敗戦国の女騎士でもスポーツ剣技なら世界最強にだってなれます!

シン・タロー

第1話

 かわいらしい黄色い花畑が広がっていたはずの、わたしのお気に入りの場所が真っ赤に染まっていた。


 刃こぼれた剣を手離そうとしても、握りしめた拳は少しも開いてくれない。


 仕方ないから、剣を握ったままの腕をだらんと下げる。


「――……アイリス! アイリスっ!」


 血で錆びついた刀身を新しい血液がつたって、ポタポタとまた花畑を赤く汚していく。


 イヤだな。


 ささやかな場所も守れず、わたしはなんのために剣を振っていたのだろう。

 剣を手にして、わたしがやりたかったこと――


 やってしまったこと。


 横たわり、積み重なる幾十、幾百の死体を前に、血の気が足へと落ちて頭がふらついた。


「アイリス、もういい。もう終わったのだ。よく、よく生きていてくれた!」


 倒れる寸前で肩を支えられた記憶を最後に、わたしの意識はぷっつりと切れてしまった。



◇◇◇



「あの、お話がよくわからないのですが」


 わたしが籍をおく“マルシド騎士団”の訓練場にて。

 ヘーゼル団長がまくしたてるような早口で、垂れた前髪をいじりながら繰り返す。


「戦争は終わったのだ、アイリス。負けた我々も本来であれば解体されてしかるべきところ。しかし、しかしだ。幸運にもマルシド騎士団には新たな指令が下された」

「それはつい今しがた聞きました」


 ぴょろんと顎先まで伸びた緑髪の一束はヘーゼル団長のこだわりだそうで、それを指でくりくり捻るのをやめない。


 よく知っている。

 興奮しているときの癖だ。


「ここ“カプルエラ”領主であるカンパニュラ様の経済発展の手腕が高く買われていると。それでこの街と我らマルシド騎士団はそのままの形で残される――と、そういう話でしたよね?」

「そうであるが、そうではない」

「は?」

「事の本質は、言葉通りではないと言っている」

「……はあ」


 めんどうくさい。

 もちろん悪い人ではないのだけど、持って回った語り口調についつい返事もおざなりになってしまう。


「マルシド騎士団に下された指令は観光事業の成熟に貢献すること。幸い、カプルエラは美しい自然に囲まれた都市だ。元々からして観光目的の旅客も多い」


 ヘーゼル団長の言うとおり、カプルエラの街は立派に観光都市として機能している。


 お店もたくさんあって。

 食べ物もおいしい。


 特に有名なのは、やっぱり街の中心に位置する綺麗なアクアブルーの巨大湖。

 我らマルシド騎士団の本部および訓練場も、湖の真ん中にあったりする。


 マルシド騎士団はカンパニュラ様が私財を投じて集めた私設騎士団だ。

 湖にわざわざ長い橋を架けてまでわたし達を街の中央に据えたのは、マルシド騎士団をカプルエラのシンボルとして機能させたかったから。


 雇用主と、領民の期待に応えるために、他国の侵略に必死で抵抗して、わたし達は、あの丘で敵を迎え撃って。


 花畑の丘で、わたし達は。

 わたし、は。


 頭を手で押さえ、浮かびかけた映像を急いで振り払う。


「……一年だ、アイリス。戦いが終わって一年。街も我々も、そろそろ変化していくべきだとは思わないか」

「変化、ですか」


 ヘーゼル団長は頷いて、弄くり回していた前髪をついにピンと解き放つ。


「騎士団への指令、そして世界の変革を同時に満たすべく、私は新たな競技“テクニカルブレイド”を提案する」

「………………は……?」


 テク……なに?

 競技、と言った?

 世界の変革? 街とわたし達の話では?


