第4話 転生した幼馴染みの様子がおかしい

 雪奈……いや、綾音が目を覚ましたので、俺たちは帰宅することにした。

 玄関を抜けて家の中に入ると、相変わらず閑散とした空間が広がっていた。


「家の中、あまり変わってないね」

「まあ、親もほとんど帰らないからな。雪奈と二人暮らしみたいなものだし、大して変わらないよ」

「相変わらず、翔馬たちの両親って何考えてるんだろ」


 綾音が怒ったように言った。


 両親の放任ぶりは小学生の頃からだった。

 基本的に何でも仕事を優先する二人で、家にはほとんど帰らず、家事のほとんどを兄の俺に任せていた。

 雪奈が幼いときからずっと、俺は雪奈の保護者として家事をしてきた。


 学校の三者面談でさえ、俺が両親の代わりに出席していたくらい。

 学校側も認知しているが、俺が気にしていないので口を噤んでいる。


 本当なら、ネグレクトで訴えられても仕方ないと思うが……。


「学校なんて事なかれ主義だろ? 困ってないなら手を差し伸べない。おかしいと思っても、家庭には介入してこない。俺や雪奈に不満が無ければ、わざわざ問題にしようとは思わないんだよ。その方が気楽でいいけどな」

「それもちょっと問題だと思うんだけどなぁ……」


 納得いかない様子だったが、当事者が気にしないと言っているので問題ないんだよな。


 だが、綾音は納得してくれなかった。

 眉根を寄せると、何か考え込んでいるように腕を組んで唸ると……。


「あ、そうだ!」

「断る」

「まだ何も言ってないんだけど⁉」

「いや、何となく先が読めてな……」


 結婚して家族になろう! とか言うつもりだったんだろう。

 そう予測して言葉を返したんだが……。


「私はただ、夕食を作ってあげるって言おうとしただけなのに……」

「あれ? 綾音にしては意外とマトモな答えだな……」

「私のことなんだと思ってるの! てか、せっかく私が転生したんだからもっと泣いて喜んで敬って崇め奉るべきじゃない⁉」

「どんだけ丁重に扱われたいんだよ!」


 いや、でも綾音の言うことも一理あるんだよな。


「素直に喜べないのは、悪いと思ってるよ。別に嬉しくないわけじゃないし」

「じゃあ、どうして素直になってくれないのぉ……」

「見た目が雪奈だからな……」

「ああ、実感が湧かないんだね」

「それもあるけど……問題はそれだけじゃない」


 綾音は首を傾げた。


「どういうこと?」

「……雪奈の行方だよ。綾音がその身体に転生したら、雪奈の魂はどこに行ったんだよ」

「それは私にも分からないよ。私だって、ただ転生しただけだし」


 綾音は死んだ後に女神と出会い、転生したという。

 綾音自身も巻き込まれただけなのだろうか。

 いずれにせよ、雪奈が返ってこないと不安は拭えない。


 いきなり会えなくなるなんて、まるで綾音の事故の時と同じだ。

 どちらかを失う代わりに、どちらかと会うことができるなんて残酷すぎる。


「……でも、別に戻らなくてもいいんじゃない?」

「は……?


 コイツは何を言っているんだ?

 困惑する俺をよそに、綾音は続ける。


「雪奈ちゃんがいなくて寂しいなら、私がその心に空いた隙間を埋めてあげる。それなら、翔馬も満足してくれるでしょ?」

「いや、そういう話じゃ……」

「――まさか、私と付き合うのが不満なの?」


 綾音が俺を見上げていた。

 その双眸を見て、気づく。

 彼女の目から光が失われていることに。


「ッ……」

「私、本当はね……翔馬にも死んでほしかったんだぁ」


 綾音は腕を伸ばした。

 俺の喉に手をかけ、軽く触れるように撫でる。

 ゾワリ、と背筋に寒気が奔った。


「お、お前……まさか俺に心中してほしかったって言うのか?」

「当たり前でしょ。大好きな人が死んじゃったなら、一緒に死んでほしいって思うことの何がおかしいの? 大好きな人のために死ねないなら、それって死ぬほど大好きじゃないって言っているようなものじゃない?」


 それは、そうかもしれない……。

 でも、あまりにも極端すぎる。


「……別に、俺は死にたくなかったわけじゃない。むしろその逆……綾音が死んでから、後を追おうって何度も考えた」

「でも、死んでないじゃん」

「俺の家の事情は知ってるだろ! 両親は俺や雪奈に興味を持たない。もし、俺が死んだら雪奈が独りぼっちにされる! アイツの家族は俺しかいないんだ。だから、雪奈のためにも死ねなかった」

「それって、私よりも雪奈ちゃんの方が好きってこと?」

「い、いや……」


 違う、と否定したかった。


 だが、雪奈を優先したのは事実だ。

 俺は綾音よりも雪奈の方が大事だったのか……?


