76話:★義両親とも仲良くしましょう
「――まぁ、あの子がそんなことを?」
「はい。突然、修行の場からいなくなったと思ったら辺境の村に行ったと仙人から聞かされて、慌てて飛んで行ったんです。そうしたらもう大惨事で……」
「大臣たちの前では澄ました顔をしてるくせに、案外抜けているのね。あの人そっくりだわ」
そう話してから柔らかく笑ったのは、無風の実母であり
「本当、貴方のような師がいてよかったわ」
「そう仰って下さると嬉しいです。ですが無風……いえ、殿下の名誉のために弁明しますが、大きな失態はそれぐらいで、しかも幼少期の話ですので……」
「あらあら優しいのね。あの子は貴方のそんなところに心惹かれたのかしら」
ウフフ、と微笑む寿伽は蒼翠から見ても、輝かしい人だった。
大輪の花が真横にあっても負けない気高い美貌の持ち主である彼女は御年四十となるが、まるで二十歳の子がいる母とは思えないほど若々しい。しかし、かといってただ美しいだけでなく、落ち着いた雰囲気と皇后の風格をも十二分に併せ持つ、文字通り完璧な女性なのだ。
だが、彼女が持つ得難い魅力はそれだけではない。
寿伽の一番の武器は、内に抱く意志の強さだ。
彼女は自分がよしと思わないことには頷かないし、惰性的に続くしきたりよりも未来のためになる一歩を重視する。そんな寿伽が母親だったから赤子の時の無風は助かった。そう考えると、彼女には心からの敬意をどれほど捧げても足りないぐらいだ。
「ですが、あまり甘やかしてばかりではいけませんよ。あの父子はとても勇敢で英明な男たちですが、箍が外れると途端に頭の中がお花畑になるようですので、時には私たち伴侶が毅然とした態度を見せることも大切です」
お淑やかに語りながら、寿伽は上げた拳をグッと握りしめる。
意味はおそらく「夫が暴走しそうな時は、殴ってでも止めればいい」だ。
そんな無風の母であり、今や蒼翠の義母となった寿伽だが実は彼女、二人の婚姻における陰の立て役者だったりもする。
なんでも無風が蒼翠との婚姻の許可を聖君に迫った際、重臣たちから数多の異議が唱えられたそうだが、寿伽は苦悩する聖君に「私たちが無風にした所業を考えればどれだけ憎まれても致し方ないというのに、この子はすべてを水に流し役目を背負うと言ってくれているのですよ! こんな聡明な息子のたった一つの願いを叶えられないで、よく万民の長が務まりますわ! ああ、情けない! もし無風の願いを退けると仰るのなら私は今すぐ髪を切り仏門に入ります!」と激しい剣幕で一喝したという。
寿伽は聖界の掟に抗えず無風を守れなかったことを、ずっと悔やみ続けていたそうだ。その中で訪れた贖罪の機会を、絶対に逃す訳にはいかなかったのだという。
そうして見事、聖君は肝っ玉母さんに陥落した。
「もし、あの子のことで困ったことが起きたら、すぐに私に相談するのですよ。どんな時でも味方になりますからね」
さらに付け加えるなら、蒼翠はその肝っ玉母さんにかなり気に入られている。
天涯孤独となった無風を拾い、文武両道の聖人君子に育て上げた。それだけでも彼女の蒼翠に対する称賛は溢れんばかりだというのに、加えて無風の龍化、そして鳳凰来臨の立役者にまでなったことで彼女からの信頼は軽く天元を突破し、今では周囲も羨む仲良し
「ありがとうございます、義母上。とても心強いです」
長らく親の温もりから遠ざかっていたこともあって、寿伽からの愛情が胸に染みる。嬉しくて蒼翠がはにかむと寿伽が口元を手で押さえ、少女のように喜びの声を上げた。
「まぁ! まぁまぁ! なんて可愛らしいのかしら。あの子が夢中になるのも分かるわ。フフッ、ほら、遠慮しないでもっとお菓子を食べなさい。今日のお茶会のために朝から頑張って作ったのよ。身体にいいお茶もたくさんあるから」
