3章 ルーズベルト/東堂 みかり

14.奥様は狩人


 9月15日 木曜日 午後12時30分


「はい、今日のお弁当」

「ありがとう、葉」


 昼休みの教室。僕は葉から受け取った弁当箱を開ける。葉の作ってくれるお弁当はいつも豪華だ。今日おかずは小さめのハンバーグ二つにコロッケ。定番の卵焼きは僕の好みの味付けで、トマトやブロッコリー等野菜もいくつかあり彩もいい。ご飯も僕が普段買うお米よりも断然高いものだし、デザートにはサクランボまである。いつもの総菜パンも好きなのだが、このお弁当には総菜パンにはないおまけもついていて――


「はい、あーん」


 葉が自分の箸で切り分けたハンバーグを僕の口に運ぼうとしている。


「あの……自分で食べられるよ?」

「ダメ、手のケガがまだ治りきってない。できるだけ安静にしないと」


 彼女の言う通り、僕の両手のひらにはまだ前回インスマスを絞め殺そうとしたときの傷が残っており、包帯で一部がグルグル巻きになっている。だけど物は持てるし、何もできないほどの激痛がするわけでもない。それを何度も言っても、葉はこうやって僕を甘やかす。もっとも、僕も悪い気はしないので、親鳥から餌をもらう雛のように口を開けてしまうのだが。


「どう、美味しい?」

「最高」


 冷凍食品の弁当には愛が籠っていない、という言説はクソ食らえだが、葉の作ったハンバーグは恐らく手作りで、冴えない男子高校生が食べるにはもったいないほど旨すぎた。僕らを遠巻きに見る級友たちの視線がなければ、よりこの味に集中できただろうに。


「めっちゃ人の前でいちゃつくじゃん」


 遠巻きどころか、十数センチ近くで見ている琉衣に関してはもう言うまでもない。彼女も僕の前の席に陣取りお昼を食べているが、僕と葉を交互に見ながら、嫌なものでも見ているかのような表情を浮かべている。葉はそんな琉衣の方は見ずに、僕の口へミニトマトを優しく与える。


「ところで、疑問に思っていたのだけど、なんで恋路さんはいつも昼は彼のところに来るの?」

「いや、いつも侍と一緒に食べてたし……」

「恋路さんのクラスは別じゃない」

「でもでも、去年は一緒だったし」

「それとも何か彼に用事?」


 葉はちらりと刺すように琉衣を視線だけを向けた。


「えっ、いや、その、なんとなくというかー? 友達だしぃ?」


 琉衣は明後日の方向へ目を泳がせる。彼女がここにいる理由はひとつ。小説の感想を僕から聞くためだ。琉衣は、というか文字書きはそういうタイプが多い気がするが、自分が作品を書いていることをあまり知られたくないようだった。だから彼女はふにゃふにゃした態度を葉に見せてしまっている。


「……僕がこんな手でノート取れないから、コピー取らせてって頼んだんだ」

「そ、そーなんですよぉ!」


 僕の助け舟に琉衣はすかさず乗っかる。無論そんな優しい約束などしていない。琉衣に手の怪我のことを聞かれたときも、転んで怪我をしたと言った僕への反応は「ふーんおっちょこちょいじゃん」くらいの軽いものだったくらいだ。


「麻霧さんっている?」


 ふと、廊下の方から葉を呼ぶ声が聞こえた。僕らが視線を向けると、そこには僕よりは遥かに背が高く、顔立ちのはっきりした男子が教室の入り口に立っているのが見えた。確か同学年の男子バレー部で、そこそこ勉強もできて、女子からも人気があった奴だ。


「ごめんなさい。すぐ戻る」


 そう言って葉は席を立ち、僕が名前を知らないバレー部君の元へ行ってしまった。


「ありゃ、告りにきたね」


 琉衣の言葉に心がざわつく。僕と葉がここ数日、ずっとこうやって一緒にいるのは既に噂になっている。しかし琉衣によれば、僕と葉が付き合っているわけではない、という事実もセットで流れているらしい。だからかは分からないが、今まで人を突き放すような印象を持たれていた葉に対して『ワンチャン』狙って近づく男子が出始めていた。

 僕としては気が気ではない。自分の好きな女の子が他の男の標的になって落ち着いているような奴は、もう人生を達観しきっている奴に違いない。そんな僕の焦燥も知らないで、琉衣は僕の前に食べかけのサンドイッチを差し出してきた。