 いや、本当に、わたしにはこの人が何を言っているのかさっぱりわからなかった。


「ついては、この訓練場をテクニカルブレイドの競技場へと改修する予定だ。いずれは参加者を募って大会など開催するのもいいだろう」

「まっ、ちょっと待ってください!」

「私の野望に協力するのだ、アイリス」

「お断りします。協力って……そもそも私に何を望むというのですか」


 きっと他の団員にも相談せず、独断で考えたに違いない。

 放っておくと、なし崩し的に計画を実行に移してしまいそうな危うさを感じた。


 やれやれと首を振り、ヘーゼル団長は遠い目を明後日の方へ向ける。


「興行として成り立たせるには、当然まずは競技人工を増やさなければならない。私が考案したテクニカルブレイドは剣の腕を競い合う競技だ。技巧を派手に魅せる必要もある。そうでなければ民衆の気は引けない。競技のルールも含めて、民衆に広める役割を担う適任者は――君しかいない」


 テクニカルブレイドとやらがどんな競技なのか、まずその説明がスッパリ抜け落ちている。

 けど詳細を求めたら負けな気がする。

 たぶん押しきられる。


「……そういうことでしたら、適任者はヘーゼル団長を置いて他にいないかと。どうぞお一人で頑張ってください」

「君の剣技はすでに私を凌駕している」

「まさか……ありえません」


 謙遜しているわけじゃない。

 マルシド騎士団に所属して以来、ヘーゼル団長が傷を負った姿は一度も見たことがない。

 常に前線に立って指揮を執るような人であるにも関わらず。


 もう帰りたい。

 けれどヘーゼル団長は、その視線から決してわたしを逃してくれなかった。


「……どうして、わたしなのです」

「わからないと言うのなら、それが理由だ。やはり君が剣を取らなければならない」

「…………失礼します」


 これ以上話すことはないと判断して、踵を返す。

 今さら、わたしに剣で出来ることなんか何ひとつ無いのだから。


「もう一度言う、アイリス。私の野望を――命を奪うことの無い剣の時代を……君が創れ」



◇◇◇



 露店で足を止め、目についた果物ひとつを買って家路についた。

 食べ物なら別になんでもよかった。


 四つのエリアに分かれた街の北側、カプルエラでも主に富裕層が住む閑静な一等地。

 その一角を占有するに恥じない外観の家へ入る。


 制服であるサーコートを脱ぎながら、さっき買った果実を頬張り、床に散乱するゴミ等々を足でどかしつつリビングへ向かう。


 鏡の前でピンを外して、アップにしていた前髪を下ろす。

 芯だけになった果実はそこらに投げた。


 こんなのでも、未だに騎士なんて肩書きを持っているのだから笑える。


 とはいえ実際の鏡面に映る女は笑顔など皆無で、金髪の隙間から覗く、まるで感情の見えない青い瞳は我ながら不気味だと思った。


 見てのとおり、こんな女に剣を持つ資格があるはずもない。

 剣で平和な世を創るなんて戯れ言、恥ずかしげもなく語ったところで世界中のだれが許すものか。


 しわだらけの乱れたシーツに身を横たえる。


 先ほどのヘーゼル団長との一件が尾を引いてるわけじゃなく。

 これがわたしのやさぐれた日常だった。


 剣はとっくに騎士団に返納し、本部に顔は出すものの特に何かするでもなく。

 日々を怠惰に過ごしている。


 ともすれば、なんのために生きているのかさえ、わたしはハッキリ答えられる自信がない。


 いつからかそうなっていた。


「…………寝よう」


 違う。

 いつからこうなったかなんて、本当はわかっている。


 わかっているから、何も思考せずに眠るのだ。




 朝日にまぶたをこじ開けられた。

 また無味乾燥な一日がはじまる。


 一応の身だしなみは整えて、マルシド騎士団の本部に向かうべく扉を開ける。

 と、家の正面に大きな木箱が置かれていた。


「手紙……?」


 木箱の上に貼りつけられた手紙はわたし宛のようで、そこにはヘーゼル団長の言葉が綴られている。


 要約すると、わたしに“長期の休暇を与える”という内容だった。

 事実上のお払い箱ということだろう。


 それはそう。

 今のわたしは騎士団になんの貢献もしていないのだから。

