因縁
競技場では吹き抜ける木枯らしに砂埃が舞っていた。マクシミリアンは怪鳥を模した
「待っていたぞ!」
真っ黒な竜の背後から、長身の男が姿を現した。男は閥族の子弟たちが着る簡礼服ではなく、皮のつなぎを身にまとっている。
「シグルズ殿、お待たせしました。どうやら試合予定の変更があって、色々と立て込んでいるみたいです」
マクシミリアンはそう告げると、黒いロングコートを着た肩を小さくすくめて見せる。
「変更? 違うな。ここで俺に叩きのめされるのがお前の運命、それだけのことだ」
「おや、シグルズ殿にしては随分と
「なめるな! フローラをもて遊び、傷つけた報いを受けてもらう」
シグルズの仮面のような顔に怒気が宿る。
「まあ、あなたがそう思うのなら、そう言う事にしておきます。色々と押していて時間もありません。早速始めましょう」
マクシミリアンの言葉に、シグルズが辺りへちらりと視線を向けた。
「係官の事ならご心配無用です。退去してもらいました。何より危険ですからね。これで思う存分、あなたの好きなようにやれます」
「ファーヴニル!」
それを聞いたシグルズの右手が上がった。背後の竜がその長い首を持ち上げる。
グゴゴゴゴォォゴゴゴォォォオ――!
竜の口からマクシミリアンへ向けて、いきなり赤い炎が伸びていく。冬だと言うのに、その周囲でもうもうと陽炎が上がった。それだけではない。背後の石壁がガラスへと変わってしまっている。
「あの日と同じく、飛んで逃げないのか?」
シグルズの問いかけに、陽炎の向こうから黒い簡礼服姿の男と、銀色の羽をもつ人形が姿を現す。
「逃げる? やはりシグルズ殿は何か勘違いをしていらっしゃる。因みに今日は飛んだりはしませんよ。それではあなたと遊べないじゃないですか?」
「今のが本気だと思うな!」
再びシグルズの右手が上がった。それに合わせて竜も首を上げる。だが今度はいきなり炎を吐いたりはしなかった。竜の胸の辺りに赤い光が灯り、それが渦を巻きながら、長い首へと上がっていくのが見える。
「己が慢心を地獄で後悔するがいい。
シグルズが再び右手を下した。同時に背中へ手を回してマスクを被る。次の瞬間、大きく翼を広げた竜の口から閃光が漏れ、競技場全体が赤い光に包まれた。それはまるで地獄の炎さながらに、すべてを燃やし尽くしていく。
光が消え、地面からは黒いちりが舞い上がる。それを眺めながら、シグルズは地面へ倒れこんだ。もどかし気に被っていたマスクを脱ぐと、大きく息を吐く。
シグルズは両膝をつきながら辺りを見回した。視線の先にはガラス状になった地面と、それが上げる陽炎の揺らめきしか見えない。
「やったか……」
シグルズの口からつぶやきが漏れた。
「やはり、後出しの高圧ガスの混合比率で火力を調整しているみたいですね。そうでなければあなた自身も黒焦げだ。もっともちょっとでも間違えたら、火傷ぐらいではとても済みそうにない」
シグルズが慌てて背後を振り返った。その視線の先には、少し癖のある黒髪を風になびかせる男の姿がある。
「貴様、どうやって!」
「人形を中心に、ある程度は安全圏が存在する事ぐらい誰にでも分かりますよ。もしかして、最初の炎を派手に見せてやれば、ごまかせるとでも思いましたか?」
シグルズは慌てて立ち上がった。だがふらつく体に、ファーヴニルの前足へ体を預ける。その顔は苦痛に歪み、身にまとう皮のつなぎからは白い煙も上がっていた。それを見たマクシミリアンが再び肩をすくめて見せる。
「それでつなぎを耐火仕様にした訳ですか。でもちょっと足りなかったみたいですね。こちらもおろしたての服を焦がしてしまいました」
そう告げると、わずかに焦げた裾へ指を向けた。
「ガルーダの体が銀色なのにも、それなりに理由があるのです。これでも耐熱仕様でしてね。空を飛んでいるときに、下から狙われた際の気休めみたいなものです」
マクシミリアンがにやりと笑って見せると、小さく手を振った。ガルーダが竜の懐へと飛び込んでいく。それを見たシグルズは竜の翼の間へ身を隠した。
「その小鳥のくちばしぐらいで、ファーヴニルの装甲を何とかできると思うな!」
羽を広げたファーヴニルが、マクシミリアンとその背後にいるガルーダを薙ぎ払おうとするが、両者はまるで竜と踊るみたいに、ファーヴニルの間合いの内を離れずに動いていく。
シグルズが苛立たし気に右手を上げると、ファーヴニルは目の前にいるガルーダへ向けて、大きく口を開いた。
「差し違えるつもりですか? 妹さんが悲しみますよ」
マクシミリアンの台詞を無視して、シグルズが腕を下ろす。ファーヴニルの口から赤い光が漏れ出した。それを見たマクシミリアンが口の端を持ち上げて見せる。
「では矛と盾、どちらが強いか確かめてみましょう」
次の瞬間、ガルーダの翼の間から二本の腕が現れた。それはファーヴニルの首へ伸びると、その首を抱いたまま、竜の背中へ飛び乗る。
「待て!」
シグルズはそう叫んだが、反り返ったままのファーヴニルの頭から赤い光が放たれた。その灼熱の炎は竜の体を引き裂き、その片翼を切り離す。
ガルーダがそのまま首を上へ持ち上げると、炎は雲一つない冬の空へと伸びていき、やがて消えた。同時にファーヴニルがその体を力なく地面へ横たえる。
「どうやら矛の勝ちみたいですね」
そう告げると、マクシミリアンは指先を小さく回して見せた。それに応えるように、怪鳥が竜の首を手にその巨体を引きずっていく。そして両手で首を持つと、ぐるぐると回転し始めた。
やがて片翼を失ったファーヴニルの巨体が宙へ浮き、放物線を描いて競技場の壁へ激突する。竜の体はまるで巨大なレリーフみたいに石の壁へとめり込んだ。
ガルーダはふわりと体を跳躍させると、蹂躙するかの如く動かぬ竜の上へ舞い降りる。そして鋭いくちばしをその中心へ打ちおろした。くちばしの先端が、竜の体から銀色の淡い光を放つ珠を引きずり出す。
パリン!
小さな破裂音が辺りに響いた。初雪を思わせる銀色の破片が、動かぬ竜の体へ降り注ぐ。
「試合終了です」
そう告げると、マクシミリアンは背後を振り返った。そこでは竜の翼に下半身を押しつぶされたシグルズが、地面へ横たわっている。
「まだ息がある。仕事のせいですかね。随分と頑丈な体をしています」
マクシミリアンは荒い息をするシグルズの前へ足を進めた。
「ガルーダ!」
舞い降りた怪鳥が黒い羽を弾き飛ばす。マクシミリアンは地面へ膝まづくと、シグルズの髪を掴んでその顔を上げさせた。
「お、お前ら……ぜ、絶対に、みな殺しに……」
絞り出すように声を上げたシグルズを眺めながら、マクシミリアンがうんざりした顔をして見せる。
「本当に救いようのない人だ。勝ち方を知らなければ、負け方も知らない。勝者に対する畏敬の念すらなければ、敗者に残るものなど何もないのですよ」
そう告げると、マクシミリアンはシグルズの体を地面へ放り投げた。
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