36ストライク 貫くは信念


「これはこれは……まさかお気づきになられていたとは……失礼いたしました。」



 暗闇から現れた切れ長の目の男は、そう告げると丁寧にお辞儀をした。煌びやかなスーツを街灯の光で煌めかせ、深々と頭を下げるその様子は、まるで貴族の様な気品さを感じさせる。

 だが、その場違いな格好に加え、彼自身から感じられる違和感が俺の首を傾げさせる。

 とても紳士的な人に見えるが、なんだか胡散臭そうというか……こういった類の人間、日本でも見たことあるよなぁ。どこでだっけ……

 過去の記憶をうまく思い出せずにいる俺の横では、スーザンも彼への感情を露わにしている。軽蔑を極めた表情が二つの目に集約され、その視線を彼にぶつけているのだ。

 だが、当の本人はそんな事は全く気にしていないらしい。ヘラヘラとした笑みを浮かべてこちらを見ている様子は、さすがの俺でさえ不快さを感じてしまう。

 チラリとホームレス?に目を向けてみれば、彼だか彼女だか知らないが、どうやらこの紳士の登場に驚いている様子だ。体に巻きつけた布の所々からはみ出た銀髪を動揺で揺らし、俺たちと同じように紳士に視線を寄せている。



「そんないやらしい視線を向けられて、気づかないはずがないだろう。あんた、誰だい。」



 "嫌い"という感情を全面に押し出して話すスーザンに対して、男は相変わらず不敵な笑みを浮かべたままこう答える。



「申し遅れましたね。失礼失礼!私、帝都ヘラクのベスボルリトルチーム『インフィニティーズ』で、コーチ兼マネージャーをしておりますムース=エクレルールと申します。以後、お見知りおきを……」



 自己紹介しながら、再び丁寧にお辞儀をする彼を見て、浮かぶ疑問……そして、少しの胸の高鳴り。

 え……?リトルチームのコーチ兼マネージャーが何でこんなところに?これってもしかして……

 この後の展開を推測して、ついついこぼれ落ちそうになる笑みをなんとか堪えていると、スーザンが再び口を開いた。



「『インフィニティーズ』って言えば、ベスボルのリトルリーグで常勝の名門チームじゃないか。そんな名高いチームのマネージャーさんが、いったいこんなところに何のようなんだい?」


「おぉ、我がチームをご存知でいらっしゃるので?なんと光栄な事でしょう。こんな辺境な都市まで、この名が届いているとは……ね。」



 へぇ、そんなに強いとは知らなかったな。なら、そこに入ればベスボル選手への道が一気に開けるって訳だな。

 ムースという男の話を聞けば聞くほど、予想される展開にさらに期待を寄せてしまう。そんな俺の横で、スーザンは鼻を鳴らした。

 


「確かに強いとは聞いているけどね……だが、他にもいろいろ知ってるよ。人をすぐに切り捨てる、選手を人と思わない練習法や采配……それ以外にもいろいろと黒い噂が絶えないチームなんだろ?お宅らは。」



 その言葉にムースは無言のまま、ピクリと眉を顰めた。どうやら、言われたくない事を指摘されたのだろう。なぜそれを知っているのかという疑問とともに、一瞬だけ不快感を露わにしたのだ。

 


「ふむ…最近、謂れのない噂が独り歩きしていましてねぇ。まったく困りものですよ。我らは由緒正しき名門チーム。そのような事実は一切ないと言うのに……」


「ふん。火のないところに煙は立たないからな。で、いったい何のようなんだい?こっちは長旅で疲れているから、早く休みたいんだが……」



 スーザンが怪訝な顔を浮かべてそう告げる横で、俺はヘラクで勝負したあの三兄弟の話を思い出していた。

 実はあの三兄弟はその『インフィニティーズ』に所属していたらしく、初めは意気揚々と練習に参加していたようだが、日に日に感じる周りのレベルの高さに心が折られてしまったそうだ。要は、段違いな才能を見せつけられ、現実を目の当たりにして挫折したのだ。

 それからは練習に行く事をやめ、ああやってカモを見つけては鬱憤を晴らしていたようだが、そんな折、俺に出会ったと言う訳で……

 俺も初めはそんなくだらない事をして楽しいのかとも感じていたが、彼らの話を聞くにつれてその考えは変わっていった。

 彼らは単純に才能の壁に挫折しただけではなく、練習の方法、練習量、指導のやり方がかなり非人道的で、生半可な気持ちでは乗り越えられないほど厳しく、それに耐えられなかったのだ。それでも、話を聞けば他の子供たちに比べて耐え抜いてきた方だと思う。

