湯上(ゆがみ)くんのオーバーライト!

 男の子の一人暮らしなんだから、そこまでセキュリティが厳しいマンションじゃなくていいでしょ? なんて言葉に素直に頷き、親に払ってもらっている家賃のことを考え、格安の物件に住んだのが間違いだった……事故物件じゃない、もしかしたら今後のことは分からないけど。


 鍵はあるけど、かけてもあまり意味はない……。かかったような音がしても緩くて自然とはずれてしまうのだ。

 地震が起きた時なんか、必ず扉が外向きに開いている……、外観は普通のアパートなんだけど、部屋の中までは手を入れられていないようで、かなりボロい……。

 これが格安の理由なのだから仕方ないのだろうけど。


 泥棒からすれば入り放題だ。

 ……盗むような価値あるものはないはずだけどなあ……。


 泥棒でなければ――。

 目的が違えば、セキュリティの甘さはある人物にとっては渡りに船である。



 バイトを終え、学校から帰ってくると部屋の電気が点いていた……消し忘れた、とかじゃない。昼間は太陽の光で明かりを確保しているので点けるはずがないのだ。……だからおれではない誰かが、そこにいる……――母さんかな? 母さんでいてくれ頼むから!


 そー、と扉を開け……――まあ当然、鍵なんてかけていないか。かかっていたとしても鍵穴を指の腹で捻れば解除できてしまう……。鍵を持ち運ぶ必要がないのは楽だけどな……ちゃんとしたアパートなのに、この野宿をしている感覚はどうなんだ?


 慣れてしまえば当たり前になってしまうのが、人間の凄いところだ。


 そっと覗き込むと、すぐ傍が台所なので犯人が分かった。……女の子だ。

 エプロンをつけ、遠慮なくうちのガスを使って料理を作っている――同級生。


「……またきてるの、氷泉ひいずみさん――」


「おかえりなさい、湯上ゆがみくん……あ、違うね、あ・な・た」


 何日目だ? 毎日毎日、こうしておれの夕食を作ってくれているけど……なにが目的? 教室では一切、話しかけてこないのに……。


「今日はカレーだよ」


「今日もでしょ? いやいいけど……作ってくれているだけありがたいよ。

 変なものとか入れてないよね?」


「んー? 湯上くんが言っている変なものがなにを指しているのか、わかんにゃーい」


 鍋に入れているスパイスは……、正直その調味料もなんなのか分からないし、仮にそれが毒だったところでおれには分からないんだけど……、変なものと言えば氷泉さんの血、とか……。


「それならいつも入ってるけど」


「あ、いつも……えっ、入ってるの!?」


「うん。わたし、最初の頃は料理が上手じゃなかったから……包丁で何度も何度も指先を切っちゃって……。それでたぶん、少量の血が混ざっちゃってると思うの」


「あ、そう……そういう理由なら、まあ」


「血が混ざった料理を食べた時、初めて湯上くんが美味しいって言ってくれたから――それからはわたし、スパイス程度に血を入れてるんだあ……、隠し味になってるのかも」


「隠されてない時もあったよ! ガッツリ鉄の味がしたし!!」


 だから気づけたというのもある。ただ、気づいてもお腹を壊したとか、体調が悪くなったとかの異変はなかったわけだし……。ゆっくりと殺されていっている、わけじゃないよね?


 おれに自覚がないだけで、外から見ればおれはゆっくりと衰弱していっている?


「……湯上くん、怯えないで。

 わたし、湯上くんのことが好きだから、お世話をしているだけだよ?」


「学校では顔も合わせてくれないのに?」


「だって、それは恥ずかしいから……。

 あ、そうだ、テーブルの上にプレゼントがあるの」


 話を逸らしたな……で? プレゼント?


 怖いけど……彼女が「見て見て!」とわくわくしているものだから、遠慮もできない雰囲気だ。以前のことを考えるとなあ……プレゼントと聞いて良い思い出がない。


 うっかり品薄のゲーム機が欲しいと言ったら、定価の倍以上の値段で買ってきたことがあったし……。地域限定のスイーツが食べたいとぼそっと言ったら、翌日、他県までいって買ってきてくれたり……。嬉しいけど、それよりも先に引いてしまうのだ……、どうしてそこまで?


 好きだから、と言われてしまえば、なにも言えなくなる――そもそもどうしておれのことをそこまで? 彼女になにかした覚えはないんだけどなあ……。


「一目惚れ」


「耳元でぼそっと言うな! あと、なんで心の声が分かった……」


「湯上くんの表情筋を見ていれば分かるよー。あと汗の味とかで」


 耳の裏を、ぺろ、と舐められた……うわっ!?


「いいからいいから、早くプレゼント見てよ」


「あー、はいはい」


 部屋の中がピンク色に塗装され、ラブラブバカップルが住んでいそうな内装になっていることには触れずに、テーブルの上にあるプレゼント箱を開ける。

 ……リボンを解いて中を見ると……わお、指輪である。そして婚姻届けも判子以外は書かれてあるし……、あれ? でもおれ、まだ結婚できる年齢ではないのでは?


