第99話 【無題10(うさQueen、あるいは最後のセッション)】SFPエッセイ299

 うさQueenとの3年間の思い出を書く。


 あれは一体何だったんだろう? 今でもときどき思い返すことがある。これ以上ないくらい濃い仕事だったとも言えるし、破天荒に楽しい遊び時間だったとも言える。焼き尽くされるまで燃え盛った恋だったとも言える。本当に不思議な3年間だった。なにしろあんなに濃密にやりとりしたのに彼女は(本当に彼女だろうか? それすら確信を持てない)ついに顔を見せたことがないし、声だってなんらかの処理がされた音声のような印象を受けた。いま改めて思い返せば、ぼくは彼女の(便宜上、彼女と表記する)年齢も性別も職業も出身地も本当のところは何も知らない。なぜなら彼女とぼくはZoomでしか話をしたことがないからだ。ビデオは常にオフになっており、そこにはピンクのうさぎのイラストと、うさQueenというユーザー名が表記されているだけだった。

 

 なんらかの処理がされたような印象を受ける声と書いたが、極端な話、彼女が外国語でしゃべっていて、それが同時通訳ソフトで日本語になって届いていたのだとしても不思議はない。いやむしろそれが真相だったのかもしれない。時折よく聞きとれない変な単語を喋る時があったが、あれは翻訳しきれなかった言葉だったとすれば納得がいく。ごくまれに幼少期の記憶を話すようなことがあったが、食べ物の好き嫌いとか、小さな頃の習い事の話を聞いて、なんのことを言っているのかよくわからないこともあった。それは単に地域差や年代差ではなく、そもそも文化が全く違う外国人同士だったからかもしれない。


 でもまあ、ここで彼女の、うさQueenの正体が何者だったかを論じても仕方がない。フィクションの世界ならありがちなオチとして、自分自身の家族だったり(妻かもしれないし母かもしれないし父かもしれないし妹からもしれない)、死んでしまった家族の残された人工知能だったり、もっと言えば妄想の中の自分自身だったりすることもありうるが、ここで書きたいのはそんな“あっと驚く顛末”みたいな話ではない。


 いま書きたいのは、彼女との3年間は何だったのかという一点に尽きる。


 ぼくが〈職業・話し相手〉という奇妙な仕事を立ち上げたのは、あの〈大災厄〉の前年のことだった。〈職業・話し相手〉は、依頼主が話したい話題の話し相手をとことん務めて1時間5000円いただくというもので、職業と呼ぶにはあまりにもシンプルなものだった。わかる人はコンセプトを聞いた瞬間に「それは面白い!」と言ってすぐにお試しで利用してくれ、以後常連さんになってくれたが、わからない人はずっと胡散臭くていかがわしい、詐欺っぽいもののように見ていた(いや。実際のところ今もそういう目で見ている人は多いだろう)。


 最初の1年は依頼主が指定するカフェや喫茶店、時にはオフィスなどで話し合うことが多かったが、〈大災厄〉を機にZoomをはじめとするオンラインのビデオ会議が主流になった。幸か不幸かそのおかげで、以前のやり方では物理的に会うことができなかった人ともやりとりできるようになった。国内でも文字通り北は北海道から南は沖縄まで、海外からも数多くの依頼があって、〈職業・話し相手〉は広く知られるようになってきた。4年目のどこかで同時通訳ソフトに革命的な進歩があって、言語を超えた依頼も受けるようになり、決済も仮想通貨が基本に変わっていった。


 うさQueenから連絡があったのはちょうどその頃で、話題はずばり〈職業・話し相手〉について、だった。彼女は自分の個人的なテーマについて話す前に、まず徹底的に〈職業・話し相手〉のことを知りたがった。それまで丸々3年以上やってきて、そこまで慎重な人は初めてだったが、言われてみればもっともな話で、いくら「秘密厳守です。聞いた話は墓場まで持っていきます。依頼主が公開を希望しない限り絶対に表に出ることはありません」と言われても、ぼくのことをそれほど知らない場合は安心して話せないだろう。また「1時間話せばだいたい何らかのブレークスルーが起きます」なんて言われても、それに先立って何週間も、時には何ヶ月も何年も頭を悩ませていたことに、たった1時間が答えが出るわけないだろうと思うのが普通だ。


「〈職業・話し相手〉っていったい何なんだ?」

という疑問や不信感を持つのが当然と言えば当然だ。たまたまぼくのまわりには、その疑問を持たずに利用してくださる依頼主さんがたくさんいたので気づかなかったが、うさQueenがそういう使い方をしてくれたおかげで、ぼくも認識を改めることができた。〈職業・話し相手〉そのものへの問い合わせや、単にぼくの人柄を知りたいという人は無料で大丈夫だということを明記するようになったのはその後だった。