 しかし、結局はその練習にも軽々とついていく化け物のような連中を見て、遂には辞めようと思ったという訳だ。


 再びムースに視線を戻せば、彼はニヤリと笑みを溢して楽しげにこう告げた。



「これはこれは、配慮が足りずに失礼いたしました。では手短に……実は先日、そこのお嬢さんがベスボルをプレーするお姿を拝見いたしましてね。それはそれは才能に満ち溢れておりましたので、ぜひ我がチームにと馳せ参じた次第でございます。」



 その言葉に、スーザンが怪訝な顔を浮かべた。

 だが、俺自身はというと、彼の予想どおり過ぎる言葉に我慢できなくなって、つい笑みを溢してしまう。


ーーーやっぱりそうか……


 ベスボル常勝の名門……そんな強豪チームが俺の才能を見抜いて声をかけてきた。彼らは俺の価値……ベスボルの才能に気づいて、それを手に入れたいのだろう。常勝というレッテルを、さらに確固たる物にするために。そして、そんな彼らの思惑を想像すればするほどに、可笑しさが溢れて笑みが抑えられなくなる。

 そんな俺に気づいたスーザンが、心配そうに俺に声をかける。



「おい……ソフィア?大丈夫か?」


「うん……フフフ…大丈夫だよ。フフ……フフフ…」



 クスクスと笑っている俺を訝しげに感じたスーザンは、しゃがみ込むと俺の肩に手を置いて顔を覗き込む。



「何が可笑しいんだ?本当に大丈夫か?」


「フフ……大丈夫……大丈夫だよ。ちょっと……嬉しくて。ソフィアは大丈夫……ククク」



 側から見れば、狂ったように見えたかも知れない。自分でもそう感じてしまうが、笑いが込み上げてくるのだから仕方がない。

 だが、さすがのスーザンもこれには不信感を抱いたようで、眉を顰めて俺を見つめている。

 すると、今度はその様子を見ていたムースが笑みを深めて口を開いた。



「クフフ……どうやらそのお嬢さんは私の言葉を理解してくださったようですね。その感情は間違いないのですよ。我がチームから誘われるなんて、至極光栄な事なのですから。」


「勝手な事を抜かすな。誰がお前らのチームにこの子を入れると言った。」



 嫌悪感を露わにして、スーザンがムースを睨みつけるが、彼はいまだに笑いながら俺のことを指差した。



「誰がも何も、本人が入りたがっているのではないですか?笑って喜んでいるのが何よりの証拠……それに、あれだけの精度でボールを投げる姿から想像するに、貴方はベスボルが大層好きでいらっしゃる…違いますか?お嬢さん……」



 その言葉を俺は否定はしない。

 野球は俺の生き甲斐だ……だから、この世界でそれを思い出させてくれるベスボルも、今の俺にとっては生き甲斐なのだ。誰に何と言われようが、俺は絶対にこの世界でベスボル選手を目指す。

 

ーーーそれは決定事項であり、揺るがない俺の信念…


 俺は俯いていた顔をゆっくりと上げ、困惑するスーザンをちらりと窺うと、ムースへと視線を向けた。その態度にスーザンは困惑し、ムースは俺が今から告げる言葉を想像して、嬉しそうに笑いかけてくる。



「さぁ!私たちとともに、ベスボルの未来を築きましょう。」


 

 そう手を差し伸べるムース。

 スーザンは俺の行動をジッと見据えており、口を開くことはない。そんな彼女に、俺は「大丈夫だよ。」と小さく呟くと、一歩踏み出して目の前の男に歩み寄る。



「クフフフ……そうです!さぁ、私の手を取って…」



 もう一歩、またもう一歩と歩みを進めていく。



「…………!!」



 今まで展開を静かに見守っていた銀髪のホームレスが、何か言いたげに身じろいだ様子が背中を通して感じられる。



「ソフィア!お前……!」



 スーザンも俺の行動を不安に思って声を上げるが、俺がその言葉に振り向くことはない。なぜなら、今の俺にはやるべき事があるのだから。

 最後の一歩を踏み出し、ムースが差し出す手に自分の手をゆっくりと伸ばしていく。


「……くっ!」

「……!!」



 悔しげな表情を浮かべるスーザンと、動揺する銀髪のホームレス。そして、勝ち誇ったように笑うムース=エクレルール。


 そして、彼の手と俺の手が交差した瞬間……




 パンッと乾いた音が鳴り響き、不敵な笑みを浮かべて囁くように、そして、5歳児らしい可愛らしさでこう告げた。



「そんなチームになんて入らないもんね。」

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