49話:まさかの……?




蒼翠そうすい様」



 複数の蝋燭がキャンドルライトイルミネーションみたいに幻想的に並べられた部屋の中、柔らかな声に呼ばれ振り向くと、なぜか間近に無風の美しい顔があった。

 邪界じゃかい一、いや聖界せいかい一と謳っても過言ではないほど美麗な男が、見上げた先で甘く微笑んでいる。



 ――ああ、やっぱり無風は格好いいな。



 こんな無風に見つめられたら、どんな美女だってイチコロだ。

 しかし。

 あれ?



「む、無風? どうした?」


 

 主と従者、師と弟子にしてはなぜか不自然なまでに顔の距離が近い。互いの吐息の音すら聞こえるほどの位置で無風に見つめられた蒼翠は、緊張に身体を固めた。が、そんな蒼翠の動揺に気づいていないのか、無風は甘い眼差しを続けたまま、さらに顔を距離を近づける。


「え……」


 二人の唇が重なったのは、それからすぐだった。あまりにも自然な動作に、蒼翠は自分が口づけをされていることに気づくまで数拍ほどかかってしまった



「ん……ンンッ?」



 温かな舌が当然のように中へと滑り込んでくる感覚に漸く我を取り戻した蒼翠が、韓紅かんこうの瞳を大きく開く。

 嘘だろ、そんな。

 無風との口づけはこれが初めてではない。あのあやかしの森で一度、腰が砕けるほど甘美な熱に侵された。ただ、あれは無風が蒼翠の剣を得るために仕方なくしたことで、深い意味などないものだった。

 だったら、今のこれはなんだ。どうして自分たちは理由もなく口づけなんてしているのだ。今にも爆発しそうな鼓動の中、蒼翠は必死に混乱を抑えて意味を考えようとしたが、口腔内を愛撫のごとく犯されるとたちまち思考が飛び散った。

 

 気持ちいい。もっと欲しい。


 舌を、口蓋を、歯列を、弾力のある舌先でなぞられる度に腰の奥が熱く震える。もっと奥にと自分も率先して舌を絡ませると、願いに応えてくれるように無風は極上の甘蜜を与えてくれた。


「ん、は……っ、ぁ……っ」


 侵され、溶かされ、飲み込まれていく。唇もその奥も何もかもが灼熱にされされたみたいに熱くて、けれどほどよく酒に酔わされた心地よくもあって、蒼翠は夢中になって無風に縋りついた。

 もっと、もっと、もっと。

 何度も頭の角度を変え、唇と舌を性急に動かし、無風を貪り続ける。が、少しして息苦しさを覚えた蒼翠は、自分が上手く空気を吸えていなかったことに気づき、やんわりと無風の胸元を叩いた。

 

 真綿で叩かれる程度の衝撃に反応した無風の唇の先が、糸が通る隙間ほど離れる。けれどこちらの呼吸が落ち着いたのを確認すると「よくできましたね」と褒めんばかりに目を柔らかく細め、再び二人の間の距離を無にした。

 

「んっ! っんん、ぅンンっ……っ……」



 先ほどよりも深く激しい口づけに、蒼翠は再び抗えない快楽の沼に落とされた。まるで情交しているみたいな錯覚させ覚えてしまう。

 でも、不思議と嫌悪感は少しもなかった。相手は無風なのに、男なのに、身体は拒絶することなく、それどころかもっと続けていたいなんて願ってしまう。

  

 自分は皇子で、主人で、師匠なのに。

 無風とキス、している。

 快楽を追いかけるようにして湧き上がる背徳感に、心がチクチクと痛んだ。

   

 

  

「蒼翠様」



 深すぎる口づけが始まってから数度の息継ぎを挟んだ頃、ふわふわとする意識の中で自分を呼ぶ声が聞こえて、蒼翠は視線を上げた。



「……え?」



 目の前の無風はいつの間にか裸になっていた。逞しい胸板が見える。

 今の間にいつ服を脱いだのだ。あたかもマジックのような状況に首を傾げていると今度は裸の無風がおもむろに腕を伸ばしてきて、蒼翠はそのまま背後にちょうどあった寝台に優しく押し倒された。


