「春」の段 3 「竜人」アリシア・ドラゴニアの依頼
「……貴女が、渡会モモさん?」
椅子から転げ落ちたモモの有様に戸惑いながらも凛とした、意志の強い声だった。
鱗と揃いの赤いパンツスーツを身に纏い、7cm以上はあるハイヒールを履きこなす彼女は、さながら騎士のような気迫を漂わせている。
「すみません、ドラゴニア様。彼女は入社したばかりでして」
「も、申し訳ございません……!」
小井野が頭を下げ、モモもそれに追従する。
入社初日、しかも初めて接するお客様の前での失態に、モモの顔は正に真っ青であった。
客観的に見れば、モモは一人でに転んだだけに過ぎないのだが、こういう時、失敗を犯した側は冷静になれないものである。
「そんな畏まらなくても……それくらい気にしませんから、どうか顔を上げてください」
先ほどよりも柔らかくなった声音に、モモは恐る恐る顔を上げる。
するとそこにあったのは、酷い失態を犯した平民(モモ)に膝を折り手を差し出す……聖女のような微笑であった。
別の意味でも固まってしまったモモは、それでも差し出された手を無為にする選択肢は選べず、まるでロボットのようなぎこちなさで掌を重ねた。
「よっ……と、大丈夫ですか?」
彼女はハイヒールである事を全く感じさせない軽やかな動作でモモを立たせるが、固まったままのモモの足がもつれたのが原因で、不意に二人の距離が近くなる。
「ひゃわ」
「……ひゃわ? 私はアリシア・ドラゴニア。よろしくお願いしますね」
「わ、渡会モモですぅ……」
重ねられた手は細くも鱗の影響で少し硬く、整えられた爪も鋭い。
爪で傷つけぬよう細心の注意を払った柔い握り方は、モモをときめかせるには十分だった。
ちなみに「ひゃわ」とは、きっと彼女が王子様だったなら自分は恋をしていただろう……という意味が込められた悲鳴である。
騎士だったり聖女だったり王子様だったり、彼女への評価が行ったり来たりしているが、美しさとは極まると中性的になるものである。
「渡会君、お客様に迷惑をかけないように」
「ひえっ……は、はい!」
ポポポという音を立てて赤面し、しばし絵本のプリンセスになった気分でいたモモだったが、小井野の一言によって現実(仕事)に引き戻される。
「これくらい大丈夫ですよ。それより、依頼について彼女を交えてお話したいのですが」
「恐れ入ります。それでは、面談室に戻りましょう。本当は、面談室でお待ちいただいてもよかったのですが」
「ふふ、すみません。小井野さんの仕事場を見てみたくて」
「え、えっ」
自分抜きに話が進み過ぎていると感じるも、雇い主の小井野が話を進めている本人である以上、モモには他に助けを求める先もない。
そもそもIRKの基本業務すら先ほど学んだばかりであるのに何をさせられるのか、モモの頭の中は?で埋め尽くされる。
流石に放りっぱなしにするつもりはなかったのか、小井野はモモを手招きして耳打ちする。
「安心してください、渡会君。ドラゴニア様から依頼の内容を聞いた上での判断です」
「あの、私まだ㊙ファイル1章しか読み終えてないですし! 私なんかお役に立てるでしょうか……」
元より、モモは全くの業界未経験での採用だ。
小井野も即戦力級の実力は期待していなかっただろう。
しかし小井野は自分より遥かに有能で、今の自分の力など足手纏いでしかないという事実は、彼女に少なからずショックを与えていた。
そんな様子のモモを見て、小井野は憤慨したり呆れるのでもなく、ふっと笑みをもらした。
「渡会君」
「……はい」
「確かに昨日、貴女と出会ったのは偶然です。それでも、貴女を雇ったのはただの気まぐれではないと、断言しておきましょう」
「…………!」
「これでも私、人を見る目には自信がありますので。そして、ドラゴニア様の依頼を貴女なら完遂できると見込んで、私から紹介したのですよ」
モモは自分がいつの間にか手を握りしめていた事に気付く。
(……小井野所長は、本気だ)
彼の黒い瞳は感情を読み取り辛いが、しかしその目を見て、モモは彼の言葉に嘘偽りがない事を感じ取った。
「ドラゴニア様、お待たせしました。渡会君も、行きましょう」
「っはい!」
未だにモモは小井野の事をよく知らないし、きっと小井野もモモの事を知らない。
それでも自身の目を信じて疑わない小井野の事を、モモは疑わない事に決めた。
―――――――――――――
先程までいた事務室と同じくアンティークの家具で纏められた面談室には、座り心地の良いソファが二つ、ローテーブルを挟んで設置されていた。
小井野とモモ、そしてアリシアというように分かれ、三人は座る。
「__それで、私への依頼とは一体……?」
着席するや否や、モモは早速問いかけた。
モモはアリシアの一挙手一投足を見逃すまいとじっと彼女を見つめ、小井野は特に言うべき事もなかったので黙り……アリシアは何か躊躇う様に目を伏せる。
面談室にしばし静寂が訪れた。
「っその、依頼というのは……」
何かを言いかけるも、やはりアリシアは発言を躊躇ってしまう。
頬を染め、声音は頼りなく、目線は浮ついている。
先程までの立ち姿とは別人とも言える彼女の様子に、モモは(失礼ながらも)目を疑った。
「すみません。いざとなると少し、緊張してしまって」
しかしようやく、アリシアは覚悟を決め、モモの目を真っ直ぐと見た。
「渡会さん。私のお見合いに、同席していただけませんか?」
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