人里 一

 予定とは少し違ったけれど、エルフの肉体を手に入れることができた。


 同時に次の目標が見えたオバちゃんは、これを急ぐためにエルフの村を出発した、向かった先は森の精霊の住処である。今後の布教活動を巡って、少しばかりお話をさせて頂きたいと彼女に相談したのだ。


 移動に当たってはミノルたちを村に送ることも忘れない。ここぞとばかりに騒ぎ立てたので、ちゃんと実家までお送り差し上げた。ちょうど道すがらに集落があったので、そう大した時間は掛からなかった。


「それで話ってのは何だよ?」


「森の精霊殿の知見をお借りしたく考えておりまして」


「私の知見?」


 大きな滝の裏側に設けられた洞窟の奥。


 祭壇の正面で我々は話をしている。


 自分と精霊殿の他には誰の目もない。


 ちなみにこちらの祭壇が綺麗だったのも、わざわざエルフの人たちが掃除に来ていたかららしい。なんでも二日に一度は訪れて、何かしら住処の世話をしていたというから、彼らの負担も窺い知れようというもの。


「老体としての期間が短い種族を知りませんか? あるいは誕生直後から性成熟しており、以降は死ぬまで肉体的な変化を伴うことなく、生まれ落ちた姿のまま生存するような種族でも構いません」


「……もしかして、若返りたいのか?」


「ええ、そのとおりです」


「綺麗事ばかり吐く割に、そういうところは欲深いんだな」


「滅相もない。それもこれもより多くの信者を集める為です。所詮は見た目、されど見た目。知恵のある生き物は着飾ることを覚えます。その在り方は種族や文化を隔てても、決して覆すことのできない生き物としての仕組みなのです」


「ウソつけ。可愛くなりたいだけなんだろ?」


「…………」


 精霊殿のこと、ちょっと嫌いになったかも。


 そういうのは黙っていようよ。


「でも、それだったらわた……」


 彼女は何やら呟こうとして、ハッと何かに気づいた様子を見せる。


 その表情が顕著に変化を見せた。


「どうされました? 精霊殿」


「い、いや、なんでもない。なんでもないぞ?」


「そうは言っても、口元が引き攣っていますよ?」


「っ……」


 何やら後ろめたいものを隠しているような表情だ。


 おかげで彼女が考えていることには、すぐに及びが付いた。きっと自らの信仰と、こちらの肉体の変化の関係に気づいたのだろう。エルフたちの祈りを受けては輝いた肉体が、精霊殿との約束ではまるで変化を見せていない。


 彼女一人の信仰が、どこまで肉体に影響を与えるのか、仔細は定かではない。ただ、これといって変化がないオバちゃんの姿に、多少なりとも負い目を感じたのだろう。何故ならば神様への信仰は、彼女の身の安全にも関係する事柄だ。


 などと考えていたら、案の定な発言が飛び出した。


「お、お酒を飲ませてくれたら、考えないでもないぞ? 信仰っ!」


「……なるほど」


 先程よりも手の震えが酷くなっている。


 やはり、早期離脱症状だろう。


 お酒を飲ませないと二日間くらい続くんだよな。


 経験あるから知ってるの。


 その後で一週間くらい、後期離脱症状。意味不明な不安や動悸に襲われる。毎日が高校や大学の受験結果、発表日の前日みたいな状態になる。これさえ乗り越えれば、一ヶ月くらいは止めていられるんだけれど。


「エルフたちとの約束もあります。しばらく我慢しては如何ですか?」


「少しくらいいいだろっ!? 私のお酒だぞっ!」


「エルフたちが造って、ここまで届けて下さったお酒ではありませんか?」


「それならもう私のものだっ!」


 こちらの精霊が再びエルフの村で騒動など起こしたら、彼らからが信仰は失われかねない。そう考えると彼女の飲酒はなるべくコントロールしたい。せめて酔っ払っている間くらいは、管理下に置いておきたい。


「一つ条件があります」


「な、なんだよ?」


「本日から私もこちらで生活します。構いませんね?」


「え? なにそれどういうこと」


「お酒に酔っ払った貴方が、エルフたちの村にふらふらと遊びに行かないように、この場で見張りをさせて下さい。既に理解していると思いますが、私の目的は信仰を集めることです。これを妨げる者は決して許しません」


「……オマエも私と同じくらい必死じゃん」


「どうなんですか?」


「わ、分かったよ。好きにすればいいだろ?」


「ありがとうございます」




◇ ◆ ◇




 家主の承諾を得たことで、同日中にも引っ越しと相成った。


 ホームとなる遺跡に戻って神様の像を運び込む。イケメン商人のザックが持たせてくれた大八車一式も忘れてはいけない。家財道具の輸送に差し当たっては、飛行魔法が大活躍であった。おかげで作業はサクッと片付いた。


