警告

「リンダ奥様、クエル様の侍従をさせていただいております、セシルと申します。どうかよろしくお願いいたします」


 セシルは馬車の扉の前で、中の乗客に向かって丁寧に挨拶をした。


「フリーダの母のリンダです。堅苦しい挨拶は後にして、先ずは馬車に乗ってください」


「はい、奥様。失礼させて頂きます」


 セシルは侍従服の裾を持ち上げると、身軽に馬車に飛び乗った。前に止まっている馬車と違って、こちらは箱型の普通の馬車だ。セシルは再度一礼すると、侍従らしく背筋を伸ばし、手を膝の上に揃えてリンダの隣へ座った。


「出発します!」


 御者の掛け声と共に馬車が走り始める。


「本日は私の様な卑賤ひせんのものまでご招待いただきまして、誠にありがとうございました」


「セシルさん、そのような言い回しは不要ですよ。私どもの方で望んでご招待させて頂いたのです。むしろお仕事の邪魔をしたお詫びをするのは、こちらの方だと思います」


「奥様の寛大なお心に感謝いたします」


 セシルはそう告げると、リンダに向かって深くお辞儀をした。


「フリーダの昔の服をお貸しすればよかったですね。色々とバタバタしていて、気が利かなくてごめんなさい」


 リンダはセシルの服を見ながら、さも済まなさそうに声をかけた。


「ありがとうございます。奥様のお気持ちはありがたいですが、私は侍従ですので、こちらの服で丁度良いかと思います」


「セシルさんはまだお若いけど、どこかのお屋敷で、侍従として働いていた事があるのかしら?」


「はい、東領におりました時に、とあるお屋敷で……」


「ふふふふ」


 何かを答えようとしたセシルに、リンダは口元に手を当てて含み笑いを漏らした。


「奥様、何かお気に障ることでも申しましたでしょうか?」


 セシルが当惑した表情でリンダに問いかけた。


「いえ、セシルさんがあまりに完璧なので、少し驚いただけです」


「そんな事はございません。まだまだ未熟者です」


「そうかしら? セシルさん、『過ぎたるは及ばざるが如し』ですよ。あなたの歳でその振る舞いは完璧すぎます。あなたは人形ですね?」


「私が人形ですか?」


「誤魔化さなくても大丈夫です。これでも私は人形師の妻ですよ。それにエンリケさんは夫の友人でもありました。あなたのその完璧さを見れば、たとえ外見は人に見えても、中身が人でないことぐらいは分かります」


「そうでしょうか?」


 セシルは自分の姿をちらりと見た。


「見かけの問題ではありません。そもそもクエルさんの所にいきなり侍従さんが現れたら、それ以外の理由を思いつきませんよ」


 そう告げると、リンダはセシルに微笑んで見せる。


「それにあなたのようなかわいいお嬢さんを、いきなり橋の下から拾ってくると言うのは、とっても難しいことだと思いませんか? 王冠につける宝石を拾ってくる方が、まだ簡単なぐらいですよ」


 リンダの台詞に、セシルは小さくため息をつくと肩をすくめて見せた。その態度は先ほどまでの侍従らしい控えめな態度とは打って変わって、不遜な感じすら見せている。


「『真実は小説より奇なり』と言うではないか。むしろあれぐらいの話の方が、信憑性があるのではないか?」


「そうね。私の娘ぐらいなら騙されるかもしれないわね。でも普段から騙し合いをしている相手にはどうかしら?」


「ならば最初からそのように言えば、我が無駄な演技などしなくて済んだのだがな……」


 セシルがリンダに再び肩をすくめて見せる。


「御免なさいね。あなたが私にどの様に振る舞うか、少し興味がありました」


「それを確認する為に、我をわざわざ娘の誕生日会に招待したのか?」


「あなたとお話をしたかったのは本当よ。それに今日は娘の邪魔をしないよう、私の目の届くところに居てもらいたかったの。どちらかと言えば、そちらが目的ね」


 リンダの台詞に、セシルは「ふん」と鼻を鳴らして見せた。


「セシルさん、あなたにはあなたの都合があると思うけど、私には私の都合があるの。母親というものは自分の娘のためなら、とても利己的に振る舞うものなのよ。その点ではマスターに対する人形と同じね」


「確かにお前は人形の本質をよく理解しているな。それにお前には知性がある」


「知性? 私は普通の主婦よ。買い被り過ぎです」


「我に間違いはない。普段はそれをひけらかしたりはしないが、それでいて使うべき時を心得ている。それを知性と呼ばずして、何を知性と呼ぶのだ?」


「セシルさん、やはりあなたはとても賢い方です。だから私があなたに何を聞きたいかも分かっているでしょう? あなたはエンリケさんからクエルさんのところに送られてきたの? それとも他の誰かから?」


 そう問いかけるリンダの顔には、普段フリーダやクエルに見せているものとは違う何かをまとっている。


「それをお前に答える義理はない。お前が我に答える義務が無いのと同じだ。だがそれを我に聞くとは愚かだな。こちらに推測させるべきだろう。違うな……」


 セシルはそこで言葉を切ると、リンダに対して首を捻って見せた。


「敵でも味方でもないことをはっきりさせる事で、我がお前の娘をすぐに消してしまわぬ様にするための保険か……」


「さっきも言ったでしょう。全ての母親は子供のためには利己的だと。これは私のあなたへの警告です。そしてあなたの言う通りに保険でもあります」


「我はお前の事を舐めていた。それにお前の娘は手強い」


「そうよ。私の自慢の娘ですもの。だから競うつもりなら、正々堂々とお願いします。いきなりクエルさんを、寝室に引っ張っていったりはしないでくださいね」


 そう告げると、リンダは両手を組んだ上に顎を乗せ、じっとセシルの方を見つめる。その視線の先で、セシルは背筋を伸ばすと両手を膝の上へ揃えた。


「はい、リンダ奥様。承知いたしました」

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