1−6
顔には出さないように努めたつもりでも莉子の内心は「ゲッ……ッ!」という効果音で表すのが適切だ。よりによってお前がいるのかよ……とは口が裂けても言えない。
「佐々木さーん。お疲れ様」
「……お疲れ様です」
井上は莉子の全身に素早く視線を走らせている。全身を巡ったいやらしい視線が、やがて莉子の胸元に集中し始めた。
胸を強調する服をわざと着ておいて胸を見るなと言うのが無理な要求なのは承知の上で、好きな男以外からの粘着く視線は気持ち悪いだけだ。
「服可愛いねぇ。似合ってるよ」
「ありがとうございます」
お前に褒められるためにお洒落をしているんじゃないと叫んだ声は、莉子にしか聞こえない心の声。
3人一緒に乗り込んだエレベーターは莉子にとっては地獄だった。ただでさえ終始無言の純が気がかりなのに井上はペチャクチャと話しかけてくる。
(こういう時に限って、他の階の人が乗って来ないんだから……! 今なら荒木さんでも大歓迎よ? せめてここに、あとひとりくらい居てよぉう……中和剤カモ~ン……)
そして相手との距離が近い。従業員専用の狭いエレベーターに3人で乗っているのだから仕方ないとは言え、井上との距離が近い。
(でもどうして純さんはずっと無言なの? 井上さんが話しかけてきて、純さんが喋るタイミングは確かにないんだけど……ちょっと寂しい)
エレベーターの操作パネルの前に立つ純とは、距離は近いのになんだか存在が遠くに感じる。
「どうぞ」
ようやく口を開いた純がそう言って、開のボタンを押したまま片手で莉子達に先に出るよう促した。
お礼を言って莉子は井上と共に先にエレベーターを降りた。純が最後にエレベーターを降りると、役目を終えたエレベーターの扉が閉まる。
莉子と井上は何故か同じペースで歩いていた。莉子は後方の純を気にしつつ歩いていたが突然、急ぎ足になった純が莉子達の横を通り過ぎた。
「お疲れ」
それだけを告げた純は莉子を見ずに社員通用口の扉を開けてさっさと外に出てしまった。
追いかけたくても井上がいるから追いかけられない。どんどん遠ざかる彼の背中を莉子は黙って見送るしかできなかった。
駅までの一本道を傘がぶつからない距離を保って井上と並んで歩いた。細かな雨が降る街はやけにぼやけて霞んで見える。
純の姿は欠片も見えなくて、彼女は途方に暮れた。
井上が色々と話しかけてくれても莉子は上の空。
相づち以上の反応を返してしまえば、八つ当たりしてしまいそうだから。莉子は溜息を封じ込めて愛想笑いを作った。
井上は悪くない。悪気がないからこそ厄介なのだ。
好かれたい人には好かれなくて、好かれたくない人に好かれてしまった。
「俺はこっちだから」
「お疲れ様でした」
駅前のバスターミナルで井上と別れ、莉子は重たい足取りで改札を通ってホームに向かう。
このワンピースは純のために選んだお気に入りだ。肌の調子も良い今日はメイクも上手くできた。まつ毛だって、バイトを終えた今もマスカラでばっちり上がっている。
メイクも服も今日の仕上がりは満点だ。
それなのに竹倉純は莉子を見てもくれなかった。
今日、莉子の隣を歩いていたのは純じゃない。服を褒めてくれたのも純じゃない。
作戦は失敗に終わった。
道を歩いてる時も電車待ちのホームでも電車に乗ってる時も涙は封印した。人前では泣かない、それが子供の頃に決めた莉子のマイルール。
家に帰り着いて玄関を入った途端、我慢していた感情が一気に溢れ出て莉子は玄関先で泣き崩れた。
彼のために選んだ新品のワンピースはスカートの裾が雨に濡れて湿っていた。
純に可愛いと思われたかっただけ
純の視界に入りたいだけ
他の誰でもなく、純だけに可愛いと思ってもらいたかった
純以外からの「可愛い」なんていらない……。
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