31話:聖界の町①



 すれ違う女人の視線が、すべて一つの場所に集まっているのが分かる。どうしてか、なんて理由は考えずとも明白だった。

 

 

 ――そうだろう、そうだろう。うちの無風はやっぱり格好いいだろう。


 町を歩くのに不自然にならぬよう、無風むふうにはいつも着用している寒色の深衣しんいから質素なものへと着替えさせ、長い髪も頭の高い位置で結わせた。するとどうだろう、常に姿勢のいい無風は一見高貴な役人にも見えるようで、女性から熱い眼差しを一気に自分のモノにした。

 

 

 代わって蒼翠そうすいのほうは無風と同じように簡素な深衣にしたが、襟元が窮屈だからと着崩し、髪も面倒だからと降ろしたまま流している。こちらはさながら遊人といった装いではあるも、別段誰かと会うわけでもにないのでこれで十分だろう。

 


 ただ、あまりにも印象が違いすぎる二人が並ぶとどういった関係なのか読めないらしく、途中何度かこちらを眺める男の視線とぶつかった。しかしそこは蒼翠が『気にする必要はない』との意味を込めてふわりと笑いかければ、相手は慌てた様子で目を逸らすので大きな問題にはならなかった。

 

 が、なぜか無風に「危ないので無闇に色香いろかを振りまかないでください」と怒られた。

 色香ってなんだ、色香って。

 色々解せない。

 

 

「――で、この町はどうだ? ご母堂ぼどうの墓参りも無事に終わったことだし、ゆっくり散策してみるのも悪くないだろう」



 聖界せいかいに来て一番に無風を育てた侍女じじょの墓を訪ねた二人は、果物と線香を供え、静かに手を合わせた。さすがに無風も墓所の前では昔を思い出したらしく、眦に涙を浮かべていた。

 その後、蒼翠は巧みに誘導し、無風を隣陽が住む町・彩李へ移動した。



「ここが『この町で見つからない品はない』と有名な彩李さいりですか……すごいですね」


 初めて目にする賑わいのある町並みに、無風を感動してキョロキョロと周りを見回す。



「ここは商いに特化した町だから、都にも負けないほどの人出になるそうだ」



 彩李は雨尊村うそんむらのような少人数の集落ではなく、商業的に発展した大きな町で、広場通りには反物たんもの、宝飾、宿、酒店などが所狭しと並んでいる。人の行き交いも多く場所によっては真っ直ぐ歩けないところもあるが、それでも土道つちみちはしっかりと整えられ、脇道には季節の花が多種植えられている。道の舗装が行き届いているのは、町の経済が潤っている証拠だ。

 

 

 しかも今日はちょうど祭りの日だったらしく手作りのくしかんざしを売る店や、めん餡入あんい饅頭まんとう、甘いパイのような味わいの酥餅スーピンに串に刺さった鳥焼と、食べ歩きができる品を扱う露店もたくさん出ている。まるで神社の縁日みたいだ。



「お、サンザシ飴じゃないか!」


 無風と並び散策していた途中で、見覚えのある菓子を見つけると、蒼翠はたちまち子どものように目を輝かせた。

 

 サンザシ飴とはサンザシという姫リンゴほどの大きさの赤い果実を六つほど串に刺し、そこに水飴を纏わせた菓子で、中国では昔からある有名な食べ物だ。

 ちなみに葵衣あおいの時に見ていた中国時代劇にも必ずといっていいほど出てくる代物で、実はずっと食べてみたいと思っていたのだ。

 


「この飴を一つくれ」



 蒼翠は懐から小さな銀塊を取り出し飴屋に渡すと、一番形のいい飴を取りすぐに頬張った。

 

 

「うまっ! 無風、これ、すごく美味いぞ」


 外の飴はカリッとした絶妙な硬さで固まっていて食感がよく、中のサンザシは酸味はあるが飴と一緒に口にすると中で爽やかな味わいに変化する。サンザシ飴は一串の量が多いから全部食べきれるか不安もあったが、これなら無理なくいけそうだ。



「ほら、お前も食べてみろ。甘酸っぱくて癖になるぞ」



 これだけ美味しい菓子なら、やはり可愛い弟子にも食べさせたいと思うのが師匠心というもの。蒼翠は持っていた串を、ほら、と無風の口元に向けた。



「え? あ……えっと、わ、私ですか?」



 しかし無風はなぜか大蛇でも見たかのような表情で瞳を見開き、小さな呻き声を上げながら身体を硬直させた。

 

 

「なんだ、お前、甘い物は嫌いか?」

「い、いえ……そういうわけでは」

「だったら食べてみろ。ちょっと口の周りが飴でベタつくかもしれないが、男なんだから気にならないだろう?」



 あめはしっかりと固まっているが、実が大きいので頬張るとどうしても溶けた蜜が唇についてしまう。蒼翠の口元も祭りで売っているリンゴ飴を食べた時みたいにベタベタになってしまっていて、少々はしたないと思いながらも舌で舐め取った。

 

 

「ほら、早く口開けろ」

「は、はい……」



 師の命に逆らえない弟子は、真っ赤な顔で視線を右往左往とたじろがせながら口を開くと、控えめに飴をかじり上品に咀嚼そしゃくし始めた。ただ、それでも水飴は容赦なく無風の口元をベタつかせ、気持ちが悪そうにしていたため蒼翠は空いているほうの指で拭ってやり、そのまま蜜に濡れた指を自らの口に運んだ。

 

 

「蒼翠様っ」

「なんだ? あまりの美味しさにびっくりしたか?」

「あ、貴方というかたはっ……」

「ハハハッ、どうした、サンザシより真っ赤だぞ」



 子ども扱いがそんなに嫌だったのか、今にも湯気が噴き出しそうな顔で文句を言う無風を見て大笑いしてやる。

 最近身体だけでなくたたずまいも大人になりすぎてつまらなかったので、たまにはこんなふうに無理矢理可愛さを引き出してやるのもいいかもしれない。

 

 

「でも、こんなに美味しいものがここでしか食べられないのは残念だな」



 邪界じゃかいにはサンザシ飴どころか、外食を楽しむ習慣も店もない。低級の者は木に生る果実をそのまま食べたり、森で狩った動物を焼いて食べたりしているし、とうとい身分の者はお抱えの料理人が食事を用意するのが当たり前になっているので、あの国では飲食が商売として成り立たないのだ。


 サンザシ飴を楽しみたいなら、聖界の町に来るしかない。

 ただし、ある一つの手段を除いてだが。

 

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