第二話①

「信じられない! 神殿に不法侵入した挙句、大した説明もなしに聖女を連れ去るなんて!」

 怒りに声を震わせながら、リコくんはこぶしを握りしめた。一方アドラスさんは、のんびりと頭をく。

「説明する暇がなかったからな」

「そういう問題じゃないでしょう! どうしてアドラス様は、行く先々で目と耳と常識を疑うような面倒ごとばかり引き起こすんですか!」

「でも、そのお陰で私は救われたわけだし」

「あなたも、ろくに事情も知らないまま、アドラス様について来るなんてどうかしています! 救われたって言いますけど、これじゃあご自分の置かれた状況を悪化させているだけなのでは?」

「そ、そんなことは」

 反論を試みるが、上手うまい返しが何一つ思いつかなくて、私はしゅんとうな垂れた。

 ──アウレスタ神殿を脱出し、逃亡を続けること半日と少々。神殿自治領を無事に抜け出し、クレスナという宿しゆくまちにたどり着いた私たちは、安価な小宿に宿泊することになった。そして夕食をとるため食堂の卓につき、やっとリコくんに現状を説明したところで、彼の怒りに火がいたわけである。……それも、当然の話ではあるけれど。

「リコ、あまり目立つ真似はするな」

 アドラスさんが軽くたしなめながら、周囲に視線を走らせる。

 テーブルと長椅子が並べられただけの簡素な食堂には、はじめ私たちしかいなかったけど、三人で顔を寄せ合って話すうち、いつの間にかほとんどの席は客で埋まっていた。

 リコくんの叫びを聞きつけたのか、数人の客がこちらに視線を寄越している。

「……すみません」

 リコくんは浮かしかけていた腰を椅子に戻す。しかし顔は不満げにしかめたまま、声量を抑えて更に続けた。

「で、そんなひどい状況なのに、こんな普通の宿屋でのんびりしていていいんですか? このままでは、神殿からの追手に追いつかれてしまうのでは」

「追手が出ているなら、もうとっくに追いつかれている」

 アドラスさんは、あっけらかんとそう言ってのけた。

「こちらは馬二頭、人間三人で移動しているのだからな。機動力が違う。本当に神殿が追手を放っているなら、追いつかないわけがない。それなのに、この町にたどり着くまで何もなかったということは、彼らに何か不具合が生じたのか、奇跡的に逃亡が上手くいっているのか、もしくはそもそも追手が出されていないかのどれかだろう。どの場合にしても、ここで焦る必要はない」

「そうは言っても……」

「それに、明日あした以降のために馬には十分な餌と水を与えてやる必要がある。追加の荷も用意しなければならないし、何にしても森で野宿などできないだろう」

「それは分かっています。僕は、アドラス様が逃亡中とは思えないほどのんびり堂々としすぎだって言っているんです」

「『余裕は騎士のよろいなり』と言うだろう。そんなにカリカリしていると、きもも体もチビのまま成長できないぞ」

「ああもう!」

 ぽんぽんと交わされる言葉の応酬に、私は口を挟む暇もない。

 騎士と従士というわりには、彼らは砕けた関係にあるようだ。二人の会話はくちげんのようにも聞こえるけれど、不思議と険悪さは感じられない。

 ──かつて私も、ジオーラ先生とこんな風に話をしたっけ。

「聖女殿の服も調達しなければな。その格好ではこころもとないだろう」

 アドラスさんがこちらを向いて、小さく苦笑する。私も、ローブの襟元を正しながらうなずいた。

「ええ、できれば。今のままだと、ローブを脱ぐこともできませんし……」

 私は少々目立つ容姿をしている。

 灰色がかった金髪は暗闇の中でも浮き立つし、滅多に陽を浴びない肌はびとのようだとよく言われる。おまけに、ローブの下にはいまだに神官服を着たままだから、少しでも私のことを知る人に出会ったら、すぐに正体がばれてしまうだろう。

「名前も適当にお呼び下さい。神官服を着ている上に聖女殿なんて呼ばれてしまったら、自己紹介をしているのも同然ですし」

「分かった。ではヴィーと呼ぼう。よろしく、ヴィー」

 ちゆうちよなく私の名前が縮められる。アドラスさんはこうしたことで、一切悩まない人のようだ。

「ヴィー」

 確認のため、自分でもつぶやいてみる。うん、悪くない。

 ヴィクトリアという名前は、私には仰々しすぎる。先生からも「お前は名前負けしているね」とよくからかわれていたものだ。ヴィーという響きの方が、自分にすっとむような気がした。

「はい、お待たせ!」

 そこで宿屋の女将おかみが、威勢良く声をかけてきた。

 テーブルに大皿がでんと置かれる。そうして並べられたのは、骨つき肉の炭火焼きに、焼きたての田舎パンと、野菜のスープ、そしてふわりと泡を乗せたビール。

 次々と供される食事を前にすると、とたんに私たちの意識はそちらへと集中した。三人とも、半日以上水しか口にしていないのだ。

「よし、食事をしながら話そう」

 アドラスさんの提案にリコくんはうなずくと、皿に食事を取り分けてくれた。

 てりてりとつやまとう肉が、目の前に置かれる。骨つき肉なんて初めてで、どう食べたらいいものやら。

 こっそり前を盗み見ると、アドラスさんは肉を手に取り豪快にかじりついていた。ただしむさぼるような真似はせず、食べる姿には不思議と品がある。確かにこの人からは、高貴な環境で育ったゆえの余裕のようなものが感じられた。

 ──なんて考えながら、私も彼を真似て骨の両端をつまみ、思い切って肉に齧りついてみる。

 意外にも、肉はほろりと骨から外れた。あふれる肉汁をこぼさぬように気をつけながら、慎重に肉をみしめる。タレは甘めの味付けで、はちみつと香草の風味がする。そこに炭火の香ばしさと肉のうまが絡まって、罪深い味わいが口の中に広がった。

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