「無風……?」


 一体何をするつもりかと無風に聞こうと、上半身だけを起こそうとする。

 その時に気づいた。自分もまたいつの間にか衣服をすべて脱ぎ、産まれたままの姿になっていたことに。



「なっ……なんで?」

「蒼翠様、よろしいですか?」

「よろしいですかって……なにが……?」

「私に貴方様のすべてをください」

「す……べて?」

「この紅く瑞々しい唇も、絹のように滑らかな肌も、そしてここも……」



 唇に触れていた指が首筋を伝い、胸の隆起、みぞおち、臍、と、少しずつ下に降りていく。そうしてその指先が最後に辿り着いたのは剥き出しの下腹部だった。

  

「え? はっ? ちょっ、無風、それはっ」

「大丈夫です。蒼翠様には極上の悦びをお贈りすると約束しますので」

「いやいやいやいやいや!」



 お約束するとかそういう問題ではない。いくら蒼翠が元モテ期を一度も味わったことのない冴えない大学生でも、さすがに二人でキスして裸になって寝台に倒れ込んだらその後に何をするかぐらいは予想がつく。だからこそ、そういう問題ではないのだ。


 

「待て、なっ? 無風、ちょっと落ち着こう?」

「もう待てません……私は貴方様が……」



 正真正銘『男』の顔をした無風がどんどん迫ってくる。その姿は同性の自分でも胸が高鳴るほど端麗で、思わず一瞬だけ流されそうにもなってしまったが、なんとか自我を保って蒼翠は暴走真っ只中の無風を止める。しかし拙い説得はまったくもって意味をなさず、とうとう無風の手は蒼翠の大事な場所に届き――――――。

 


「ぎ、ぎゃぁぁぁーーーっ!」



 色気もクソもない悲鳴を思いきり叫んだ瞬間。



「……………………へ?」



 視界に見慣れた天井が広がった。



「あれ……?」



 今まで見ていたロマンティックなキャンドルライトイルミネーションは魔法のように消え、部屋は夜明けの薄暗さに包まれている。

 目前にいたはずの色気バリバリ無風もいない。



「ん? ん? んん?」



 どういうことだ。頭に疑問符を大量発生させながら激しく鼓動を叩く胸に手を当てると、そこにはきちんと服があって。

 え、まさか、と蒼翠は寝台から身体を起こすが、やはりどこにも無風の姿はない。ということは、つまり。

 

 

「今の……夢?」 



 寝ぼけた頭でようやくすべてを悟り呟いたが、すぐに身体中の毛穴という毛穴から羞恥が吹き出し、蒼翠は再び寝台へと勢いよく沈んだ。 



 ――うそだろ、うそだろ、うそだろ。



 性を覚えたての男子高校生でもないのに、あんな夢を、しかも無風を相手にして見るなんて。信じられない状況に、蒼翠は両手で顔を隠し覆う。

 


「こんな……絶対無風のせいだろ……」



 妖討伐の後、無風との関係がピリピリしていたこともあってずっとそちらにばかり気を遣っていたが、その悩みが解消された途端にキスされたことを思い出して、動揺しまくった結果がこの夢だ。犯人は無風以外の何者でもない。

 


「無風のバカ……」



 改めて考えてみれば、あの場面でキスする意味なんてなかったはずだ。頭のいい無風だったらいくらでも相手の意表を突くことができるのだから。何を考えてあの行動がいいと思ったのかは分からないが、そのせいで自分はこんな夢をみるハメになってしまった。

 解せない。本当に解せない。

 これはきちんと、ケジメをつけなければ。


 

「今日、丸一日ワガママ言いまくってやる……」



 さすが無風に直接「お前がキスしたせいで卑猥な夢を見たじゃないか」なんて言えるはずがない。けれどどうしてもこのもやもやを無風にぶつけてやりたい蒼翠は、仕返しに一日かけて無風を困らせに困らせてやると決め、誰もまだ目覚めていない早朝から一人、良からぬ策を練る。

 夢で無風に抱かれそうにことに対し、嫌悪も拒絶も湧かなかった事実を必死に見てみぬふりしながら。



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