3−7
ライブの翌週、8月第2日曜日はドライブがてら隣の市まで出掛けた。行き先は水族館だ。
トンネル型の巨大な水槽には海底に宝石を散りばめたように様々な種類の魚が泳ぎ、ペンギンにアザラシにホッキョクグマ、イルカショーも観覧できた。
水族館を満喫した莉子と純が地元に辿り着く頃には夏の夕闇がすぐそばまで来ていた。
日曜日の県道は少々渋滞気味で、さきほどから一向に車が進まない。
「けっこう混んでるね。莉子ちゃんの家の方向だと次の交差点で右折した方が早いかな」
「……あの、純さんの家、どこにあるの?」
「俺の家?」
「今から行っちゃダメ?」
水族館の土産物店で純に買ってもらったアザラシのぬいぐるみを莉子は胸元に抱えた。純は今日も莉子を家まで送り届けてデートを終わらせようとしていたに違いない。
手は繋いだ。抱き締めてもくれる。
けれどふたりはまだキスをしていない。それ以上の行為もしていない、プラトニックなままだ。
今日は、今日こそは。そう想いを込めた莉子の真意に、純も気付いていた。
純は無言でハンドルを握る。彼が答えを出すのに数秒を要した。
「いいけど……俺の家なにもないよ?』
「逆に何があるのか気になる。見られて困るものとか……」
「ははっ。どうかなー? なかったと思うけど」
車内に漂う微妙な空気をふたりしてわざと誤魔化して、莉子と純は冗談を言い合った。
車が渋滞を続ける大通りから外れ、脇道を何度か通って進んでいく。どんどん近付く駅前のビル群の景色に莉子は首を傾げた。
「駅前に向かってる?」
「俺の家、駅裏にあるんだ。職場まで自転車なら10分もかからない。歩きだと20分程度かな」
やがて夜の帳の下りた住宅街の一角で車が停車する。こじんまりした四角いアパートの外階段を純が先に上がり、莉子も彼の後ろをついて階段を上がった。
アパートの部屋数は1階に2つ、2階も2つの計4部屋。
階段を上がった先の廊下に並ぶ2つの扉のうち、手前の部屋の前で純が立ち止まる。
彼は鍵穴に鍵を差し込んだ。部屋番号は201号室。
「言っておくけどかなり狭いよ」
「うんっ。楽しみ」
アザラシのぬいぐるみを片腕に抱き、片手を純の腕に絡めた。なんだかんだ言いながらも家に入れてくれるこの人はやはり優しい人だ。
玄関に入った途端にむわっとした夏の空気が肌にまとわりつく。しばらく留守にしていたせいで部屋に熱がこもっているのだ。
間取りは1K。玄関を入ってすぐの場所にキッチンがあり、キッチンと向かい合って同じフロアに洗面台と洗濯機がある。
キッチンと続き間の洋間が彼の寝室兼、居室のようだ。
「すぐに冷房効くから、ちょっと我慢してね」
「はーい」
洋間にはテレビとベッド、黒のローテーブル、壁際に配置された焦げ茶色のソファー、本棚、家具と呼べるものはそれしかない。
男の部屋特有の、こざっぱりした印象の部屋だった。
ローテーブルの上には灰皿があり、吸殻が数本入っていた。純が喫煙者だったとは意外だ。彼が煙草を吸うところを莉子は今の今まで見たことがない。
莉子は焦げ茶色のソファーに腰を下ろした。隣のキッチンでは純が冷蔵庫を開いている。
「冷たい飲み物は麦茶しかないけどいい?」
「いいよー」
機嫌良く答えた莉子とは違って彼はそれからは終始無言で、グラスをふたつ持ってキッチンから出てきた。
莉子に麦茶のグラスを渡した純はソファーには座らずに部屋の中央のローテーブルの前に座った。
「これ飲んで少ししてから家に送るから」
「ここに泊まるのはダメなの?」
莉子の膝の上のアザラシの丸い瞳が不安げに純を見つめている。麦茶を一気飲みした純は、まただんまりを決め込んでしまう。
「私達、付き合って1ヶ月になるよ。そろそろお泊りしてもいいでしょ? 朝帰りしても独り暮らしだから誰にも怒られない、純さんは明日は仕事だけど純さんが仕事に出る時に私も一緒に出るよ。駅近いから、駅まで歩いて電車で帰る。ねぇ、だからお願い」
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