 そんなこんなで、森の精霊が住まう洞窟に越してから一晩。


 我々は朝からお酒を呑んでいる。


「いやぁ、やっぱりアイツらの造るお酒は最高だよなぁ」


「たしかにミノタウロスたちが褒めるだけのことはありますね」


 いいや、正確には朝から、ではない。


 昨晩から今までズッと飲みっぱなしである。


 徹夜で呑んでいる。


 だって、お酒美味しい。


 ミイラ取りがミイラになってしまった。


「なんだよオマエ、意外と呑めるじゃないか!」


「そういう精霊殿も、なかなかお強いですね」


「当然だろ? これでも私は上等な精霊様だからなっ!」


「なるほど?」


 精霊にも格付けのようなモノがあるらしい。


 もしも寝て起きて覚えていたら、訪ねてみるのも悪くないだろう。エルフたちに確認した限りではあるが、なんでも彼女はこちらの森を訪れて数年の新参者なのだそうな。森の精霊という尊大な肩書も、意外と歴史の浅い代物であった。


「強いんだぞ? 凄いんだぞ? ちょっとは敬えよ!」


「そうは言っても勇者殿たちに苦戦していた事実を思い起こしますと、少しばかり不安が残りますね。ドラゴンを打倒したという話も聞きましたが、実際のところ精霊殿の実力には疑問を感じています」


 お酒の勢いも手伝って、軽口など叩いてしまう。普段なら適当に諌めて終わるような話題でも、売り言葉に買い言葉で、段々と勢い付いていくのを止められない。何より煽れば煽っただけ反応を帰してくれる精霊殿が楽しい。


 すると相手もまた、これに調子よく乗ってきた。


「なんだと?」


「どうしました?」


「やるかっ!?」


 ワンテンポ遅れてやってくるお返事が、これでもかと酔っ払い。


 出会って初日、得体の知れないニンゲンが一緒なのに、めっちゃ呑んでいる。その妙に素直な性格が、なんだか一緒にいて嬉しい。おかげで素直に構ってしまうのが悔しい。チヤホヤするより、チヤホヤされたいのに。


「我らが神の力、身を持って学びたいというのであれば、仕方がありません。これを不遠慮な精霊に知らしめるのも、使徒としての務めと言えましょう。さぁ、どこからでも掛かって来なさい」


「じょーとーだ! ぼっこぼこにしてやる!」


 元気よく吠えて、精霊殿が飛び出してきた。


 拳を振り上げると共に、空を飛んで突撃である。


 当然、こちらは飛行魔法だ。


「ひれ伏しなさい」


 格好いい感じの台詞と共に、精霊殿の肉体を地面に押し付ける。


 すると相手からは顕著な悲鳴が上がった。


「うぉぉおっ!? なんだこれっ、動けないっ!」


「どうですか?」


「ぐ、ぐぬぬぬぬっ……」


 地面にうつ伏せで引っ付いて必死の形相の精霊殿。


 腕を立てて起き上がろうとしているが、その平坦が胸が地から離れることはない。これまで山のクマさんやミノタウロスたちを圧倒してきたのと同様、こちらの生き物にもまた、我らが神様のお力は有効であった。


 おかげで気分がいい。


 世の中のヤンキーが腕力にモノを言わせて粋がる理由、分かったかも。


「降参しますか?」


「イヤだっ!」


「このまま潰れても知りませんよ」


「精霊は潰れたって元に戻るから関係ないねっ!」


「なるほど?」


 え、それってどういうことだろう。


 ちょっと絵面的に怖いんだけど。


「…………」


「…………」


 返す言葉に悩む。


 悩んでいると、先方から言葉が返ってきた。


「おい、い、いつまでこうしてるつもりだよっ!」


「いつまでと言っても……」


 こっちが出来ることは、飛行魔法で相手の身体を移動させるだけだ。


 炎を飛ばしたりとか、そういうのは無理。


「一つ訪ねたいのですけれど」


「……なんだよ」


「凄い勢いで洞窟の壁に叩きつけられたりとかしたら、貴方はどうなりますか?」


「別にどうもしない。精霊はそういうのじゃ死なないし」


「もう少しだけ、詳しい説明が欲しいんです」


「そこいらに転がってる普通の剣で切られたり、普通の斧で殴られたりしても、精霊は死なないぞ。苦手な魔法で攻撃されたら存在の力が削られるけど、でも、そ、そこいらの人間の魔法なんかで、私は倒されたりしないんだからな!? 私は強い!」


