ちやふるガール
久石あまね
第1話 出会い
阪堺電車の車窓から外を眺めると、これぞ堺という下町情緒溢れる街を望むことができる。
大阪府堺市。
いにしえより続くその街は、包丁や自転車などの伝統産業を守り、この令和まで息をつく間もなく、栄えてきた。
戦国時代では鉄砲を大量生産し、多くの戦国大名の覇道を支えた。知恵のある想像力豊かな堺商人はいつの時代も、時代の最先端を突っ走った。
夏の自転車工場は暑く地獄のようだ。
蒼井自転車工場。
この物語の主人公である蒼井拓馬少年の父ちゃんが切り盛りしている。自転車工場だ。
大阪の下町、堺。
七月の気温は暑い。あたりまえだ。そんなこと話さなくてもわかる。暑い。ただそれだけだ。
蒼井拓馬は朝食の白米と味噌汁とたくわんというどこか昭和チックな下町情緒あるれる朝食をひとりで食べ終え、歯を磨き、自転車工場の開店準備を始めた。
拓馬には物心つくときから母親がいない。
母親とは出産と共に死別したのだ。大変な難産だったらしい。小学校に入学したときに父ちゃんから教えてもらった。なぜかというと小学校で友達と母親について話し合ったときに、拓馬は自分の母親がどこにいるのか知らなかったからだ。無論母親は死んでいるのでこの世にいない。拓馬には母親という存在が生まれたときから身近に感じたことがなく、母親というのがどういう存在なのかよくわからなかった。友達に母親がいても、特に羨ましいと思わなかった。
拓馬は家の自転車工場の前に、主要商品であるママチャリを、きれいに並べた。
「父ちゃんいってきま~す」
拓馬は店の奥にいる父ちゃんに叫んだ。父ちゃんは「行ってこ〜い」と、暑さにやられたような苦しそうな声を絞り出した。
「冷房点けや〜」
父ちゃんは暑い日でも冷房を点けない時があった。拓馬はそんな父ちゃんがどこか頑固であまり好きになれなかった。
拓馬は自分のママチャリに跨り、チリンチリンと出発の合図を鳴らし、中学校へと向かった。
中学校までの道のりには沢山の店が軒を列ねている。唐揚げ屋、理髪店、美容院、郵便局、整骨院、内科、コンビニ、パン屋、布団屋、寿司屋、喫茶店、そして拓馬の家の自転車工場。
風を切り裂き、疾走する自転車。
拓馬の頬を汗が伝う。背中や胸にも汗が出る。
「暑いな〜」拓馬はつぶやいた。そのつぶやきは熱風に溶け込み、消えていった。
やがて拓馬は信号を待つため、ペダルを停めた。
すると背後から車が走ってくる音が聴こえた。車は拓馬の隣に平行に停まった。
車は黒いピカピカとしたベンツだった。
後部座席を見ると、黒いショートカットの色白の女の子がこちらを見ていた。
二人の視線が三秒ほどあった。
あれ、見たことない顔や。こんな子おったかな?誰やろ?友達が髪の毛切って髪型変わっただけかな?それにしても見たことない顔や。
女の子はこちらを見て笑い掛けてきた。
そして大きく口を動かした。
その口の動きは「バ、カ、」と言っていた。
拓馬は口をあんぐりさせ、首を傾げた。
信号は青になったが、拓馬は中々自転車を出発させることができなかった。
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