第4話 爺、無茶振りをする


「もしかして……助けてくれたの?」

「もしかしなくともな。一身上の都合により、見殺しにするには忍びなくてな。それよりもお前さん、動けるかね?」


 イリヤに問われると、少女はどうにか身を起こし地に手をついて立ちあがろうとするが。


「……ゴメン無理。動けそうにない」

「ま、そうじゃろうて。待っとれ」


 イリヤは指を鳴らし魔法陣を虚空に展開する。それを見た途端、少女は大きく目を見開いた。


「『魔術機』を使わずに……単独で『魔術』を?」

「ほれよっと」


 少女に向けて手をかざせばその身体が淡い光に包まれる。体の各部に深く刻まれていた傷がみるみるうちに塞がれていった。同時に己の体力が戻っていくのを感じ取り、いよいよ少女は息を呑んだ。


「傷と体力の完全回復……こんなの……高位の魔術機でも滅多にないのに」


 いろいろと気になる|単語(ワード)が出てくるが、今はそれを追求している暇はない。


「これで動けるじゃろ」

「う、うん。大丈夫そう」


 女性は手の握りを確認し、膝に力を入れて立ち上がった。己の状態を顧みて再び驚いている。服や鎧にこびり付いた血糊はそのままであったが、内側の肉体に関してはほぼ全快になっていたからだ。


 ここでドラゴンがようやくイリヤたちを再発見したようだ。咆哮を轟かせながら突進してくる。その巨体からして動きが鈍いと思いきや、駆け抜ける駿馬と遜色ない速度で突っ込んでくる。


「悪いがもう一度飛ぶぞ」

「え? ぁぅわぁっ!?」


 少女の了承を得る前に、イリヤは彼女の胴体を抱きつく形で掴むと再び突風を巻き起こして逃れると、ドラゴンの巨体が通り抜ける。


 少し離れた位置にイリヤたちが降りると、ドラゴンが四肢を地面に擦りながら急転回。今度は彼らの姿を見逃さなかったようで、そちらを振り向く。だが今度はすぐに突っ込んでくるような気配はない。それなりに知能があるようで、突如として姿を現したイリヤを警戒しているのだろう。


「先に聞いておくが、お前さんはどこからここに入ってきた?」

「……あそこから」


 少女が指差した方角をチラ見すると、閉ざされた大扉が見えた。


「見た通り、閉まってて逃げられない」

「そのようじゃな。儂が入ってきた方は──」


 イリヤが目を向ければ、彼が潜った扉がちょうど閉じるところであった。


「ご覧の通りじゃ。つまりはあやつをどうにかせんかぎり、儂らはここから出られ無さそうということじゃ」

「そんな……」


 改めて絶望を突きつけられたのか、少女の顔に絶望が浮かび上がる。対してイリヤはニヤリと笑って見せた。


「と、いうわけでじゃ。あのデカブツは儂がどうにかするから、お前さんには準備をする時間稼ぎをしてほしい」

「……時間……稼ぎ?」

「今の儂じゃぁ、あいつの攻撃を凌ぎながらあの鱗をぶち抜く仕込みをするのは難しくてな。悪いがお前さんには囮になってもらいたい。出会い頭でいきなり無茶振りをしとるのは百も承知しているが、頼めるか?」


 初対面の子供が吐き出すにはあまりにも大それたセリフだ。すぐに信じろというほうが無理だろう。だが、ここは無理を承知で頼むしかない。こうしている間にも、ドラゴンが襲いくる可能性があった。


 ただ意外なことに、次に少女が見せた反応は、決意を固めた表情で頷くことであった。


「ただでさえ八方塞がりでどん詰まりなんだもの。この際、相手が子供だろうが悪魔だろうが、なんだって信じるしかないじゃない」

「うむ、良い顔つきになった」


 少女はイリヤの前に立つと、携えていた剣を構えた。女の身で振るうには明らかに不釣り合いな大ぶりの両刃剣。大概の相手であれば力任せに一刀両断できそうだ。


 とはいえ相手はドラゴンだ。個体差にもよるが、少なくともその鱗の強度は岩石を上回るとみて間違いない。中には灼熱の溶岩の中を自在に泳ぎ回るものも存在するというがはてさて。


「私の剣じゃあいつの鱗に刃が立たなかったけど、それでも時間稼ぎくらいならできるわ。それで、どのくらい稼げばいいの?」

「三分ほどじゃな。じゃが、ドラゴンは総じて殺気に敏感じゃ。敵対者のモノには特にな。準備を始めた時点、儂を本気で殺しにくるじゃろうな」

「任せて。あなたは安心してその準備とやらをやってちょうだい」


 少女がドラゴンを見据えたまま力強く頷いた。その後ろ姿は初対面かつ相手が年若い娘でありながらも、歴戦の勇姿を思わせる頼もしさがあった。


「さて、いっちょやるかのぅ!」


 イリヤはその背中にかつての仲間を重ね、微笑んでから両手をパンと叩いた。途端、彼の足元に半径一メートルほどの魔法陣が生じ光を放ち始める。


 それまでは警戒の目を向けていたドラゴンだったが、イリヤの足元に魔法陣が浮かび上がった途端にけたたましい咆哮を轟かせた。具体的に何がどうかは理解できなくとも、彼が自らにとって危険な存在であり、危ういものを始めたのだと本能で察知したのだ。


「あなたの相手は私!」


 再び突進しようと四肢に力を込めたドラゴンだったが、足を踏み出す寸前でその横っ面を弾き飛ばされた。いつの間にか間合いを詰めていた少女が跳躍し、高い位置にあるドラゴンの顔に大剣を打ち込んでいたのだ。


 そのまま倒れ込むような無様は見せなかったが、ドラゴンはギロリと少女を睨みつける。並の胆力を持った者であればそれだけで気を失いそうな殺意を浴びせられながらも、少女は威風を纏った剣の切っ先を向ける。


「悪いけど少しの間、付き合ってもらうわ!」


 少女はそのまま剣を担ぐように走り出すと、ドラゴンの足元を狙う。忌々しげにドラゴンは四肢を振い叩きつけようとするが、少女の機敏な動き一歩追い付かず、その隙を縫って大剣が閃く。


「ほぅ、なかなかにやるのぅあの娘。儂も負けてはいられんな」


 少女の剣捌きを眺めながら、イリヤは感心した風につぶやく。その間にも、足元に展開された魔法陣の模様は複雑さを増していく。


 ──魔法とは想いを現実にする奇跡。


 この世の全てには法則が存在している。その法則を魔力を用いて再現し、あるいは現実以上の法則を生み出し行使するのが魔法使いだ。


「『我、イリヤ・アイズフィールドがここに刻む』」


 少年の口から祝詞が奏でられる。意味ある言葉に聞こえるその本質は、圧縮された魔法式。口ずさむことでより強固により明確に式を導き出すための暗示でもあった。


「『求めるは氷獄。魂をも凍てつかせる冷徹をここに示さん』」


 周囲を、光を反射する何かが漂い始める。空気に含まれていた水分が急速に冷却され、結晶化したのだ。

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