「なるほど」


 これはあれだ、いわゆるあれだ。


 物理攻撃無効ってやつではなかろうか。そんな雰囲気を感じる。存在の力なる単語とか、まさにドンピシャでしょう。厳密にはどうだか分からないが、大凡そういった枠組みにあものと思われる。


 ただ、そうなると困る。


 こちとら位置エネルギーと速度エネルギーに物を言わせた、ニュートン力学アタックが唯一の攻撃手段である。全力で物理である。これが通じないとなると、他に有効な攻撃手段が存在しない。


「…………」


「ど、どうしたんだよ? 酔いが回ってきたのか?」


 微妙にこちらを気遣うような物言いが嬉しいんだけど。


 まさか、オバちゃんより酔いが浅かったりするのだろうか。こっち結構、セーブしつつ呑んでるんだけど。飲酒量と併せて、気を遣われていたりしないよな。それちょっと悔しいのと嬉しいので、何とも言えない気分になっちゃう。


 いやいやいや、このアル中精霊が、そこまで気を回せる訳がないだろう。


「止めましょう。不毛な争いです」


「…………」


「どうしました?」


「もしかして、オマエ、それしか出来ないのか?」


「……というと?」


「飛行魔法しか使えないんじゃないか?」


「…………」


 なんということだ、油断した隙を突いて図星を狙ってきやがった。


 そのとおりでございます。


「あ、当たりだな?」


「さて、なんの話でしょうか」


「んふっ……」


 今の含み笑い、ちょっと妖艶な感じがしてエッチだった。こちらのオバちゃんも、いつか来たる美少女化に向けて、後で練習とかしておこう。こういう何気ない仕草が、意外とチヤホヤしてくれる勢に対しては馬鹿にならない影響力があったりするものだ。


 いや、今はそんなことを考えている場合じゃないか。


「だったら私の勝ちだな」


「碌に身動きも取れないのにですか?」


「でも、オマエだって何もできないんだろう?」


「ランタンの火をこぼすくらいはできます」


「や、やめろよっ! 火事になるだろっ!? お酒が燃えるっ!」


「そうですね。このくらいで控えておきましょう」


 お酒が燃えてしまったら大変だ。


 こんな美味しいお酒を燃やすなんてとんでもない。今なら精霊殿がエルフたちに強請っていた理由がわかる。きっとお酒以外にも、色々と美味しいものを製造する技術を有しているのだろう。少ししたら今度、ご相伴に預かりに行こうかな。


「おい、これ解けよ」


「分かりました」


 精霊殿との勝負は引き分けだ。


 精霊殿は身動きが取れないし、こちらは一歩を踏み出す手立てがない。これでファイアボールの一発でも撃てたのなら話は違っていたのかも知れないが、そういった物騒な魔法は神様から頂戴していない。


「そんだけ魔力があるのに、飛行魔法しか使えないのか?」


「それが何か問題でも?」


「オマエって馬鹿だよなぁ」


「これは我らが神が使徒である私に与え給うた試練なのです。この苦行を乗り越えてこそ、私はさらなる境地へ至ることができます。そうした私と再び相対したとき、貴方は今と同じ軽口を叩けるでしょうか?」


「そう、それだよそれ。その我らが神ってやつ」


「我らが神がどうされましたか?」


「そこまで言うってことは、現神なんだろ?」


「ええまあ、そうですね……」


 現神って前にも出てきたワードだ。


 ぶっちゃけ意味不明。


 かなり困ってる。


「使徒の力を使えるってことは、そういうことだもんな」


 精霊殿のセリフを聞いて、少し分かったかも知れない。


 現神というのは、その存在の確認がとれている神様、ということではなかろうか。確認が取れているからこそ、対象とする神様に由来する何かしら、精霊殿の言う使徒の力なるものが使えるという。


 ミノルたちとのトークでも、会話の前後はそんな雰囲気があった。


 逆にそうでない神様というのは、既に亡くなられていたり、あるいはどこぞの誰かさんみたいに異世界へふっ飛ばされていたり、そもそも名前だけの存在であったりと、存在の確認が取れない神様なのではないかと思う。


 なかなかいい線、いっているのではなかろうか。


「けど、飛行魔法だけって変な神様だな」


「その変な神様を信仰しているのですよ、貴方は」


「ぐっ……」


 過去の約束を思い起こしては語ってみせる。


 信仰するって約束したじゃん。こちらの精霊殿はなかなか見目麗しいから、信仰してもらえたら大きなプラスだと思うのだ。ただ、今のところ祈りは届いていないようで、これといって我が身に変化は見受けられない。