「誕生日がきたら結婚しよっか」


「うん……って、ちょっと待て! 付き合ってもないのに結婚!? 早過ぎだろ! お互いの親にも挨拶してないし、そもそもデートの一回だっていってないじゃないか!」


 話が早いのだ、もっとゆっくり……。

 順序をさ……キスどころか、手を繋いでさえいない。


「あ、もう一通りやっちゃった」


 顔を赤らめて言う彼女。……は? なんのこと?


「湯上くんが寝ている間に、手を繋ぐこともキスも×ッ××もしちゃったよ」

「おれ、それ知らないんだけど!?」


「だって寝てるんだもん。起こすのも悪いし……起きないようにしたし」


 起きないようにしたし!?

 おい、意図的におれを眠らせて嵌めた確信犯じゃねえか!


「だーかーらー、もう一通り経験したから、いつでも結婚できるの。

 いいじゃん結婚くらい。親に挨拶すればいいんだっけ? じゃあ休みの日にいこうよ」


「×ッ××したのに覚えてない……え、マジで? うわ、もったいねえ――」


「あのね、いつでもしてあげるから。ほらほら、ご飯できたよー。それともわ・た・し?」


「いま喉も××コも通らねえよ!!」


「上手いこと言ったみたいなどや顔もカッコいい……っっ!」


 全肯定だな。このままだとダメな大人になりそうだ……。


「ダメな大人になってもいいけど、ダメな父親にはならないでね」

「おう……」


 なんだか、色々と埋められて、なし崩し的に結婚させられそうだった……まあ。

 嫌いじゃない。


 こうして毎日、顔を合わせることで親近感が生まれてきたし、もしも明日、彼女がいなければ不安になることは確実だ。


 ……順序を大切にしているだけで、別に彼女のことが嫌で嫌で仕方ないわけじゃないのだ。……おれにもそりゃあ、好きな子はいたけど……、いた、のだ。


 過去形である。その子は別の男子とくっついた。だからってわけじゃないが、今のところ、おれの頭の中にあるのは彼女だけ、だ。


「じゃあ、まあ――」


「はい」


「結婚、しようか」


「はい!」



 それから二年後。


 おれたちは夫婦となり、平和な日々を過ごしていた……だが不安だらけである。彼女の体調のことを考えれば、一年に一回の健康診断じゃあ安心できない。

 だから毎週、必ず健診には連れていっている。

 だって一年に一回の健診じゃあ、その時は大丈夫でも、極論、検査の数分後に異常が出ているかもしれない……それが進行して死に至るとなれば、悔し過ぎる……。

 だから毎週、妻を健診(検診)に連れていき、確実な健康を証明してもらっているのだ。


「あなた、今日も異常なしでしたよ」

「そっか……あ、喉、渇いてない? 飲みもの買ってくるよ」


「あ、大丈夫、お茶、わたし持って――」

「どれがいいかな……とりあえず全部買ってくる」

「そこまでしなくていいから!」


 戸惑う妻の呼びかけには答えず、おれは自販機へ向かった。




「――あ、湯上さん、これをお渡ししておきます……、いつも仲が良さそうですね、羨ましいです。ただ……その、優しいけどちょっと重い旦那さんですね」


「……ええ、まあ。たぶん、お返しのつもりなんですよ」

「お返し?」


「学生の頃は、わたしが重かったですからね。旦那のことが好き過ぎて、お世話をしたくて過剰にやってしまったり、喜ぶ顔が見たくて無茶なことをしたり。

 旦那のことを知りた過ぎて、プライベートな事情にも首を突っ込んでみたり――迷惑だったと思いますよ。それでも受け入れてくれましたよ……、通報することもできたのに、わたしを排除したりはしませんでしたから」


「へ、へえ……そうなんですね……だから、お返し、ですか」


「わたしは彼を射止めるために、彼以外を排除しましたし……と言っても、彼の周りにフリーの女の子を作らない、ってだけですけどね。

 周りが付き合い出せば、おのずと彼もわたしを見るかな、と思えば、その通りにいきました。彼を射止めるという目的があれば、なんでもできましたよ……若いからこそできたことですね」


「……今は、違う、ってことですか?」


「いえ、同じ気持ちですよ。でもね、ナースさん。旦那の方がわたしのことを好きなので。わたしがなにかをして好意を証明しても、上書きされちゃうんですよ。

 旦那はわたしの体調を気遣ってくれています……長生きするように――。そのためには彼は、たぶんなんでもしますね。彼を射止めようとしたあの時のわたしみたいに」



「――あれ? ナースさんとお話し中……え!? まさかなにか異常でも!?」


 自販機で大量の飲みものを買って戻ってくれば、妻とナースさんが話し込んでいて……――おれには話せないことなのか!? 致命的な癌でもあったんじゃ……っっ。


「大丈夫です、健康体ですよ。異常はなにもありませんから」


「はぁ、良かった……。

 あの、ナースさん……自宅で健康診断をしたいんですけど……」


「え、それは……我々を出張させるおつもりですか?」


「いえ、設備を用意すれば、同じことができるのかなって思いまして――。知識はあります。資格も取ろうと思えば取れると思います。

 妻だけの専属医師になれば、妻を長生きさせることができますよね!?」


「重いですねえ……まあ、言いたいことは色々ありますが、そのためにはまずあなたが健康体でいないといけませんね――奥さんのことばかりで、あなた自身は健康とは言えませんから。

 では来週は旦那さまの健康診断をおこないますので、くれぐれも無茶なことはしないように」

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