にとっても僕との関係は隠したいであろうことは推測できた。
「多分、初めてです。すいません、美人だったから見惚れました」
「び、美人!?」
「あっはっはっは! よかったなぁ桜、嫁の貰い手が見つかって」
「お父さんやめてよ! キモい!」
口喧嘩を始める親子を見て、僕は思わず言いかけた。何か僕にできることはありませんか、と。
だが直前で口を閉ざした。だってそれは僕の自己満足だったから。何も知らないインスマスであろう優しい親子に、僕自身を行いを許してもらおうとしているに過ぎないから。何かを言いかけた僕を、親子は不思議そうに見る。僕は代わりにこう言った。
「また来ます」
彼らを見る度に自分のしたことを思い出そう。自分の行いを忘れないことを、僕にとっての贖罪にしよう。僕はそう心に刻み込む。
「おう! また来てな!」
「いってらっしゃいませ! またのお越しをお待ちしています!」
僕は親子の素敵な笑顔に見送ってもらいながら、今日のもうひとつの目的地へ足を向けた。
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