 というか、祈ってもらった覚えがない。


「さぁ、我らが神に祈りを捧げましょう」


「えぇー……」


 精霊殿はめっちゃ嫌そうな顔だ。


 休日の朝一番、エセ科学商品の飛び込み営業で目が覚めた人のような感じ。あれって本当に休みの日のクオリティが下がる。しかも近隣一帯を絨毯爆撃するから、ご町内が総じて不機嫌になっていたりするの極めてヤバい。


「何が減る訳でもありません。さぁ、祈りを捧げて下さい」


「……わかったよ」


 渋々といった様子でこちらに向き直る精霊殿。


 彼女は両手を胸の正面で合わせて、それっぽい姿勢を取った。お酒に酔っ払った上、ぐでんぐでんになりながらの祈りとか、信徒としてどうなのよと疑問に思わないでもない。ただ、それでも祈りは祈りだ。


 こちらとしては美少女になれさえすればそれでいい。


「…………」


「…………」


 精霊殿の祈りは、数分にわたり続けられた。


 しかし、何も起こらない。


 グリフォンやエルフたちの祈りを受けては、すぐに反応を見せた肉体である。それが精霊殿の祈りには、うんともすんとも言わない。しんと静まり返ったまま、洞窟の外から届けられる滝の落ちる音だけが、淡々と界隈に響いては聞こえる。


 ややあって、彼女の顔が上げられた。


「祈ってやったぞ」


「やり直しです」


「え、なんでだよっ!?」


 くわっと瞳を見開いて荒ぶる精霊殿。


 そんなの当然じゃないの。


「私の肉体に変化が起きていません。つまり、貴方の信仰は我らが神に対して、今一歩届いていないと言えるでしょう。祈りとは神への信仰、神への信仰とは、自らの心のあり方を神に提示する行いと言えます」


「それでも祈りは祈りだろ?」


「この肉体が変化しなければ意味がありません」


「オマエ、そういうところ妙に素直だよな」


「やり直して下さい」


「そ、そもそも私は一人だぞ? 一人の祈りでも変わるのかよ?」


「それは分かりません」


「だったらやり直したって結果は同じじゃん」


「とか言って、胸の内ではどうでもいいと考えているのではありませんか?」


「うっ……」


 彼女の言葉にも一理あるような気がしないでもない。ただ、同時に精霊殿の内面的な問題であるような気もする。つまり、このまま続けたところで、これといって改善は見られない、ということだった。


「やはり、そうなのですね」


「だって仕方がないだろっ!? そうは言っても自分に嘘はつけないし!」


「…………」


 そういう響きが良くて綺麗な言葉、他人に言われるとストレスが溜まる。耳にしただけで、一方的にチヤホヤしてしまったような気分になる。なんていうかこう、強制的に決め台詞の的にされたような気分だ。


 ただ、今回ばかりはそうした綺麗事が大前提となっている。


 こればかりは言い聞かせたところで、解決できるような問題ではない。むしろ、グリフォンやエルフたちが善良すぎたのだ。いくら信仰に対してメリットがあるとは言え、バカ正直に信じてみせた彼らの性根はあまりもピュア。


「あ、そうだ!」


 あれこれ考えていると、精霊殿が声を上げた。


 なにか思いついた様子である。


「……なんですか?」


「オマエがもっと美味しいお酒とか飲ませてくれたら、私もオマエのところの神様を信仰したくなるかもしれないぞ? ちゃんと心の底から!」


「昨日の約束では、勇者と呼ばれる者たちを追い払うのに協力すれば、我らが神を信仰して下さるのではありませんでしたか?」


「人間が造るお酒は色々と種類があるから楽しいんだよなっ!」


「…………」


 たしかに彼女ほどのアル中なら、分からないでもない提案だ。お酒を信仰しているようなものである。アルコール欲しさに狼狽していた姿を思い起こせば、その供給元として信仰を得ることは比較的容易な気がする。


「承知しました」


「おぉ、本当かっ!?」


「人里で幾つか見繕ってくることにしましょう」


 エルフたちの信仰を受けて変化した肉体。その外観は美少女になるという目的こそ逃したものの、過去に人類圏で出回った人相書きからは程遠い。なんせ肌の色から顔立ち、耳の形まで違っている。


 現在の姿であれば、勇者様の影響圏内であっても、お買い物くらいなら余裕だろう。いつぞやの町に戻っても、これといって問題にはなるまい。イケメン商人に脱走のお礼も言いたいし、丁度いい機会である。

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