第8話 爺、仲間を得る
ドラゴンの鮮度を保つために氷漬けにしていた氷山を解除するイリヤ。極寒の冷気を振り撒いていた半透明の山が一瞬で消え去ったことに、そろそろシリウスも動じなくなってきていた。彼女の中でイリヤとはそういうものだと、諦めの極地に近い心境が早くも出来上がっていた。
ゆえに、十メートル以上の巨体を誇るドラゴンの死骸が、一瞬の光を放った後にイリヤの持つ赤い宝石に吸い込まれたのを目撃しても殊更に騒ぎ立てるようなことはなかった。
驚きがないといえば明らかに嘘であるが。
「本当に作っちゃったわよ、
「同じ物をもう一つ作れと言われても無理じゃがな。偶然にも最上級の中の更に極上な材料が揃っていたおかげじゃからな」
「あの液体のことね。……あれってなんなの?」
「魔法的な用語で説明すれば……賢者の石かの。いや、ありゃ液体なんじゃがな」
「ケンジャノイシ?」
「無理に理解せんでも良いよ。とんでもないお宝とでも認識しとりゃぁいい」
「
シリウスはいまいちよくわかっていない顔をしていたが、イリヤはそれでも良いと思った。
賢者の石──不死の秘薬を生み出す材料とも、無限の金塊を生み出す触媒とも呼ばれている超希少物質。
実際に不死の秘薬を生み出せるかどうかはイリヤにもわからないが、あるいは可能ではないかと目されるほどの強大な力を秘めた万能触媒だ。魔法と化学の融合学問である錬金術においては、目指すべき極地の一つとされている。生前のイリヤも実際に目にしたことは数えるほどしかなかった。
金銭的な価値は計り知れず、イリヤの知る当時で換算するとコップ一杯程度の量で小国が買えるほど。それが子供とはいえ人間一人を収められる容器が満杯になる程と考えると、天文学的な値段になる。
イリヤの知る世から遠い未来である今の時代において、どれほどの価値になるかは不明。だが、おいそれて世間に流出して良い代物ではない。価値を知るものがいれば必ず争いの種になる。実際にそれで国同士の戦争が起こったこともあるのだ。
それだけに、
「ちなみに、どのくらいの量が入るのかしら」
「ちょうど儂らがいるこの部屋くらいじゃ」
「……大きな商会が持ってる巨大倉庫くらいの広さね。トンデモないわ」
加えて、生きた状態の生物は収納できないが、自我を持たない類の植物であるなら問題ない。内部に収納されたものの鮮度や状態を保つ効果もある。温かい料理を納めれば、一月後に取り出しても同じ温かい料理のままだ。
「機能を確かめるために丸ごと納めたが、このままじゃ売るにも売れんじゃろ。後で解体する必要があるな。シリウス、お前さん獲物の解体はできるかい?」
「任せて。これでもモンスターの解体は得意よ」
ふんすと自慢げに鼻を鳴らす少女。勇者との旅での経験でイリヤも心得がある。二人で行えばどうにでもなるだろう。
「さて、ここでそろそろ真面目な話をしようかの」
「うっ……」
イリヤの子供とは思えないほどのキレのある視線に晒され、シリウスが狼狽える。忘れていたというよりかは、あえて目を逸らしていたのだろう。
「儂がここにいた理由は話したな。じゃぁ今度は、お前さんがあそこにいた理由を話してもらおうか」
「……やっぱりそうなるわよねぇ」
イリヤの見立てでは、シリウスは荒削りな所はあれどそれなりの腕を持つ剣士には違いがない。頭の回転も悪くはないだろうし、猟兵としての知識も知恵も備えている。
だからこそ、ドラゴンを相手に一人で無謀を行うようには馬鹿ではないはずなのだ。いや、それ以前にモンスターが蔓延る迷宮に一人で足を踏み入れるような愚を犯すようには見えないのだ。
シリウスは思い悩むようにグッと眉間に皺を寄せると、やがて諦めたように息を吐いた。
「人様に聞かせられるような立派な理由があるわけじゃないんだけどね」
彼女の話ではこうだ。
この迷宮は一ヶ月ほど前に新たに入口が発見された未踏の迷宮だ。
未踏の迷宮は、調査が行き届いていないだけあり危険が多いが、それだけに誰の手にも触れてこなかったことから得られる利益も非常に大きい。猟兵たちにとっては格好の稼ぎ場である。
シリウスもそうした稼ぎを求めてやってきた猟兵の一人だ。
だが、他の猟兵と組んで迷宮に潜ったものの、途中で強力なモンスターに遭遇。
苦戦はあったが状況は優位に進んでいた。だが、激しい戦闘によって付近の地盤が崩落し、モンスターと共にシリウスは下層に落ちてしまったのだ。どうにか命を拾いはしたが意識を失ってしまい、気がついた時には現在地も不明である未踏の地にいた。
「私に残された選択肢は二つだったわ。どこにあるかもわからない上層への道を探すか、奥へと進むか」
「それで、先に進む方を選んだのか」
「実際のところは、モンスターの目を逃れてがむしゃらに進んだだけなんだけどね。でも、完全に望みがゼロじゃなかった」
「人工型迷宮の深奥には、それを生み出したものが地上に出るための仕掛けが残されている場合があるからの」
「ええ。その通りよ」
イリヤの言葉をシリウスが肯定した。
そうやって死に物狂いで先に進んだ結果は、イリヤも知る通りだ。
「おおよその見当はついとったと思うが、この部屋にその手の脱出装置はないな」
「やっぱりそうなのね」
最悪の可能性が的中したというのに、シリウスの顔に悲壮感の色はなかった。それよりも強い意志を宿した顔をしていた。
「……イリヤ」
「みなまで言う必要はないわい」
イリヤはニッと笑うと手を出し出した。
「こちらから改めて頼みたい。この迷宮を出るためにお前さんの──シリウスの力を貸してくれ」
まさか相手の方から申し出が来るとは思っていなかったのだろう。イリヤなりのシリウスを気遣っているのはわかる。己の弱さに思うところはあれど、それ以上に彼の優しさが今のシリウスには染みるようにありがたかった。
目の奥がじんわりとするのを堪えて、シリウスは笑う。
「ええ、それこそこちらからお願いするわ、イリヤ」
そうやって、二人は再び握手を交わした。
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