 むしろ遅かったくらいだ。


 なんてどこか肩の荷が下りた気分でいたところ、手紙はもう一枚存在した。

 ご丁寧に必ず読むよう注釈まで入れてある。


 内容は昨日ヘーゼル団長が語った競技、テクニカルブレイドについての解説が長々と……めまいがするほど本当に長々と書き込まれていた。


 手紙によると木箱には競技に必要な装具一式と、練習用の木製人形まで入っているらしい。


「……はぁ」


 流し読みした手紙を懐にしまい、邪魔なのでひとまず木箱は家に運び込む。

 着たばかりの制服を脱ぎ捨てたわたしは、再びベッドに身を投げた。


 ヘーゼル団長の思惑はどうであれ、休暇になったからには本部へ行く必要もないのだ。

 わたしにとっては好都合。


 だから、寝る。


 何も思考したくない。

 もう放っておいてほしかった。



◇◇◇



 休暇を迎えてから一日が過ぎ、二日が過ぎ。

 そして三日目の夕暮れ時。


 わたしは湖のほとりで、ぜえぜえと息を切らしながら木箱を開ける。

 人のいない場所までこれを運んでくるのは少々骨が折れた。


 女の子がひとりで運べる重量だとか、あの団長が気にする人じゃないのはわかってるけども。


 なぜ木箱を開ける気になったかといえば、単純にただただ退屈に負けたからの話で。

 家で開けなかったのは、これもまた簡単な理由で外の空気が吸いたかったから。


 使命感に衝き動かされて、なんてわけじゃない。


 原っぱの、限りなく水平に近い場所へ組み立てた人形を設置した。

 指示書と化した手紙に目を通しつつ、人形の首、両腕、両下肢の五ヵ所に“プロテクター”をベルトで固定させる。


 次に木箱から取り出したのは――剣。

 指示書によれば“ブレイド”と呼ばれるそれを、おそるおそる……吐き気をこらえて鞘から引き抜いた。


「刃が、無い」


 本来、刃があるはずの部位はすべて円柱の丸みを帯びている。

 実に軽く、木剣よりも凶悪さが薄れた“木の棒”と言っても差し支えなさそうだった。


 じわりと額に浮かんだ汗も、すぐに引っ込んだように思う。


「これなら……」


 握れる。

 振れる。


 ヒュンヒュンと街角の少年のごとく“ブレイド”を振り回し、感触を確かめたのち指示書に目を落とす。


 なるほど。

 対戦する二人――“ファイター”と呼ぶらしい。


 二人のファイターそれぞれがプロテクターを装着し、ブレイドによってそれを叩きポイントを加算する。


 一度失った部位はポイント加算の対象にならないとあるので、五ポイント先取で決着がつくことになる。


「…………」


 ルールは簡単。

 考えていたよりも、ひどく単純な競技に思えるけど……これで盛り上がるのだろうか。


 とりあえず、やってみる。


 ブレイドを正眼に構えて、人形と向き合う。

 相手は無機質な人形なのに喉がごくりと鳴った。


 落ち着いて。

 これは実戦じゃない。

 硬いメイルの隙間をつらぬくために、突きを放つ必要もない。


「――ふっ!」


 水平に走らせたブレイドが、スパンと心地よい音を響かせて人形の首を打ち抜いた。

 これで一ポイント。


 勢いのままに回転し、人形の右腕を打ち下ろす。

 二ポイント。

 すぐさま左腕を斬り上げて三ポイント。


 足は――あまり狙ったことがない部位だ。

 重心を低く、薙ぐように両下肢を払って一気に五ポイント。


 決着。

 アイリス優勝。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ……もう一度やってみよう。

 実際には人形じゃなく、わたしと同じく思考する人間が相手なのだからそれを意識しないと。


 動かない人形相手でも、おもちゃみたいな剣だとしても、久しぶりに振るう剣は――


 ――楽しくて。

 想像を遥かに超えて楽しくて。


「はあっ、はあっ、はあ――ッ」


 いつしか本当に、懐かしいあの頃の子供に戻った心地で、わたしは無我夢中にブレイドを振るっていた。

 もしかすると笑っていたのかもしれない。


 気持ちのいい風が強く吹いて、流される髪につられて顔を向ける。


「――…………あ」


