ガゲン The Birth of a New Hero

十六夜 つくし

プロローグ 会合 / 総前高校の"旧校舎事件"

 よく、あの日の夢を見る。

 あれは

 馬鹿で愚かな俺が現実を知った日。

 始めて知らない自分と会合した日。

 人生が、いっそう狂っていくことになった日。


 俺は、両親がいないこと、自分には中学以前の記憶が欠落していること。そんなことに何の疑問も浮かべずに笑って過ごした日常生活が終わることを、少し寂しく思った。


 あの日、大人達の思惑が失敗して上手く回らずに崩壊した舞台の上。

 予想外のことが起き、誰も止めることが出来なくなった悲劇の中で、俺は自分が何に巻き込まれてしまったのかも理解出来ずに、ただ必死に生き延びる為だけに汗だくになって校内の廊下を逃げ惑い続けていた。


 視界は血で赤く染まり始めていた。疲れも重なっていて、世界は更にぼやけていく。

「アハ♪アハ♪アハハハハハハ♪」

 後ろから迫って来る狂気の少女は、その狂乱に満ちた声だけで俺の身体を震え上がらせた。俺以外の皆はもう、生きる事を諦めた。過去も帰る場所も思い出せない自分だけが、何故か最後まで生き残らされている。生きてと誰かに何かを勝手に託された。 

 神様は、生かす奴を間違えやがった。

 あの怪物に立ち向かおうとした瞬間もあった。生に縋り付く為に逃げる以外の行動を起こそうともした。

 でも、それらは全部無意味なことだった。あんな化け物を相手に戦いを挑もうと考えること自体が愚策でしかなかったのだ。

 正気を保つ為だけに、必死になって狂いあがる。


「くっそ!せっかく女の子が追いかけて来てくれているのに。全力で逃げるしかないなんて。はは。俺ってば何て罪な男。」

 虚勢を張って目に涙を溜めながら強がる。最後まで自分を失わないようにする無駄な努力だ。

 “いつもの自分”なんて考え始めた時点で既に自己を消失していることにも気づかず。きっとこうだったよね?と馬鹿みたいに仮定をして演じ、戯ける。


 夕暮れに染まる校舎の中。俺は終わらない鬼ごっこに絶望する。

 時間は経過しない。教室の時計はどれも違う時間を指していて、夕日はいつまでも地平線の向こう側には沈まない。


 負傷した腕を押さえ、傷だらけの足を引きずりながら走る。

 知人は死んだ。無力さを悔いた。

 それでも走る。命欲しさにこの歪な校舎を逃げ惑う。


 呼吸が荒い。意識は朦朧とし、体の感覚は端の方からじわじわと消失している。

「いよいよ、本格的に不味いかな。」

 手で頭を抑え、鈍くなる思考を無理矢理にでも回転させる。そうでもしないと、考えること自体を放棄してしまいそうだ。そしたら俺は、何もない虚無に襲われてしまう。何もしなくて良い死ぬことという誘惑に負けてしまうと、取り返しの付かないことになる。死ぬのは嫌だ。


 研究者を語った大人達は死んだ。

 クラスメイトの命は、俺の目の前でことごとく食い散らかされた。

「助けてよ!あなた、■■■■■■■■■なんでしょ!弱い人の味方じゃないの!!」

「怒ってるなら謝るからぁ!!」

助けて!助けて!助け!助けて!助け

 彼らの声が頭の中で繰り返し再生される。そのたびに、何も出来なかった無力感と自分だけが生きもがき続けている罪悪感に苛まれる。彼らを見殺しにしてまで、俺は生きていていいのか。でも、死にたくなんてない。

 もうすぐ、俺の番が来てしまう。


「ごめんね。猛烈なアタックは嬉しいんだけど、君の想いには答えてあげられないんだ。」

 軽口を叩き、時折振り返っては彼女にそう語り掛けてみるが、女の進行は止らない。しつこい悪女を背に、俺はただひたすらに逃げ続ける。


 だがいくら走っても、この嫌に長い廊下の先には辿り付けなかった。曲がり角など訪れないし、一向に出口に辿り付くことも無い。完全に、囚えられた。


 ドクドク。と心臓の音が体内で木霊し、胸が痛む。

 それに意識がいく程に、焦りと緊張で身体は強ばった。

 追い詰められれば追い詰められる程に、この体は動きづらくなっていく。


 どれだけ急いでも、目の前の景色は何も変わらない。

 固く、重くなっていく足。引き千切れても仕方がないくらい酷使しているのに、終わりは来ない。

 この廊下は、こんなにも長いものではなかった筈だ。他校のものに比べて特段長い訳でもなければ、普段なら歩いてでも階段までは容易に辿りつける。


 それなのに、今日に限ってはいくら走っても目的の場所には辿りつけない。

 まるでこの廊下が永遠に続いているみたいで。

 走っても走っても、俺が止まらない限りは終わりが来ない。そんな理不尽に苛まれている。


「くそ!拉致があかねぇ!!」

 かれこれ数時間はここで走り続けている。速度も落ちてきているだろうに、それなのに後ろの女はまだ俺に追いつかない。きっと意図的だ。あいつは、俺が果てるのを待っている。性が悪い。笑いながら、きっと俺が諦めて絶望するのを待っていやがるのだ。