「はい、いただきます」
寿伽お手製の
聖界に迎え入れられ、今や男であるものの正式に皇太子妃となった蒼翠のおもな仕事は家を守り、夫を支えること。ゆえに以前のような反乱分子の下へと出向いて制圧するような骨の折れる仕事は当然ながら回ってはこない。おかげで多少運動不足が気になるものの、こうして優しい義母と美味しい茶をいただきながら語らうという心安まる日々が送れている。本当に、無風には感謝しかない。
「そういえば今朝聖君から聞いたのですが、貴方の祖国との停戦協定が無事締結となりそうですよ」
「本当ですかっ?」
寿伽からの報告に、蒼翠は大きく目を見開いた。
「ええ、あの子が宣言どおりにやってのけたみたいですね」
蒼翠の故郷・
当時邪君は前皇太子・
『蒼翠様のお父上と刃を交えたくありません、それに邪界は私が育った国でもありますから』
無風はそう語り、何十日、何百日と粘り強く停戦交渉を続けた。その結果、両国ともに前皇太子を失っていることを痛み分けとし、見事邪君を頷かせたと寿伽は話す。
「ずっと心配しておりました。私の父……邪君には激情家のきらいがありますから」
戦の大義名分を手に入れば大喜びで剣を掴むような性格ゆえ、交渉のために邪界に赴く無風に何か起こるのではないかと、毎度不安で堪らなかった。
「一時は危ない時もあったようですが、聖君とともに助け合って乗り越えたそうですよ」
聖君も粉骨砕身したと聞いて、自然と視線が下がる。
「どうしました? 急に暗い顔などして……」
「いえ……あの一件は私に大きく原因があります。それなのに聖君の手を患わせたと思うと心苦しくて……」
直接謝罪する機会があればとは思うが、万民の頂点に立つ聖君がいち皇太子妃に使う時間などないだろう。蒼翠が眉尻を下げると突如寿伽がバンっ、と両手で勢いよく机を叩いた。
「何を言うのです、貴方が心苦しく思う必要なんてないわ! 国の平和を考えるのは男の務め。寧ろそれしかやることがないのですから、任せておけばいいのです」
「それしかって……義母上、それはちょっと言い過ぎでは……」
それに忘れているかも知れないが、蒼翠も一応男だ。
「あと、あの人のことは聖君ではなく、義父上と呼んで差し上げて。あの人、本当は貴方ともっと仲良くしたいって思っているのに
どうやったら皇太子妃は自分に気さくに話しかけてくれるのか、皇太子の昔話を直接聞かせてくれるのかと、毎日寿伽に相談しているらしい。
まさかそんな会話が毎夜繰り広げられていたとは知らなくて、蒼翠はなんと返したらいいのか戸惑った。
「聖君を義父上と……ですか? それはあまりにも恐れ多いのでは」
「大丈夫ですよ。貴方のお父上は厳しすぎるぐらい公私を分けていたとのことですが、だからとこちらでも同じようにする必要はないの。私にとってあの人が聖君である前に夫であるように、貴方にとっては義父親。ですから、私的の場では家族の顔を見せてあげてちょうだい」
貴方には家族から愛される権利があるし、家族を愛する義務がある。そう言って笑う寿伽を見て、感激に心が大きく震えた。
自分はなんて幸せ者なのだろうか。優しい家族がいて、愛している者の隣にいることを許され、温かく暮らしている。あまりにも完璧すぎて夢ではないかと不安になるぐらいだ。
「ありがとうございます……義母上、そして……義父上」
今度必ず気に入りの茶と菓子を持って、聖君のところに行こう。
そう決めて目を細めて笑うと、眦に溜まっていた涙が一粒零れた。
すると次の瞬間、予想もしないところから最愛の夫の声が聞こえてきた。
「蒼翠様っ!」
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