第44話 現実へようこそ
リビングにあるダイニングテーブル。テーブルについている涼の目の前に置いてあるのは、ご飯が盛られた涼専用の茶碗である。
自分の茶碗といった概念を有する国はとても少なく、そのような文化を属人器だのと呼ぶらしい。実際、異世界では存在しなかったのだがこの際そんなことどうでも良かった。
そして、茶碗の隣には泥状になった長芋、卵、醤油がある。
涼は卵をご飯の上で割り、白身と黄身が分離している状態の中身をご飯の上で軽くかき混ぜる。そして、長芋と醤油をかければとろろご飯の完成だ。
「それにしても、なんでとろろ?」
涼がとろろご飯を見て感極まっている中、同じテーブルで食事をしていた涼の母親は疑問をぶつけた。
「いや、なんか急に食べたくなっちゃって」
涼がとろろを食べようと思った理由は、単純に無性に食べたくなったからである。思い返せば、異世界から戻ってきた後は一回も食べていない。異世界ではとろろという概念そのものがなかったため、食べるのは実に数年ぶりだ。涼は茶碗を手で持つと、箸を使いどんどんとろろご飯を口の中へと放り込んでいった。
そんな中、リビングに鍵を開ける音が響きすぐに扉を開ける音も響く。
「ただいま……家の中暖かいな」
家の中に入ってきたのは涼の父親であった。ダッフルコート手に持ち、リビングへと入って来る。
「おかえりー」
涼はそっけない返事をしたが、それもこれもとろろご飯に夢中なせいである。
涼の父親は荷物を自室へと置くと、リビングへと戻りテレビの電源をつけた。ちょうど今はニュースの時間帯であった。
「本日、四月とは思えない寒波が日本列島に到来。北海道では氷点下を記録しました」
アナウンサーが記事を読み上げると、北海道の何処かの映像に変わる。地面には白い雪が降り積もり、植物には霜がついている。
「寒かった?」
涼の母親が父親に聞いてみる。今日は母親はあまり外出をしていないのだ。
「ああ、寒かったよ。静岡県民、特に沿岸部民は寒さ耐性全くないからな。本当に困るよ。おかげでコンビニ見かけるたびに中華まんやらおでんやら買っちゃったんだよね。それらを食べてたから、あんまりお腹空いてないんだよね」
テーブルにラップをかけて放置している食事に目もくれないのはそういうことらしい。
「ゲームでもするか……」
ソフトを入れて、ゲーム機を起動するとテレビ画面には可愛らしい少女ばかりのイラストが表示された。
「スッポン少女!!」
明らかに男性向けを思わせる甘ったるい声が響く。
「すっぽん? 亀の擬人化。最近は何でも擬人化するのね」
最近は何でもかんでも擬人化するのが流行なのかと思っている涼の母親だったが、父親がその言葉を訂正した。
「ん? いや、ここでいうすっぽんは亀じゃなくてトイレで使う方の何だけど」
涼の父親のその言葉に、涼とその母親は一瞬食べることを忘れ自らの耳を疑った。
「え? 何だって?」
涼が聞き返すと、涼の父親は懇切丁寧に説明し始めた。
「この娘がいるだろ? この娘は各地の詰まっているトイレがあるお宅にお邪魔するんだ。そしてリズムに合わせてボタンを押すことでポイントを貯める。ポイントが貯まった分、この娘が頑張って手を伸ばしてトイレの中に手を突っ込むっていう──」
本来、汚い用途に使うものを擬人化したためあらゆる感情が涼に湧いて出る。作中に出てくる人物への同情か、あるいはこんなゲームを作った企業に対する軽蔑か。
涼の母親は、「うげぇ」という悲鳴をもらし、その表情はただ純然な軽蔑のものであった。
一概には言えないその複雑な感情は、とろろご飯を食べたいという感情を一瞬封じてしまうほどに衝動を生み出した。
「ないわー。人が食事中なのにこんなゲーム見せる? 何考えてるの?」
いくら擬人化しているとはいえ、やっていることは食欲が失せてしまうようなことなのだ。
せっかくの食事を邪魔された涼の怒りは大きかった。
「詰まったっていっても、スマホを落としたとかそういう類のものなのにな……」
凝りた涼の父親は、テレビを消す。しかし、今回使用しているのはテレビ出力が可能な携帯ゲーム機。ドックからゲーム機本体を外すと、そのままプレイを続ける。
確かに、これであれば涼たちからは見えてはいない。
しかし、音だけは聞こえるのだ。
美少女たちの甘ったるい声と、トイレの水流したような音。そして、水に何かを突っ込んだような音。
視界には入れなくても、想像するのは容易だった。
「ちょっとお父さん! リビングでそれやんないで! やるなら自室に籠もってイヤホンして! ここに食事中の人がいるんだよ? わかる? 最っ低だよ」
容赦なく怒りをぶつける涼に、涼の父親は懲りたのかホーム画面に戻った。
「わかったよ。まあ確かに食事中に見せるのはあれだったな。ところで──」
涼の父親は今までが茶化していたと思えるほどに、ふと真面目な顔になり涼の目を見た。
「な、何……?」
こんなまじまじと実の父親から見られることなど滅多にない。その上、父親の表情には見ただけでわかるような単純な表情ではない。そのことがますます涼に不安感を与える。
「さっきの、もう一回言ってくれないか?」
涼の父親の発言を聞いたが、涼は理解が追いつかなかった。
「……ん? 話が見えないんだけど」
「『最っ低だよ』って部分だ。その時の涼の表情がな、……その、来るものがあったんだ」
涼の父親は恥ずかしそうに、もじもじしながら涼に迫った。
これには涼も、もはや呆気に取られる他なかった。
「こら涼! 勝手に人の夫の新たな性癖を目覚めさせてはいけません。あなたも、謹んでくださいね?」
結局、何故か母親から怒られた涼は、なんだかんだで楽しい一日だったと振り返りつつも妙な気怠さを感じて早めに就寝した。
◇
「……ん?」
翌日の早朝。
涼は何故か目が覚めた。妙な違和感のためだ。
そして、その違和感はちょうど股の部分から来ている。
「これはもしや……」
涼は性転換してしまったが、元に戻る方法が見つかる可能性は限りなく低いと考えていた。だからこそ、女性特有の問題も、一通り調べ万が一の時でも同様しないようにしていたのだ。
「これはあれだな。TS作品あるあるの──」
初潮。
TS作品で初潮が起こると、前提知識のない主人公が大慌てするといういわばテンプレートのようなものが存在する。しかし、抜かりはなかった。
涼はある程度は生理のことを調べていたのだ。
一応どのくらいの状況なのかと、恐る恐る下着の様子を見た。
「……あれ?」
赤色か。それとも茶色か。
そう覚悟して下着を見たが、そこには白っぽいネバネバしたものが付着していた。
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