 窓を見る。脱出口なら、まだここにあるじゃないか。骨の何本かは持って行かれることになろうが、つべこべ言っている場合じゃ無い。

 そう思って窓の奥を見たとき、信じられないものを目にして、俺の足は


 ――知らぬ間に、俺の知らない世界が広がっていたのだ。

 まるで、どこか別の世界にでも迷い込んでしまったかのように。

 ここも、外も。

 俺の知る世界は、何処にも存在してなどいなかった。


 世界から、この場所以外の何もかもが無くなっている。

 窓の外はだだっ広い荒野だけが一面に広がっていて。地平線の果てで、不気味な赤黒いもやが揺らめいていた。


 空には大地が。

 対面の地に、同じ様に校舎ここだけが存在している。向こう側の窓から、無表情で死んだ目をしたが窓に手を掛けながら同じ様に此方を見つめていた。それのなんておぞましいことか。


「……。はっ。ははは。何だこりゃ。」

 こんなの、意味不明過ぎて笑うしかない。逃げ場なんて、もう何処にも無いんだ。


 止めを刺すように、その考えが心を自壊させる。


「アヒャ♪」

 耳元から聞こえた声に、全身の鳥肌がたった。


 反射的に動いたこの体は、それでも最後まで生存を諦めることはなかった。


***


「う……。ア、アァ。」

 気が付けば、血溜まりの上でくしゃくしゃになった自分の体が朧気に見えた。死ぬ気で動き続けた結果、どうやらこの体は意識を失ってもまだ動いてくれたらしい。思考は無く、完全に脊髄反射だけで生に縋り付いた。何それ。俺スゲー。


 でも、それでもあの怪物の強さには届き得なかった。本能が敗北を悟った瞬間、俺の意識は無情にも蘇ったのだろう。体が動かないなら、せめて意識だけでもと。馬鹿だなぁ。体も意識も両方稼働させてくれないと。はは。

 それは、最後まで生を諦めなかった人間の最後の抗いだったのかもしれない。


 俺はもうじき死ぬ。

 体はピクリとも動かない。横目で確認してみるだけでも、血溜まりの中に打ち捨てられた自分の体全身の骨がボキボキに折れてしまっている。

 役目が終わった玩具みたいだった。どうしようもなく壊れてしまった人形が、ゴミ山の上でその生涯を全うするように、俺は地面に転がされている。辛うじてまだ息はあるが、そう長くは保たないだろう。

 まったく、なんでこうなってしまったんだか。

 昨日まで、何の変哲もない平和な……。


「いや……だ。まだ、死にたくない。」

 もう動かすことも出来ない外殻からだになんとか力を通そうとする。

 まだ終われない。ここでこのまま死にたくはない。

 まだ。自分の過去も、家族も知らない。せめて、そのくらいのことは思い出してからじゃないと死にきれない。未練が残る。


 そう願った時、その衝撃は突如として俺の脳内を駆け巡った。苦しくて流れ落ちた涙の先で、今はもう無い右腕が激しく疼く。


 数歩先に転がった右腕。

 千切られたそれは、人間のそれとは何かが違う。切れ端から血が流れ出ていない。

 何かが、おかしい。


 右肩との繋ぎ目だった場所。

 そこが機械的機構になっているのを明確に認識した時、脳裏に電気痛がはしった。

 そして、目の前の景色は消えた。


 彼の疑問に答えるように。


 静かに、その記憶が彼の見る現実を侵食していく。


 脳内に突如介入して来た幻想が、現実世界を侵してその光景を塗り替える。彼が失い、思い出したいと望んだ、過去の景色のものへと。


 赤黒い世界の中で、その子供はただ一人静かに涙を流していた。

 燃える世界、崩れ落ちた瓦礫の山の上で、少年は灰になった何かを大切そうに抱えている。


 少年の面影が自分と重なる。きっとあれが、昔の俺だ。

 困ったことに、彼には既に右腕が失われていた。


 こんな記憶を、俺は知らない。

 知らないのに、悲しい感情が込み上がって涙が溢れた。


 感情が繋がったせいか、向こうの少年がこちらに気付く。驚いた顔をして俺を視た。無表情で涙を残しながら、無感情に。

 そして、静かに口元を歪ませていく。何かを諦めたように。ゆっくりと。


「無様だね。」

 呟くように。呆れるように。絶望したように。


「―――っ」

 語り掛けて来た記憶の自分に驚愕した。


 これは夢だ。

 過去の記憶の一端を観ているのなら、回想映像が俺に語り掛けてくることなんてあり得ない。そう思っていたからこそ、此方を捉えて語り掛け、ゆっくりと近づいて来る自分少年に意表を突かれた。


「そっか。結局キミは生きる道を選んだ。それで、そのザマ。―――ハ。ハハハ。希望は、無かったんだね。……。ねぇ。その身体、に返してよ。」


「っ!!」

 怖気おぞけに襲われながら、覚醒する。

 汗溜まりの中から飛び起きた俺は、嫌な夢悪夢に頭を抱えた。

 鍛錬中に眠ってしまっていたらしい。

 上半身は半裸で、体が冷えて寒い。


「クッソ。」

 窓から射した朝日に照らされる。


 あの日、どういう理屈か。

 俺こと勇樹ゆうき 世鬽つぐみは、旧校舎で起きた事件を生き残った。


 そして。失った記憶を求めるように泥に縋る人生を送るようになった。

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