「自覚してなかった、っていう顔だね」


 綾音は寂しそうに瞼を伏せると、首筋を撫でていた手を下ろした。

 再び彼女が顔を上げた時には、笑顔になっていた。


「……ま、家族だから仕方ないよね。翔馬が優しいことも知ってる。仕方ない……そう、仕方ない……」

「え、ええと……綾音、さん……?」


 動揺して声をかけるが、綾音には声が届いていない様子だった。

 虚ろな目をしたまま頭を押さえると、俯いて言葉を漏らす。


「うん、仕方ないこと。だって二人は兄妹だもん。家族は大事にしなきゃ。翔馬の優しいところは知ってるし、そう言うところが好きだったはず。だから、私が嫉妬するのはおかしい。変なのは私の方。私がダメなんだ。翔馬にとって、家族以上に大事な存在になれなかった私が、私が、私が私が私が………………ッ!」


 呪詛のように。

 彼女の溢した言葉の一つ一つが、心臓に杭を打ち付けてくるかの如く痛かった。


「――でも、大丈夫」


 やがて、綾音の言葉が止んだ。

 同時にこちらを見上げた彼女は……優しい笑みを浮かべていた。

 怖いほどに。


「これから教えてあげればいいだけだもん。翔馬にとって、一番大切にするべきなのは誰なのか。ちょうど、私は雪奈ちゃんになったし都合もいいよね」

「あ、綾音……何する気だ……?」

「ふふっ。簡単なことだよ」


 綾音はくすくすと笑い……。


「翔馬が私と子供を作ればいいんだよ」

「っ! い、妹とそんなことできるか!」


 雪奈とは付き合っていたが、キス以上のことはしていない。

 もちろん、それ以上の好意をするつもりだってなかった!

 雪奈だって分かっていたはずの一線。

 なのに、綾音は平気で踏み越えようとしてくる。


「だって、こんな見た目の私とでも子供を作りたいって思ってくれたら……それは本当に好きってことじゃない?」

「っ……」

「見た目や倫理観に縛られなくていいほどに大好きって証拠だよ。それを確かめるなら、この見た目で翔馬が本気で私を好きになってくれることが一番だと思うの。ね? 翔馬だって私と家族になりたいって思ってたはずでしょ? だったら、別にいいよね?」


 綾音が俺の胸に手を当て、妖艶に笑んでくる。

 魔性すら感じる仕草に、思わず喉が鳴った。

 だが――。


「そ、そういうことは絶対にしない! 綾音が雪奈の身体にいる以上は……」

「……ふぅん。そんなに雪奈ちゃんのことが大事なんだ」


 大事に決まっている。

 だって、俺の妹なんだぞ?

 兄は妹を大事にするものなんだ。

 両親に見捨てられたなら、なおさら。


「ま、別にいいよ。……翔馬がどれだけ我慢したとしても、我慢できなくなるくらいに私のことを好きになってくれたらいいだけだから」


 綾音は俺から離れると、リビングへ向かって歩き出した。

 扉の前で一度立ち止まった彼女は、俺へと振り返ると。


「それじゃ、早速夕食作ってあげるね! 久しぶりに愛妻料理が食べられるんだよ? もっと喜んでよね?」


 冗談の欠片すら感じさせない口調でそう話し、リビングへ続く扉の向こうへと姿を消した。


 綾音が視界から消えたことで、俺は廊下の壁に背をつきながら座り込んだ。

 思わず止まってしまった息を再開させながら、天井を仰いだ。


「マジかよ……」


 綾音の言動を整理すれば、こうだ。


 ――俺の幼馴染みがヤンデレになっていた。

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