第42話 爺、大いに笑う


「…………くくくく」


 驚愕したのも僅かばかり。イリヤは小刻みに肩を震わせるとやがて大きく笑い出した。


「はっはっはっは! まじかあの小娘!? この土壇場でやりよるか普通!?」

「……狂ったか、魔法使い」

「いんやぁ、儂はいたってまともじゃよ! はっはっはっはっは!!」


 魔人が引き気味の表情を浮かべるのも無理はない。傍目から見れば前群れもなく突然派手に笑い出したのだから。正気を疑われるのも無理はない。


 イリヤは離れた位置にいながらも、物理的に伝わる冷気と魔力の波長で、シリウスの身に何が起こったのか、全てを理解をしていた。


「おいおい、これじゃぁできすぎて、どこぞ・・・のご都合主義みたいじゃろうが! あやつ、本当に万に一つを拾いよった!? これを笑わずしてなんとする!」


 シリウスの完成形が『魔法剣士』であることはシリウスも考えていた。やがてはそうなるように知識を与え、訓練を課そうとしていたのは間違いではない。だがそれはまだ先にある段階のはずだったのだ。


 まさか、この土壇場でいくつもの段階をすっ飛ばして理想型に至ると誰が予想できたか。シリウスはミノタウロスに勝ちうる唯一無二の可能性を見事に引き当てたのだ。


 魔法というのはこの世の理を理解し、それを魔力によって再現する異能。魔法を新たに学ぶ者にとって、常日頃から関わりのある地風水火──主にこの四つの要素から習得を始めるのが通例である。


 だが、これが間違いだったのだ。いつの世にも通例を破る常識はずれというものが存在する。まさにシリウスがこれだ。


「しかし、よりにもよって氷結そっちのほうか。いよいよやつとは逆だな」


 炎魔法と氷結魔法というのは真逆の性質ではあるが、実際には地続きの魔法なのだ。魔力によって熱量を高めていけば炎魔法になり、逆に熱量を低くしていけば氷結魔法になる。


 曲がりなりにも火の魔法を発動できていたのはきっと、熱量の操作・・・・・を魔法的な観点で理解し始めていたからだ。それがプラスマイナスのどちらかに傾くかだ。


 当人シリウスもきっと、熱力学などという学問など知ったことではないだろう。だがそれでいいのだ。要は心に思い描いた事象を魔力で形作れるかだ。理屈など後からいくらでも学べば良い。


 そもそも魔法を扱う戦士というのは数が少ない。魔法を制御し切る精神力と肉体を操る思考の両立は想像を絶するほどの困難がある。常に右手と左手を独立して動かし全く別の作業を並行して行うようなものだ。


 行えるのは果てなき修練の末に技術を習得した狂人。天与の才を得た稀人だ。


 その稀人の頂点に位置する者を、ある時の人はこう呼んでいた。


 ──すなわち『勇者』であると。


「何をいつまでもぶつぶつと!」

「おっと、悪い。少しばかり感傷に浸っていたわい」


 過去に思いを馳せそうになったところを、魔人の声で現実に引き戻される。今のは明らかにイリヤの隙であっただろうに、それを付け狙わないところがまさしく魔人が生まれて間もない証拠だ。もっとも、隙を突かれたところでどうとでもなるというのが現実でもあったが。


 ともあれ、これで後顧の憂いはない。


「さて、やろうかいのぅ」


 口の端を太々しく吊り上げるイリヤ。


 ゆったりとした動作で構えを取る様はまさしく達人を彷彿させた。


 小さき体から膨れ上がる強者の気配に魔人の背筋を震わせる。


 魔力の総量も肉体きな強度も圧倒的に魔人の方が優っているというのに、目の前の小さな人間に気圧される。その事実が、強者として生まれた魔人の芽生えかけたプライドを揺さぶった。


「ほざけ! たとえミノタウロスが破れたところで、あの女も貴様もまとめて俺が始末すれば事足りる! その上で強化したモンスターどもを使って人間どもを蹂躙すれば良い!」

「お前には無理じゃよ。儂がここで終わらせる」

「忘れているのか、魔法使い! 貴様の魔法は未だ俺に傷の一つも付けられていないぞ!」


 人の形を保っていたもう片方の腕をも巨腕に変質させると、床を砕くほどの踏み込みでイリヤに突進した。


 ──激情を迸らせながらも、魔人の思考の奥底は冷たさを保っていた。


 魔人は気がついていた。


 イリヤが魔法を使うとき、彼は必ず指を鳴らしている。


 人工的に生み出される際に刻み込まれた知識の中に、魔法使いの扱う技術も記されていた。熟練の魔法使いというのは、何かしらの動作と魔法の起動を結びつけることによてこれを制御している、と。


 注意するのは魔法使いイリヤの指の動きだ。


 イリヤの余裕からして切り札を隠し持っている可能性は高い。それこそ己の強靭な皮膚を貫く魔法を保有していると考えるのが妥当だ。


 けれども、どれほどに強力な魔法であろうとも当たらなければ意味がない。最悪、致命傷を避けさえすれば良い。魔法使いイリヤ戦士シリウスを殺した後に、この施設で傷を癒せば問題ない。


 魔法の発動する一挙一動を見逃さない。この腕が、この爪がイリヤの肉体に届き身を引き裂くまでは一切の油断はない。魔法の発動を察知したら即座に対応できるように。


 イリヤが、そっと足を踏み出す。魔人の速度に対してはあまりにも遅い一歩だ。そのままイリヤは手を開いた。それが意味するところを魔人は理解せずに、イリヤの体に向けて腕を振う。


 命中すれば死が確定する剛腕が迫る中、イリヤは柔らかい動作で手のひらを魔人の腹部に添えた。そして── 


「──破ッ!」


 ドゴンッッッッ!! 


 強烈な衝撃音と共に、魔人の背中から爆炎が放たれた。

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