 いったんぼくや〈職業・話し相手〉というしくみを信用してからのうさQueenは非常に頻度が高く利用してくれるようになった。最初の3回は月に1回くらいのペースだったのでありがたく思っていたが、ある週にほぼ連日連絡をもらうに至って、毎回5,000円ずつ支払ってもらう状態を解消すべく、いわゆるサブスクリプションのような仕組みを用意したいと申し出た(彼女は仮想通貨ではなく日本円で支払ってくれていた)。「どうせなら」とヘヴィーユーザーである彼女と一緒にその仕組みを考えるようになり、月額30,000円で10時間分という料金プランが誕生した。超えた分は通常どおり5,000円でいいということだったが、彼女は月10時間どころでなく利用することが判明し、月額45,000円で15時間分、月額60,000円で20時間分というプランまで用意した。


 当たり前の話だが、月額60,000円で20時間分を利用したのはうさQueen一人だけだし、それも彼女との3年間の末期のことだった。最後の月、連日セッションをし、時には数時間に及ぶような話し相手を務め、お互いに感極まって涙を流すような、もはや〈職業・話し相手〉の枠組みを超えたような状況を繰り返し、そしてその全てが嘘のようにぱたりと止んだ。明け方まで続いた最後のセッションの後、うさQueenからの連絡も入金も何もかもが一切なくなった。そうなって初めて、ぼくはぼくの方からうさQueenに連絡する方法が何もないことに気づいたのだった。


 話を急ぎすぎた。


 ぼくが言いたかったのは、うさQueenこそが、〈職業・話し相手〉の基礎を築き、〈職業・話し相手〉が生まれる場(ぼくらはジョークで職業訓練学校と呼んでいたが、もちろんそんなものからは程遠い姿のものだった)の構想を支え、〈職業・話し相手〉の世界展開を推進してくれた立役者だということなのだ。決して、いつも〈職業・話し相手〉の話ばかりしていたわけではない。うさQueenの仕事に関わるらしい話、政治も宗教も関係するとある組織の人間関係の話、彼女自身の生い立ちにまつわる話、恋愛話、推しメンの話、大好きなアニメをめぐる考察、旅行先でのハプニング、流星群をみて感動した話、およそ人が話せることならなんでも話したような印象がある。


 あの頃ぼくらは毎夜のように話し込み、時には語り明かし、笑ったり泣いたり憤激したりしんみりしたり、多くの感情を共有した。仮にも職業を標榜しているので、ぼくはそんなことを口にしたことはなかったが、あの時期のぼくらは限りなく恋人同士に近かったと思う。もっとも話は最初に戻るが、彼女が果たして女性なのか、年齢的に同世代なのか、そもそも日本人なのか、日本語を使っていたのかもわからない。だから恋人というのが適切なのか、親友というのが適切なのか、究極の話し相手同士というのがふさわしいのかはわからない。


 いずれにせよぼくらはありとあらゆる話題を共有し、とことん掘り下げ、気が済むまで語り尽くした。その中には頻繁に〈職業・話し相手〉の話題も出て、その都度さまざまな問題に答えを見つけ出した。年齢や経済的理由でセッションを受けられない人が何の遠慮もしないでセッションを受けられるシステムをデザインしてくれたのも彼女だった。それはコロンブスの卵的な解決策だったが、あまりにも鮮やかだったので、ほとんど魔法のように思われた。あれがきっかけで〈職業・話し相手〉は全人類が利用できるものとなり、文字通り世界進出を果たすことができたのだった。


 うさQueenとの最後のセッションのことは忘れない。ひょっとするとあの夜話したことを一言一句再現することができるかもしれない。もちろん、そんなことはしない。ぼくは依頼主と話した内容は墓場まで持っていくのだから。でも最初の一言だけなら書いても許してもらえるのではないかと思う。ぼくはその言葉のことを何度も思い出し、その意味を何度もかみしめている。「変なお願いがあるんだけど」音声がつながるなり彼女は言った。「今から1分だけ、お互いに黙っててもいい?」それを聞いてぼくは声を出さずに頷いた。彼女はビデオをオフにしていたが、ぼくはビデオをオンにしていたのだ。それから1分間が過ぎた。彼女が口を開いた。「覚えていて。わたしはこの沈黙すら好き」


(「【無題10】」ordered by 木村 彩-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・〈職業・話し相手〉などとは一切関係ありません。

(オリジナル画像初出)https://www.facebook.com/photo/?fbid=5124372564264379

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