「どうしたの」

「な、なんか葉ちゃんがあんなにしてるのに、私だけなんもあげてないのは、変かなぁって」

「いや、いつもそんなことしてなかったじゃないか」

「でもでもでも」


 葉がいない隙に小説の感想を聞けば良いのに、無為な行動に終始する琉衣の思考が、僕には理解できなかった。そうこうしている間に葉が戻ってきた。


「葉ちゃん、告白オッケーした?」


 琉衣が葉に投げかけた言葉に、僕の全身は冷や汗を流し始める。僕の聞きたくないことを聞く琉衣に対して、さっき出した助け舟に穴をあけて沈没させてやりたくなってくる。


「いえ、お断りしたわ」


 告白されたこと自体を否定せず、けれどもあっさりとした顛末の説明に僕は一先ず胸をなでおろす。


「今は彼が大事だって言ったから」

「えっ……」

「わぁお」


 不意に向けられた葉の優しい視線に、僕の顔は真夏の太陽のほうが冷たいのではないかというくらいに熱くなる。


「あと、恋路さん。ノートなら私のをコピーして彼に渡すから、もう来なくても大丈夫よ」

「うぇ?! いや、それは、ほら、昔からの付き合いでノートの見やすさも違いますしぃ?」

「……二人から借りるよ」


 こうして華やかだが、忙しない昼休みが過ぎていく。正直に言えば、楽しかった。

 僕がAIAでの初めての狩りを終えてから一週間、僕の日常は少なからず変化していた。昼食は今のように3人でとり、放課後は葉とスーパーで食材を買って自炊し夕食を共にする。少し前では考えられないような青春を送っていることを、僕は二人の少女を見る度に実感させられていた。


 ◆


 9月15日 木曜日 午後5時30分


「みかりと?!」

「みかりさんと?」


 その日の夕方。僕と葉はアジトで同じ言葉をラフトラックに向けていた。今日の狩りの分担の話になり、僕がみかりと組むようにとラフトラックが指示したのだ。


「うむ、青座君はデビュー戦以来、麻霧君としか組んでいないだろう? 他のチームメンバーとの狩りにも慣れなくては」

「でも、みかりはサボり癖があるし……」

「『でも』も抗議活動デモもなしだ。初戦の日以来、青座君は狩りを成功させていない。それは君も同じだろう」


『HAHAHAHAHA!』


 僕らを見下ろすラフトラックに、葉は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。

 僕と葉は二人一組で狩りに臨んでいる。DWによる犠牲者が出ないよう人通りの少なくない平日夜に、きわみからもたらされるインスマス疑惑のある人物を追跡していた。ただ、ターゲットが現れなかったり、現れたとしても人目のつかない場所で追い詰めることができない状況が続き、ラフトラックの言う通り9月6日以降、討伐に成功していない。


「バディが変わることで、刺激にもなる。そう思うだろう? 東堂くん!」

「任せてよ葉っち! アメリカスンタイルをはっちゃんに教えたげるから!」


 僕らの後ろで話を聞いていたみかりは元気よく答えると、背後から僕に抱き着いた。圧倒的質量を持つみかりの胸部が背中に押し付けられる感触がする。突然の接触に本能的に体は驚くが、心がざわつくことはなかった。彼女は葉にもラフトラックにもハグをする。アメリカ風の行動様式を彼女はなぞっていることに、僕も慣れきってしまっていた。


「葉、僕は大丈夫だから」


 僕はまだ納得していない様子の葉の顔に視線を向ける。葉はしぶしぶ受け入れた。


「……分かったわ」

「帰りが遅くなるかもしれない。今日は僕の晩御飯はいらないから」

「ええ。でも作り置きはしておく。可能な限りアジトで待つから」

「ははーん、さては侍が取られて、やきもち焼いとるんじゃろ」


 今まで沈黙を守っていたきわみが、ノートパソコンの画面の中で歯を見せながら口角を上げているのが見える。


「おぬしら狩りの後はいっつもここで飯作って、食いながらいちゃついてるものなぁ」

「黙りなさい、きわみ」

「さながら新婚夫婦のようじゃもの。モテる旦那がいる新妻は辛いのう」

「三度目はないわ」

「まぁ、葉の貧相な体じゃみかりには勝て――」


 葉は「バン!」と大きな音がたつくらい、勢いよくノートパソコンの画面を叩くように閉じた。きわみの煽りは強制的にストップされる。自業自得なので、きわみへの同情心はこれっぽちも湧き出ない。


「にゃははー仲いいねぃ、二人はー」

「あはは……」


 みかりの言葉が皮肉か本心を測れず、僕はただ乾いた笑いを返した。葉には大丈夫とは言ったが、不安がないと言えば嘘になる。みかりが技術者として一流なのは認めていたが、それを除けば彼女は変わった趣味をもつだけのギャルだ。いくら僕が青春っぽい生活を送り始めたとはいえ、みかりは明らかに僕と住む世界の違う人間で、強いて言えば世界の存亡に興味を持つような人物にも見えない。何故ここに彼女がいるのか、僕には未だに理解できないでいた。


「よろしくねぃ! はっちゃん!」


 みかりが向ける笑顔にも、僕は曖昧に口元を歪めることしかできなかった。

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