 人が見ていた。


 いつからいたのか、原っぱに座り込んだ男の子が、あどけない笑みを浮かべてわたしを見ている。

 青年と少年の狭間……そんな印象を抱いた。


 歳はわたしと変わらないくらいだろうか。

 サッパリと小綺麗な髪は黒く、やや日に焼けた体は細身ながらも繊細な筋肉に包まれている。


「だ、だれ――……だ?」


 顔から火を吹く思いで、枯れた喉からなんとかそれだけを絞り出した。


「凄い……。こんな綺麗な演舞を見たのは、初めてだ」

「きれっ……!? とか、ちがっ、だれ!? だれだおまえは!」


 見られたくないところを見られ、信じられないほど動揺したわたしは、取り落としたブレイドを拾ってせっせと木箱にしまう。


「あ、あれ? もう帰っちゃうの?」


 心底残念そうに言った男の子が、人形のパーツをバラすわたしを無意識なのか手伝おうとする。


「い、いいから! 大丈夫だから!」


 近い!

 というか本当に誰!?


 こう見えて異性に言い寄られることだって割とあるのだ。

 免疫が無いなんてことあるはずないのに、取り乱したわたしは、どこか異国の匂いがする男の子を前に心音を高鳴らせる。


 急いで退散しようとしたのだけど、抱える前に木箱を男の子が持ち上げてしまった。


「手伝うよ。どこまで?」

「あ……う」


 あまりに屈託のない笑顔と自然な言葉に、わたしは拒否することができず無言で歩きはじめる。


 これはおかしい。

 いつものわたしじゃない。

 平静に、冷静に。

 深呼吸をして――そう。


 わたしはマルシド騎士団所属、騎士アイリス・ミグロード。

 悪鬼と恐れられた女。


 いや違う。

 そんな二つ名は貰ってない。


 けれども心構えの話だ。

 領民から見て騎士とはかくあるべき、のような手本を守らなければならない。

 たとえ敗走した騎士だとしても、威厳と誇りを失ってはダメ。


「ここはいい街だね。人々に活気があって、毎日がお祭りみたいで楽しいよ」

「う……うん」


 うん、じゃない!

 うむ、とか言わないと!


 完全に日が落ちても、露店通りは吊り下げられたカンテラが連なり、炎の明かりが街の賑わいに一役買っている。

 新しいお店が毎日のようにどんどん増えていて、どこもお客さんで溢れている。


 これでも敗戦から数ヶ月は街も静かだった。

 占領下に置かれることもなく、生活も大きく変わらなかったことが復興の速さに繋がったのだと思う。


 カプルエラの街で略奪や、領民に犠牲など出さなかったことは、わたし達マルシド騎士団最後の矜持だった。


 だけど――。


 かつての色を取り戻していく街を尻目に、わたしはいつまでも灰色のまま。

 街が色づけば色づくほど、落差を突きつけられてよけいに虚しさを覚えるのだ。




「こ、この辺でいい」

「そう? じゃあ、これ」


 結局まともに言葉も交わさないまま、自宅の前まで来てしまう。

 木箱を受け取ると、男の子がさりげなく家の扉を開けてくれた。


 お世話になったのだから、最後くらいせめてきちんとお礼を言わないと。

 騎士らしく。


「あ……その」

「うん?」

「き、貴公! 名は!?」

「僕はキオンだよ。キオン・アスタバ」

「う、うむ。キオン。キオンか、うむ」

「君は?」

「わ……わ、我はアイリス。アイリス・ミグロード、なり」


 キオンはふっと優しく微笑んで。


「いい名前だね。君にぴったりだと思う」


 また顔が発火した。


「~~~~ッ! したらば、これで! 失礼!」


 中へ入って扉が閉まると、木箱を床に落として息を整える。


「はぁ……はぁ……貴公は無いでしょ」


 他にも色々問題があったはずだけど、まるで脳が働かない。

 お礼すら言ってないし、自分の不甲斐なさに悶絶した。


 キオン――。

 つとめて淡々といつもの流れをこなし、ベッドに潜り込んでも名前が頭から離れなくて、足をバタバタとシーツに打ちつける。


「…………」


 それからおもむろに跳ね起きると、部屋を少しだけ掃除した。

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